その4
そんなつもりではなかった。誓ったっていい。今日ルディアスを訪ねたのは、ただの思いつきであり、気が向いたからというだけ。
本音を言えば、少しでも勇者夫妻がどんな人物たちなのかをルディアス自身から聞き出したいというのもあったが。
彼らと遭遇するのはまだまだ先のつもりでいたし。
取引? 誰が、誰と、何を??
「……えーと」
困惑しているのが、全て表情に出ていたらしい。
「あなた、まさか――」
何も考えずに来たんじゃ、無いわよね?
ルカが、ひくっと左頬を引き攣らせる。隣に立つルイエが、吹き出していた。
「うん。ていうか何を取引したらいい? ルディアス関係あるの?」
分かるふりして虚勢を張ったところで、得られるものは何も無い。ひとまず正直に尋ねてみると、ぶふっと音がして、いよいよルイエが本気で笑い出した。ルカは額を押さえてため息を吐いている。
「貴方の部下の苦労が分かるような気がするわ。ったく、このバカ息子は『魔王』の自覚があんのかしら」
「ああそれ、よくフライスに言われるよ」
苦笑いで答えると、『魔女』は隣で腹を抱えて笑っている『勇者』の腹に肘を打ち込んだ。ごすっ。中々重たげな音がした、ような。
『勇者』はあまり痛そうな表情では無いが、ひとまずは笑い止んだらしい。こほん、と一つ咳払いして表情を引き締める。
「では改めて『魔王』ケイオスに、『勇者』ルイエと『魔女』ルカから、取引を申し込む」
ごくり。思わず唾を飲み込んだ。何を言い出されるのだろう。無理難題で無ければ良いのだが。
「ルディアスは、人間とエルフ両方の血を引いている、いわゆる新しい『第四の種族』だ。きっと今後は増えていくと思う。
そのうち、人と魔族の子である『第五の種族』、魔族とエルフの子である『第六の種族』も表れるかも知れないね」
そっとルカの肩に手をかけ、しかしさりげなく払いのけられながら『勇者』が言う。
恨みがましく『魔女』に目を向けると「暑苦しい」などとあしらわれ、少し凹んだようだった。この夫婦の力関係が分かった気がする。
「そして同時に、彼は『勇者』と『魔女』の子でもある」
なるほど、そういうことか。
先代魔王を倒された『魔族』たちにとって、彼は憎しみの象徴になる。
……しかし彼に手を出すということは、現状では『魔族』から『人間』と『エルフ』双方への宣戦布告ということになる。『第四の種族』といっても、まだそれが種として地に定着するか分からない以上、彼の存在は人でもありエルフでもあると考えられるから。
人は、『魔族』を忌み嫌い、出来れば殲滅したいと望んでいる。
『魔族』もまた、理解できぬ『人』という種族を排他し生きていきたいと望んでいる。
両者の均衡は非常にもろく、危ういものだ。些細な切欠さえあれば崩れる。
そして『エルフ』は、本来は中立の立場にある存在だ。
『人』と『魔族』のどちらか・あるいは双方が誤った方へ動き出したときに、それを正すために。
「――分かったよ、ルイエ、ルカ。僕は彼を他の『魔族』たちから必ず守り通そう。約束する」
「ありがとう、助かるよ」
「そしてその代償は、本来ならルディアス自身が支払わなければならないんだけど――彼はまだ子供だ。だから」
「代わりに私は『魔女』として、『魔族』の種としての進化を導くように世界に満ちる魔力の調整と管理をし続ける……これでいい?」
「十分だ」
そんじゃ取引成立ね、と笑った『魔女』の顔は裏も棘も無い笑顔だった。
隣に立っているルイエは相変わらず肩に手を乗せようとして、振り払われている。
どうせ守るなら、可愛い女の子が良かったなぁ……とか思ったのは、内緒である。
余談であるが、ルディアスが屋外授業で採集して持ち帰った薬草は後日、大変役に立つことになったのだが――
それはまた、別のお話。