杭撃ちの辰
人が溢れ、音が絶えない都市の奥。
明るい光と幸福で満ちた街並みとは逆の、死と恐怖が蠢く場所。
至る所で路地が入り組んだ、スラム街のとある一角に俺は佇んでいた。
「おはよう」
目の前の男に挨拶する。
外見は白髪交じりのボサボサの髪と長い髭が特徴的な、煤けたシャツとダボダボのズボンを着た中年だ。
「やぁ、おはよう」
男は無精髭を撫でつつ淡白な返事をした。
「お前に会うのは42回目だが、もうこれで最後だろう。寂しくなるな」
そう男に告げると、吹き出すように大笑いされた。
何かおかしなことでも言ったか?
「おいおい、笑わせてくれるな。お前がそれを言うのも42回目だ。相変わらずだなホント。
ほらよ、今日の仕事に使うブツだ」
黒塗りのアタッシュケースを俺の目の前に突き出す。こんな場所じゃあまり見かけない高級品であることが伺える。
「中身はちゃんと確認しといてくれ。不備があったと難癖つけられちゃ、たまったもんじゃないからな」
俺はそれを受け取り、男に礼を言って別れを告げた。
ケースの中身は、鈍い銀色の金属光沢を帯びた1メートル位の杭三本と、いつものメモ。
【今日中にそれをある場所に打ち込め。
任務の完遂を確認次第、報酬は口座に振り込んでおく】
俺の仕事はこの杭をただ打ち込むだけだ。大きな"危険"が伴うというおまけ付きの、簡単なお仕事。
最初に渡された巨大なスレッジハンマーを背負い直して、街の暗い闇に足を延ばした。
「あ、辰だ。今日はお仕事?それとも散歩?」
女が俺に話しかけて来たのに気づいた。見覚えのあるショートヘアーの年若い女性に目を向ける。
「金槌背負って街中を散歩するやつがどこにいる。今は仕事だから構ってやれんぞ」
「構って欲しくて話しかけたわけじゃないわ。ただ・・・聞いてみただけ。それだけ!」
勢いに任せて走り去って行った彼女を横目に、俺は目標に近づいていることを感が告げていた。
・・・・・・。
「また会うなんて奇遇ね」
「・・・・」
「偶然って本当にあるのね。ついさっき会ったばかりなのに」
「・・・あぁ。お前は確か、・・・ストーカー女?」
「ストーカーじゃないわよ失礼ね。私はただ先回りしただけ。ストーカーは後ろから後を追う人のことを指すのよ?ストーカーと同じだなんて心外だわ」
ピーピーうるさいやつだ。やってることは大差ないだろうに。
こいつの名前は李花。街中で歩いている時に度々現れ、俺にちょっかいをかけては楽しむ恐ろしい女。買い物に付き合わされたり、飯を奢るハメになったりと迷惑ばかりふっかけてくる。
良い奴だとは思うが、つきまとわないでくれるとありがたい。
「とにかくついて来るな。死にたくないならさっさと帰れ、李花」
「えっ、ちょっと待ってよ。私も・・・!」
もう追ってこられないよう、近くの路地に入りジグザグに進んで仕事先を目指した。走る直後に振り向いて見た彼女の舌を出して怒っていた顔が、足を止めるまで脳裏にこびりついて離れなかった。
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空中に浮かんだ穴。不自然に存在する黒いシミ。
それが俺の探していたものだった。
穴の周りにはおかしな生き物が守るように屹立している。
ヒトの形をしたもの。四足動物らしきもの。それらは全て黒で統一されている。依頼主の代理人は彼らを"クロ"と呼んだ。色をそのまま名前に使うなんて発想力が無いことで。
こいつらは元々、俺たちの世界とは表裏一体のところに存在しているらしい。色褪せ、黒と白しか無い世界。黒から生まれ白に染まって死ぬ、そんな因果を背負った生き物だとか。
俺としては、こちらに迷い込んだクロを片っ端からぶん殴って穴を塞ぐ。やることは言ってみれば単純明快で分かりやすいだろう。
周囲は紫色の靄が漂って薄暗い。この靄が異界さながらの雰囲気を周囲に及ぼしているようである。
背負っていた金槌を地面に落とす。落とした衝撃で鈍い音が鳴り響いた。右手で力一杯握り、手始めに前方の2体目掛けて殴りつける。
クロ達は俺の攻撃に対して手を伸ばすような仕草を見せ、体に当たると同時に弾力的な感触を残して四散した。
呆気ないなと思いつつ付着したクロの体液を拭い取る。すると、すぐに空気に溶けるように蒸発した。
現実味が感じられない相手と殴り合うと意識が曖昧になってくる。それが先程殴ったクロの役割だと直感で悟っていた。
いつの間にか周囲を10体のクロに囲まれている。慌てずに次の行動に移る。真後ろの一番近い1体を振り抜いた得物の勢いに乗るようにして左に回転。当たったと分かるや、斜め上に振り抜き遠くへ吹き飛ばした。
すぐさま金槌の柄に仕組まれているスリットを開き、折り畳みの引き金を伸ばす。
ケースの杭を全てセットし、頭部を地面に着けてトリガーを引く。頭部中央に空いた穴から火花と共に杭が射出された。
地面が穿たれることは無い。
反動で金槌が吹き飛ぶことも無い。
飛び出た杭は純白の波紋に変化し、大地を伝って周囲に広がりクロ達は霧散して消えた。
あと、2本。
さっさと終わらせて飯を食いたい。
今日は雑誌に取り上げられていたパスタ専門店にでも行ってみよう。食欲は人が生きている証であり、夢から覚める原動力となる。
右足を前に踏み出す。
左足に力を入れ体勢を低くし、後ろに重心を傾け、溜め込んだエネルギーを前に向けて高く飛んだ。
直で見る穴は見つめると吸い込まれそうなほど黒く渦巻いている。
耳を済ませばキリキリと叫び声に似た音が聞こえた。穴と俺との距離が近づくにつれ、クロが行かせまいとしてゾロゾロと壁を築く。
それらを叩いては壊す。叩いては壊す。
餌場に群がる動物のようなクロを踏み台に、なるべく空中に留まっては壁を壊して進んだ。前に伸ばす足は次第に微々たるものとなる。まるで終わりが見えない千日手をしているみたいだ、とこの時俺は思った。
メンドくさい連中だ。
次で一気にたどり着いてやる。
新たに出来た壁を壊した瞬間、握っていた柄を右に捻って回す。
すると、金槌頭部の片側から白色光が飛び出した。
振り回すスピードが徐々に速度を増す。手が離れ無いように全身を使って縦回転をしながら穴へ接近。
壁が形成されるよりも速く加速。金槌のスピードに追いつくよう身体を丸め回転の効率を上げて行く。
回転中に穴の位置を捉えることは難しい。
縦に回転しているので高さが予測しづらいのだ。穴にぶつかる直前で停止し、正確に仕留める必要がある。しかも、クロの壁が先に形成するよりも速くなければならない。
もう一本!
金槌の頭部をひっくり返してトリガーを再度引く。結果的に前方のクロ達に向けて放つ形になる。金槌の角度を調整し、良い塩梅で回転のエネルギーが相殺されて慣性のみが働く。地面に落ちることは無い。壁も白い波紋で消し飛ばせて一石三鳥だった。
黒の球体へ金槌を突き出し、最後のトリガーを引く。穴は白く塗り潰され、すべてのクロは同様に白に染まって上空に消え去った。跡形も残らない。視界は白に埋め尽くされ、いつしか何も無い路地の片隅へと元通りになっていた。
「こんなところで何してるの?」
頭上から李花の声がする。
「またお前か・・仕事が終わったんでな。空を眺めていたところだ」
「こんな工場の煙ばっかの街で空なんて見えるわけないでしょ。疲れてるの?家に来る?」
「お前は、知らない男を家に招くなと親に教わらなかったのか。・・断る。パスタを食べに行く予定があるからな」
足に力が入るのを確認し、倒れていた身体を起こして一息で立ち上がる。怪我一つ無く支障は無い。服についた誇りを払い彼女と向き合った。
「え!?何それ!連れてってよ、私パスタに目がないのよね。もうすぐ昼だし早く並ぼうよー」
「・・・好きにしろ」
ものの数秒で一緒に食べに行くことにになってしまった。口を挟む隙すら与えんこの女はなぜ俺に構うのか、それが一番の謎と言える。仕方なしに李花を連れて雑誌通りの店へ歩いて行くのだった。
その後、店内ではにこやかに喋る彼女の相手を適当にしてやり、この店オススメのランチを注文して食べた。味は申し分無かったと言っておこう。この女がいなければ、今日は最高の一日だっただろう。
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帰るべき家へと歩む。時刻は既に17時半を回っていた。カラスの餌を奪い合う鳴き声がスラム特有の気味悪さを感じさせる。太陽が沈み、灰色がかった夕日が町を不気味に照らしていた。
自宅は古いアパートの二階で、階段を上がり扉の前で鍵を取り出していると、
「兄さん。おかえりなさい」
静かに扉を開けたのは妹の杏。
俺より頭一つ分低い背丈と、結った茶髪を上で纏めた儚げな印象の少女である。
「あぁ、ただいま。昼は何を食べたんだ?」
「夕べの残り物とサラダ。今晩は余った野菜とお肉の炒めものよ」
「上出来だ」
食材や残り物を最後まで食べ切るのは妹の美点の一つだ。杏の頭を撫でつつ中に入り、ソファーに座る。我が家でのひと時が俺に現実だと強く感じさせてくれる。あぁ、今日は疲れた。
もっと金を稼がなければ。妹に楽させてやらないとな。
そしてこの場所から抜け出し、快適な場所へ。金はあればあるだけ欲しい。
ピンポーン。
「兄さん。今手が離せないから、お願い」
「あぁ、今行くよ」
妹の頼みには逆らえないので、急いで玄関の戸を開ける俺。
「どちら様で・・・」
「はーい、私私!情報屋に聞いたらここだって・・・」
バタン!ガチャ!
「何で閉めるのよ!早く開けなさいよ!ねえったら、あけてよ辰~」
「に、兄さん?」・・ゴゴゴゴゴ!!
背後から殺気を感じる。玄関脇に立てかけられた鏡から、包丁を持った妹の姿がチラッと見えてしまった。この状況はすごくマズイ。逆手持ちで包丁を持つのはいろいろと危ないぞ。
本当に、この女さえいなければ、今日は・・・。
金を求める女運の無い男、辰の物語はこの先も続いてゆく。
Fin?
自分にとっては初のアクション物になります。
主人公の動きが頭の中でちゃんと動いていると良いな。物語の続きは未定です!