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「何かさ、今年の夏ってイベント少なくない?」
紗絵がコーラの中に入っている氷をストローで掻き混ぜながら、気だるそうに呟いた。先週までアメリカに行っていた人間の台詞とは思えない。
「あー、分かる。今年は暑かったし、動くのだるかった気がするわ~」
道子が紗絵の言葉に同意する。夏休み直前に彼氏を作り、デート三昧と言う贅を尽くした人間の台詞とは思えない。
紗絵が日本に帰って来たので、私達は夏休み前に学校より受け取った負の遺産、世間で言うところの夏休みの宿題を、ファミレスでドリンクバーを啜りながら協力して片づける事にした。
一人で全部をやるよりも、分担した方が早いのは火を見るよりも明らかだ。
父親の待つアメリカへちょこちょこと出かけられる紗絵は英語を、歴史上の人物にさえ熱を上げられる道子は社会を、そして時間を持て余してしまった際、結局本に逃げ場を求めるような私は国語を担当した。
理科と数学に関しては、また後で考えればいいと言う、紗絵の男らしい発言により、私達は無理をせず、それぞれの長所を生かした作戦に取り掛かっている。
女三人、文系ばかりである。
そう言えば、玲央君は数学が得意だと言っていた。
でもきっと彼は、宿題なんてやっていないんだろう……。
公園で、彼の手を握ったあの夜から、もう一週間が経過しようとしていた。
姉も無事仁さんと和解したようで、迷惑かけたねと笑いながら、再びアパートへと戻って行った。
玲央君とは、あの日以来会っていない。
姉が再び家を出るまでは、現状報告メールを送りもしていた。だけどそれも無くなってしまった今、あの夜に多少なりとも距離が近づいたとは言え、まだ中身の無い会話が出来る程では無い。
寂しく無いと言えば、当然嘘になる。
と言うか、全力で寂しい。
だけど、結局はこれが現実なのだと、自分に言い聞かせるしか出来なかった。
それに、私が彼を意識し始めてしまったと言うのも、決して小さい理由では無い。そして、会えない日々が続く度、彼への想いが膨らんでいってしまうのも感じていた。
――厄介なんだよね……。
思えばこれまで。まともに恋をしてきた事なんてあっただろうか?
思い返してみても、素敵な人を端目に見ながら騒いでいる程度はあったが、一人の男の子を想いながら、心を焦がす事なんて無かった。
――初恋、って言っちゃっていいのかな?
そう、自分自身に問いかける毎日。
早めのブランチを済ませた直後に集まり、かれこれ3時間はこうしている為、問題集の進み具合とは別に、流石に集中力も切れてきた。それでも、半分以上は終わった自分に対しては、お褒めの言葉があってもいいだろう。
「ねぇ、みんなでどっか行かない? 何か企画しようよ?」
紗絵が机に身を乗り出して、そう提案する。
私と道子は暫し顔を見合わせ、それから二人して紗絵の顔を見つめる。
「どっかって、どこ?」
「それはこれから決めるの。やっぱ、山か海かな~」
「暑いんだから、山は想像したくないなぁ」
「じゃあ一択じゃん。海に決定~」
紗絵と道子の軽い話し合いで、早々に何かが決まってしまった。
「ちょっと待ってよ。それ決定なの?」
思わず口を挟むと、紗絵が私の顔を見ながら、うん、決定決定、とにこやかに笑う。
「海か~。あ、でも女三人ってのも面白く無いわよね。うちのユウ君も連れてっていいかな?」
道子の楽しそうな声に、ユウ君って? と言う紗絵の声が重なる。
「道子の彼氏」
「はぁ~っ? 道子、あんたいつ彼氏なんて作ったのよ! 聞いて無いわよ!!」
紗絵が興奮のあまりテーブルの上に身を乗り出す。もしも紗絵がアニメーションのキャラクターだったなら、ゆっくりと髪が逆立っていくのではないかと言う程の勢いだった。
「夏休み直前に出来たの。紗絵はすぐアメリカ行っちゃったし、言う暇無かったしね~」
余裕綽々の表情の道子を見て、紗絵は深い溜め息をついて椅子に腰を下ろした。直後、私の顔をじろりと見る。
「和葉~、まさかあんたまでって事はないでしょうね?」
「だったら良かったんだけどね、残念ながら、私は紗絵の味方よ」
「ちょっと、それじゃまるで私が敵みたいじゃないの~」
「あ~あ~、彼氏いる奴はもう敵だ、敵」
抗議をする道子に、紗絵はダルそうに言う。
「こりゃあ、本当の本当に何とかしなくっちゃね~。和葉、あんた知り合いにいい男とか居ないの?」
「海に行く話はもういいの?」
「全然良くない。だから、折角行くんだから、誰か連れていけるの居ないかって言ってんの~」
紗絵が急に猫撫で声を出しながら、私の傍に近づいて来る。
「え~? 私にそんな知り合い居ると思う?」
「藁にも縋る思いなの」
――わたしゃ藁ですか!
「折角海に行くって計画なら、車ある男とかいいよね~」
道子が理想論を語りだした。
「車出せるなんて、基本年上しか無理でしょ。年上の知り合いなんてそうそういないわよ。あ、道子、あんたの彼って、お兄さんいたりしないの?」
「残念でした~。ユウ君にいるのは妹さんです」
道子達の会話を聞き流しながら、年上と言われ、ポンッと順哉さんの顔が思い浮かんだ。
玲央君とメールを出来なかった代わりに、私はこの夏、順哉さんと随分下らないやりとりを繰り返し、かなり仲良くなっていた。
「車出せるかは分かんないけど、年上なら一人当てがあるよ?」
「本当? どんな人?」
紗絵がすぐさま食いつく。
「どんな人って、ギタリスト。見た目はちょっとチャラい感じするけど、話してると楽しいお兄さんだよ」
「へぇ、和葉そんな知り合い居たんだ?」
道子が好奇心一杯の目でこちらを見始めた。
「うん、たまたま知り合いになったんだ」
「その人にちょっと電話してみてよ」
紗絵の唇の端が微かに上がる。
「え? 今?」
「そう、今」
「だって、バイトしてるかもしれないよ?」
「そんなんかけてみたら分かるじゃない。ほらほら」
結局紗絵に押し切られる形で、私は順哉さんに電話を掛けた。
コール音が2回聞こえた所で、順哉さんが出る。
『もしもし?』
「もしもし順哉さん? 今大丈夫ですか?」
『うん、今丁度バイト休憩入ったんだ。どうしたの?』
どうしたの? と聞かれ、何と答えたらいいのか分からなかったが、とりあえず会話を続ける。
「順哉さん、車って持ってたりします?」
『え? 持ってないけど、どうして?』
「いえ、ちょっと今、仲のいい子達と、海でも行きたいねって話になったんですけど、車持ってる人がいたら、連れてって貰えたらなぁって思ってたんですよ。それで、私年上の知り合いなんて、順哉さんしかいなくて……」
『へぇ、そう言うことね。いいよ』
「へ? いいよって、でも順哉さん、車持って無いんじゃ?」
『車は無いけど、免許はあるからさ。レンタカーでも借りればいいし、引率してあげるくらいは出来るよ?』
「本当ですか? ちょっと待って下さいね」
一度携帯を耳から離し、いいって、と二人に告げる。
「うっそ、マジで!」
「決まり決まり!」
二人の高まるテンションを見て、再び順哉さんとの会話に戻る。
「あの、じゃあ、お願いします」
『いつがいいかな? 俺もバイトの都合があるから、いつでもって訳にはいかないけど……』
「でも、私達は今夏休みなんで、順哉さんの都合に合わせて貰えれば」
二人を見ながらそう言うと、道子も紗絵も頷いてくれた。
『分かった。じゃあ、バイトの日程を後でメールするよ』
「はい、お願いします」
『ああ、そうだ。和葉ちゃん、友達って何人位いるのかな?』
「あーっと、女の子が三人です。それに、一人は彼氏付きなので、今の所は順哉さん入れて五人の予定ですけど……」
『五人か……。じゃあさ、ついでに、玲央も誘っていいかな?』
「え? 玲央君ですか?」
玲央君の言葉が出て来て、私は心臓が高鳴るのを感じた。
『うん。最近あいつ家に籠りっ放しみたいだし、外に連れ出したいんだよね。話は俺がつけるから、お願い出来ないかな?』
「ちょ、ちょっと待ってもらっていいですか?」
思わず声が上ずる。
再び携帯を離し、二人に確認を取る。
「レ……、じゃないや、ねぇ、大藤君も誘いたいんだけど、いいかな?」
私の言葉に、紗絵と道子は顔を見合わせた。
そして、道子はニマっと笑い、紗絵はちょっと眉を寄せた後に、あんたも本当物好きだね、と笑った。
「いいよね?」
「まぁ、いいんじゃない?」
紗絵の言葉を聞き、順哉さんに、それでお願いします、と告げた。
「和葉~、やるじゃん」
順哉さんとの電話を切った所で、道子が笑いながら言う。
「よし、じゃあ宿題はまたにして、水着でも見に行くか!」
紗絵が意気揚々と宣言して、さっさと問題集を閉じる。
私は急に海に行く事が決まった事よりも、そのメンバーの中に玲央君がいる事の方が不思議でしょうがなかった。
そしてそれと同時に、その日が楽しみで仕方無かった。