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『weiss katze』  作者: メラルー
1/10

雅さん




『今日は夜遅くだから、自分で買って食べなさいね』



そんな親の投げやりな言葉を思い出して、私は、はぁとため息を吐いた。

三年だけだからと母親の家の近くの高校を選んだが、失敗だったろうかと今更になって思う。


小学校高学年の頃、瀬奈は母の方に住んでいた。とは言っても、あの頃はすぐまた父親の方に移ったり母親の方に移ったりを繰り返していたので、街中を歩いてもよく思い出せはしなかった。

最も、あの頃は既に自分の行く場所は学校と市の図書館位しか無かったのも要因ではあるが。



「……今日、図書館休みかぁ」

ぼんやりと『本日休館』というゴシック体を見つめた。春休みだったので曜日を忘れがちなのがいけなかった。思い出せば今日は月曜。この市の図書館は毎月月曜と、第四週目の金曜日は休みだったのを思い出す。

しょうがない、と呟いて、近くのベンチに座り込む。この図書館は広い公園の中にあるので座る場所には差して困らない。鞄の中から今日買った105円のパンと取り出し、もそもそとかじりついた。



瀬奈は元々少食だが、最近はそれが輪をかけていた。朝も抜かしているのに、何故だかお腹が減らない。

まぁ、低燃費なのは良いことだ、と結論づけて、小さな菓子パンをあまり噛まずに、ものの数分で胃に収めた。



時刻を確認すると、1時40分。曖昧な時間だ。今日はこれで帰って勉強しようか。いや、それとも久しぶりの街中を探索した方がいいだろうかと悩んだ末、瀬奈は街中を歩く事に決めた。

とは言っても、彼女は極度の人見知りで、対人恐怖症気味に酷い。初めて会った人、特に同世代の男子とはロクに話せない位酷かった。



出来るだけ人集りがある場所は下を向き、人がいないと上を向く。

幸いにも瀬奈は方向音痴では無い。道筋を覚えつつ、閑散とした道を歩いていて…、何かが、視界に入った。



「……?」

不意に気になって足を止める。視線を戻すと、建物と建物の間に、白い猫の置物が置いてあった。

思わず、近寄る。

結構大きな置物で、150しかない彼女の膝を優に超えている。その瞳は蒼い硝子で出来ており、僅かに光りを浴びてキラキラと輝いている。



「……綺麗」

思わず微笑んで、その猫の置物を撫でていた。瀬奈は昔から、自然の物やこういったキラキラしたものが好きだった。

暫しの間その猫を撫でて、ふと視線を上げる。

そこは路地裏に繋がっていて、まるでT字のように道が左右に別れている。そして、ちょうど瀬奈の真ん前には『weiss katze→』という看板が掛けられていた。



「うぇ…、ウェイス、…?」

「ヴァイスカッツェ」

いきなり後ろから聞こえてきた声に、瀬奈はびくりと体を震わせ勢いよく後ろを振り返った。

そこには、柔らかそうな茶髪をした、カフェの店員のような姿をした青年が立っていた。



青年、男の人。思わず視線が下がり、肩に力が入る。

そんな瀬奈に、声をかけたらしき青年は優しく微笑んだ。



「ドイツ語で、『白い猫』。まぁ、ただ単語を並べただけだから、あっているかどうか分からないけど。これ、うちの看板置物」

そう言って、置物の猫を優しく撫でる。もう片方の手には、買い物帰りなのかビニール袋が握られていた。



「喫茶店なんだけどさ、入る?」

「ぇ…、ぇ、と……」

視線が泳ぐ。そんな気は無かったし、第一瀬奈はこの男の人から逃げ出したかった。怖い。その考えが頭を支配し、更に視線が下がった。




「無理だったらいいんだ。何時でも遊びに来てね」

視界の外から聞こえた声に、びくりと体を震わせた。

視界に入っていた彼の足が、自分を追い越そうと動く。ああ、どうしようと頭の中が真っ白になって……、思わず、本当に思わず、瀬奈は呟いた。



「い! きま、す……」

「どうぞ、いらっしゃい」

そういって、視界の外で男の人が微笑んだ。








店内は、随分と落ち着いた雰囲気だった。

人がいたらどうしようと怖がって入ったが、人っ子一人いない。それはそれで青年と2人っきりだという事実が瀬奈を押し潰す。

ぎこちない動きで瀬奈は進められたカウンター席に座った。

彼はカウンターに入り、瀬奈に微笑む。



「何飲みたい? お勧めはカフェモカかな。他にもキャラメルティーとか、オレンジジュースとかあるけど」

「じ、じゃあ、カフェモカ、で」

「了解」

それだけ言って、彼は手を動かす。その間は会話は無くて、正直瀬奈にとっては有り難かった。暫くすると、甘ったるいチョコレートの匂いとコーヒーの匂いが店内に満ちる。



「はい、どうぞ。カフェモカです」

ことり、と慎重に置かれたそれは、上にホイップクリームが乗っかっていて、可愛らしいデフォルメされた猫の絵が描かれていた。



「可愛い……」

「でしょ? 当店でしか見られないよ」 


茶目っ気に返す彼の言葉にクスリと笑いつつ、そっと手に取り口元に持っていく。一口含めば、ふんわりと甘くて優しい味が広がった。



「美味しい、です」

「そう? 良かった」

カウンターで、彼は腕を動かしつつ笑った。



不思議な人だ。瀬奈は思った。まだ若そうな彼は、無理に会話をする訳でも無く、だが重たい沈黙では、ない、と思う。

ちまちまと暖かいカフェモカに口をつけつつ、目を伏せる。

すると、片付けが終わったのか、青年はカウンターに肘をついて瀬奈に向き合った。びくり、と体を震わせるが、彼は微笑んだままだった。




「俺、高橋 みやび。ここのオーナーさんです」

「ぇ…、オー、ナー…?」 

思わず瀬奈は聞き返した。だって、まだ彼は10~20代前半に見える。雅、と名乗った彼はコロコロと笑いながら言葉を続けた。




「嘘。オーナー代理、かな。うちの親父が経営しているんだけど、俺がほとんど仕切ってる」

「……た、大変じゃ、ないですか?」

「いや? 昔から店、継ぎたかったんだ。だから最近は俺が無理言ってやらせて貰ってる。君の名前、聞いてもいい?」

「ぅと、相沢 瀬奈、です」

「瀬奈ちゃんかぁ。可愛い名前だね」

何気ないその一言に瀬名は咽せそうになった。男性になまじ苦手意識がある瀬奈は無闇に男性に近寄らない。よって、こういった言葉を言われる免疫と言うものも皆無だった。ぎこちない動きで、零れそうになったカフェモカを置く。



「か、…可愛く、ない、です」

「俺は可愛らしいと思うよ。瀬奈ちゃんは小さくて、守ってあげたくなる」

今度こそ瀬奈は動きを止めた。



「ぅ…、ぇと、その……」

「ごめんね、困らせちゃったかな」

全然悪気が無いように雅さんは笑った。




「瀬奈ちゃんはここら辺に住んでるの?」

「は、い。最近、引っ越し、て」

「そっかぁ。だからあんな顔してたのかぁ」

あんな、顔? 変な顔してたのかなと慌てた瀬奈を見て、雅は『ああ、変なって意味じゃないよ』と付け加える。



「なんていうか、迷子になった手負いの黒猫みたいな顔してた」 

「……えと、どんな顔ですか、それ」

迷子、手負い。そんな苦しそうな顔してただろうかとフニフニと頬を触る。




「いや、実際は白猫撫でながら微笑んでたよ。ただ、雰囲気がそんな感じだった」

「………」

どんな、言葉を、言えば良いのだろう。ついに視線は下に下がった。手の中のカフェモカは、そろそろ湯気が立たなくなっている。





「…その、すみません。私、人と話すのが苦手で、だから…すみません」

『なんて返答すればいいか分からない』と言いたくても、変な言い回しをしてしまう。あぁ、どうしようとギュッと身を竦ませた時、




「ねぇ、ここで働いてみない?」

場違いな雅さんの声に、視線が上がった。




「……ぇ…」

「今、人手が足りてなくて。ここは路地裏にあるし、親父の頃から通う気の優しい人しか来ないから。週一でいいからやってみない?」

「……で、でも…」

自分は、人見知りで、どもり癖があって、更に言えばバイトの経験が無い。それなのに、喫茶店でなんて働ける筈がない。

慌ててそんな言葉を言おうとしたが、まるで口止めするかのように雅さんの人差し指が唇に近づき、動きを止めた。




「瀬奈ちゃんは、対人関係が苦手と見た」

「………」

自信満々に宣言されて、面食らう。



「住む場所を移動して、心なしか落ち着かない。それも、悪い意味で。そんな寂しそうな瀬奈ちゃんの居場所になってあげたいし、瀬奈ちゃんを癒やしてあげたいと俺は思うのです」

「………」


「夜遅くまでなんて言わないし、ちゃんとお給料だって出す。一回やってみてやっぱり駄目だったらそれで辞めてもいい。でもお客様としてはバイト辞めた後でも来て欲しいな。どぉ?」

「………」

本当に、不思議な人だ。

いつもなら、瀬奈は『ごめんなさい』と言っただろう。そんな勇気は無い。踏み出す勇気なんかと、諦めただろう。



でも、でもなぜだか、




「……あの、週末、なら」



この、静かな雰囲気の喫茶店と、ふわりと心が温かくなるカフェモカのお陰か、ほんの少しだけ瀬奈の心の中で勇気がくすぶった。




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