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第一話 銀腕の少年

 ユール半島の最西端に位置する大国、イルテニア王国。

 「鉄と蒸気の国」と称され、蒸気革命発端の地とされるこの国の端に、小さな鉱山町があった。赤茶けた山々の合間に広がる、遠目では底すら見えない千尋の谷。それに向かって急勾配を描く山肌に、這うようにして広がるこの町の名はコーミルという。白煙を上げながら土砂を運びだす巨大な蒸気機械と、煤にまみれながらも威勢良くつるはしを振るう鉱夫たち。この田舎町の様子は、今この国に満ち溢れるエネルギーをよく現していた。


「親方ァ! 弁当持ってきたよ!」


 町の西端に位置する坑道への入り口。そこで一人の少年が声を張り上げた。東洋の玉を思わせる濃緑の髪に、大きな鳶色の瞳。そして何より、ブラウスの袖から覗く銀色の腕が特徴の少年だ。肉付きはやや薄いが適度に引き締まっていて、顔もまだ幼さが残っているがそれなりに整っている。


 彼の名はレイル、ここの親方の養子――正確には、引き取られた子ども――である。


「おう、ここまで持ってきてくれや!」


 坑道の奥から、機械の騒音にも負けない大声が響いてきた。レイルはそれに頷くと、脇にバスケットを抱えて走り出す。するとその時、奥から出てきた男たちが彼の行く手を遮った。レイルは慌てて急停止しようとするが、勢いを殺しきれずに男の腹にぶつかってしまう。


「おわっ!」


 バスケットが落ちて、中に入っていたサンドイッチが地面に落ちた。色とりどりの具材が四方八方へと散らばる。男は腹に張り付いたハムを剥がして口にすると、額に皺を寄せ底意地の悪い笑みを浮かべた。


「おっと、すまねえな。腹減ってたもんで、つい注意散漫でね」


「そんな……」


「許せよレイル。そんじゃあな」


 男はそう言うと、わざわざサンドイッチを踏みにじるようにして歩き去って行った。彼に続く男たちも、わざとサンドイッチを踏むようにして歩いていく。レイルは唖然とし、何も言えずにその場に立ちすくんでしまった。


「おい、どうした? 早く持ってきてくれ」


「え……その……」


 レイルは何も言うことができなかった。怪訝に思った親方は作業の手を止めると、レイルの居る方へと向かう。そして彼は、地面に落ちたサンドイッチの残骸を目にした。


「こりゃ……またジャンたちにやられたのか?」


 レイルは黙ってうなずいた。親方は歯をギシリと鳴らすと、その大きな赤銅の肩を震わせる。


「あいつら、今度という今度はみっちり絞ってやらねえとな……!」


「待って!」


 飛び出していこうとした親方の肩を、レイルの手が掴んだ。彼はぎこちない笑みを浮かべると、親方の眼を見つめる。


「俺が悪いんだ。俺がこんな腕してるから、いじめられてもしかたないんだよ」


「おめえ…………。馬鹿! そんなこと言うんじゃねえ! 親から貰った大事な腕だろうが!」


「父さんも母さんもこんな腕してなかった! だから、俺のこと化け物だって捨てたんだ!!」


 レイルはそう言うと、親方から顔をそらしてしまった。鳶色の瞳が潤み、頬を滴が走る。伏せられた彼の顔はくしゃくしゃに歪んでいて、やり場のない悔しさを滲ませていた。親方は背を屈めると、そんな彼の肩を両手でしっかりと押さえてやる。


「……いいかレイル。確かにお前の腕は人とは違う。だがな、それには絶対に意味があるはずなんだ。とろい俺にはそれがなんなのかまではわからねえが……そのうち役に立つ日が来る。その腕を持ってて良かったって心から思える日が、きっと来るはずなんだ。なっ?」


「うん…………」


「よーし、飯でも食いに行くか! ランドン通りにうめえ料理屋が出来たそうだぜ」


 親方は豪快に笑うと、レイルの背中をドンと叩いた。そしてまだしょぼくれた様子の彼の手を引き、無理やりに引っ張っていった――。




 夕刻。黄金に染まる街を、親方とレイルは並んで歩いていた。石畳の通りはレイルたちと同じように家へと向かう者や、これから飲みに繰り出そうとする者たちでごった返している。店じまいの支度をする露天商に、開店準備に忙しい酒場のバーテン。陽気な鉱山町は昼の顔から夜の顔へと、今まさに装いを変えようとしていた。


 そんな町の喧騒からやや外れた谷際の一軒家。そこが親方の家だった。立地条件こそあまり良くないが二階建ての比較的大きな家で、白粘土の壁と赤い屋根の対比が美しい。窓からは暖かなランプの光が漏れ、煙突から煙が上がるその様子は何とも暖かだ。その家の前に、十代半ばほどに見える栗色の髪をした少女が立っていた。目鼻立ちのはっきりとした勝気な印象の顔立ち。小枝のようなほっそりした手足と、豊かな実りを感じさせるふくらみ。全体として、なんとも可愛らしい少女だった。


 彼女の名はネリス。親方の一人娘である。親方とは似ても似つかないため、血が繋がっていないのではないかと疑われているが、れっきとした実の娘だ。


「おかえり! サンドイッチおいしかった!?」


「え、サンドイッチ?」


「そうよ、あれ私が作ったの。だから感想が気になってさ。ねえ、どうだった?」


 親方とレイルは揃って顔を見合わせた。サンドイッチは落としてしまったので、当然食べていない。かといって、素直に言うと――二人の額に冷や汗が浮かぶ。怒ったネリスの戦闘力は、屈強な鉱夫たちですら及ばない。


「ああ、うまかったぞ。特に卵がふわふわだったな」


「そう、卵ふわふわ!」


「……卵なんて入れてないわよ?」


 ネリスの顔が凍りついた。彼女の額にスッと血管が浮かびあがる。その背中から深紅の業火が噴き上がったような幻覚を、親方とレイルは揃って見た。まさに修羅の誕生である。二人は背中から溢れんばかりの汗を噴き出し、顔を引き攣らせる。


――これは……まずい。何とかしなければ!


 二人の心が重なり合った。と、その時。親方が何かを思い出したようにポケットへと手を突っ込む。そしてその中から、蒼い輝きを放つクリスタルを取り出した。親方の親指ほどの大きさがある立派な物で、吸い込まれるような静謐な光に満ちている。クリスタルの中心に浮かぶ白光。深海へと差し込む陽光のようなそれは、小さな剣を象っている。


 ネリスは一瞬にしてクリスタルに心と視線を奪われた。彼女は先ほどまでの怒りをすっかり忘れ、蕩けた顔で親方の手の上にあるクリスタルを眺める。


「ずっと渡そうと思ってたんだが、すっかり忘れててな。どうだ、綺麗なもんだろ?」


「凄い…………どこで手に入れたの?」


「ちょっと前に坑道で拾ったのさ。何の石だかはさっぱりわからねえが、結構すげえだろ」


「聖剣……」


 虚ろな眼をしたレイルが、呆けたように呟いた。その言葉に親方とネリスは怪訝な顔をする。


「せいけん? お前、これのことを知ってんのか?」


「うん、何となくわかる。これは聖剣って言って、今は結晶形態を取っているけど適合者が魔力を流すことによって剣型に変形し、最終的には人間の身体と有機的に融合――」


「ちょっとちょっと! 何言ってんのかさっぱり意味がわからないわよ!」


 ネリスの制止にもかかわらず、レイルは壊れたレコードのように滔々と言葉を吐き出し続ける。その眼は視線が定まっておらず、どこか異世界の景色でも見ているかのようだ。その熱に浮かされたようなトロンとした顔に、ネリスは慌てて彼の肩を揺さぶる。すると彼はハッと息を漏らし、虚ろだった眼に光が戻った。


「あれ……」


「どうしたんだおめえ? 暑さで頭がやられちまったのか?」


「よくわからないんだけど、頭の中に見たことのない景色が浮かんだんだ。物凄く大きなお城とか、白くてきれいな砂漠とか……」


「……それ、きっとあの世よ。私が揺さぶってなかったら、あんた今頃あの世で女神様にあってたわ」


 えへんッと胸を張るネリス。たわわな膨らみが楕円を描いて弾む。レイルはそれに思わず目を奪われつつも「ごめんごめん」と頭を掻く。


「まあいいわ。それよりご飯にしましょ」


「おう、そろそろ腹が減ってたまらんぜ」


「俺も!」


 すきっ腹を抱えた三人は、香ばしい香りに誘われるようにして家の扉をくぐった。その時、ネリスのポケットに放り込まれたクリスタルが、一瞬だが輝きを増したことに三人は気付かなかった――。





 その日の夜。レイルはなかなか寝付くことができなかった。昼間に見た何処とも知れない場所の風景のことが、どうしても脳裏を離れないのだ。特に、一番最後に流れた白い砂漠。そこで彼は、何か絶対に忘れてはならないことを誓ったような気がする。だがその内容を彼は思い出すことができない。記憶の棚に鍵でも掛けられてしまったかのように、思い出そうとすると思考にノイズが走ってしまう。


「クソ、一体何なんだよ。俺は、何者なんだ……!」


 右腕を左腕で抱え、レイルはベッドの中でのたうった。薄い掛け布団は肌蹴てしまい、安普請のベッドが軋みを上げる。金属の腕を持つレイルは、小柄な割に体重が重かった。そんな彼の動きに、ベッドの下の古い床板までもがミシリと音を立てた。


「ふあァ……レイル、あんたうるさいわよ。もっと静かにできないの?」


 階下で寝ていたネリスが、寝ぼけ眼を擦りながらレイルの部屋のドアを開けた。レイルはゆっくりと起き上がると、彼女の顔をぼんやりと見つめる。


「ごめん……ちょっと考えごとしててさ」


「もしかして、昼間のこと?」


「うん、どうしても気になってさ。もしよかったら、もう一度あれを見せてくれないか?」


「わかった。だけど見るだけよ」


 ネリスはそう言うと、胸元から先ほどのクリスタルを取り出した。すると、澄み切った蒼をしていたはずのそれが、鮮やかな紅に染まっている。仄暗い闇を孕んだ、見ているだけで背筋がそばだつような禍々しい色彩だ。ネリスとレイルは思わず言葉を失う。


「何これ……」


「わからない。けど、何か危険を知らせてるような気がする!」


「なにそれ、うちに危ないものなんてないわよ!」


 ネリスがそう叫んだ瞬間、爆音が二人の鼓膜を貫いた。猛烈なエネルギーが大気を揺さぶり、家全体がジリリと揺れる。花瓶に罅が走り、窓が砕けた。カーテンが千切れんばかりに揺れて、熱風が部屋に吹き込んでくる。


「ちょっと、いったいなんなの!!!!」


「知らないよ!! 外で何か爆発したんだ!!」


 吹き込む熱風に顔をしかめながらも、二人は窓の外を覗き込んだ。すると――


「化け物……!」


 天に聳える黒い影。醜悪な機械の集合体のようなその人型が、コーミルの街を次々と蹂躙していた――。


主人公の記憶が戻るのは次回の予定です。

ご期待下さい。

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