その3
家庭教師のケッヘルから見たルディアス・マクガルディという少年は、年の割にはやや聡明なところのある、極めて普通の子供であった。
特別な両親を持つ割には、容姿においても能力においても、これといって特別なところなど見受けられない。
頭が悪いわけではない。授業への反応も良く、愛想も良く、礼儀正しい。まるで兄のように自分を慕って着いてくる姿は微笑ましく、いわゆるお気に入りの生徒というヤツだ。
採集した植物を、毒のあるもの・無いもの、薬になるもの・薬になるが使用法や加工法を間違えると毒になるもの、とても美味しいもの、とてもじゃないが食えたモンじゃないモノ、などに分類しつつ説明してやる。
その中でも彼は「薬になるもの」に興味があるらしい。くりくりとした緑がかった青い瞳を輝かせながら、ノートを熱心に取りつつ質問を投げかけてくる。
「ルディは医者か薬師にでもなりたいの?」
「ううん、違うよ」
「でもさっきから薬草にばかり興味を示してるじゃないか?」
問われて、うーんと唸りながらルディアスはノートから顔を上げた。手にしたペンでポリポリと頭を書きながら、何かを考えている。
「今パパとママが帰ってるから、もしかしたら解毒剤か、傷の治療が出来るものが必要になるかなーと思って」
「はぁ?」
思わず変な声が漏れた。両親の帰宅と薬草の必要性の間にある繋がりが、全く分からない。
だがまぁ、お手製の研究ノートを覗き込む子供の顔は年相応に可愛らしく、楽しそうなので良しとしよう。
無理矢理結論付けると、ケッヘルはふと空を見上げた。
「おっと。そろそろ雲行きも怪しくなってきたし、帰ろうか?」
「……ケッヘルさん、また彼女とデートの約束でもしたの?」
「まぁそれもあるけどねー。さぁさぁ、雨降る前に帰ろう」
濡れて風邪でも引いたら、今晩のデートは台無しである。
今の彼女とは真剣に交際していて、結婚も考えているのだ。いずれはルディアスにも紹介してあげたいと思っている。この子供なら、きっと弟のように祝福してくれるだろう。
別に考え付かなかったわけでは無い。もしかしたら、そのくらいのことはあるだろうと思っていた。
だが無意味なことなので、確認するのをスルーした。なぜなら自分には毒など効きはしない。何せ世界樹の小枝が核の『魔王』なのだから。
さてどう返答したものかと思いつつ、とりあえず
「……がはぁっ!」
胸を押さえ、吐血するフリをして倒れてみる。お約束である。
キッカリ5秒後にむくりと起き上がって見せると、勇者夫妻は何事も無かったかのように茶をすすっている。
「……ノリのいい『魔王』ね」
「そりゃどうも」
ごそごそと席に着きなおして、お茶の続きを再開する。
「で、実際のところ入ってたの、毒」
「いいえ、入れてないわ」
「それは良かった」
心の底から安堵しつつ、少し冷めた紅茶をすする。
確かに自分には毒が効かない。だが、毒が入っていたということは、『勇者』夫妻が『魔王』である自分に敵意を抱いているということになる。
――それはつまり、人間側から魔族への宣戦布告であるということだ。
だからこそ、もし毒が混入されていても見過ごすつもりでいた。が、自己申告されてしまえばそれはもう無視することは出来ない。
「ハラハラするから、そういうタチの悪い冗談は辞めて欲しいなぁ」
「私たちだって、それほど愚かでは無いつもりだよ。自分たちの立場くらいは分かっているさ」
最後の一口を飲み終えた『勇者』がまったりと言う。カップを皿に戻した次の瞬間には、その穏やかな表情は消えていた。
「さて、取引といこうか、『魔王』。キミもルディアスを尋ねて来たということは、いずれはそのつもりだったんだろう?」