その2
『勇者』に先導されて『魔王』が連れて行かれた先は、地獄の一丁目――などではなく、至って普通の客間であった。
足下にはフカフカとした絨毯。部屋の中央には円卓と揃いの椅子が数脚。円卓の上には花が飾ってあり、品の良い茶器が三人分揃って並んでいる。
内心どこへ連れて行かれるのか、もしかしたらこちらはその気が無くとも戦うハメになるのでは、とビクついていたので、かなり拍子抜けしたと同時にホッとした。
円卓の傍には、ティーポットを持ったふくよかな女性が立っていて、ニコニコとお茶の準備をしている。
「あらあら、旦那様ったら随分とお綺麗な女性を連れて来られて……ひょっとして、浮気ですか?」
綺麗な女性とは、一体誰のことを指しているのだろう。この場には自分とルイエしかいないというのに。
しかしふと窓ガラスに映った自分の姿を見て、思い至った。
根城を出る前に、書庫に立ち寄ったのだ。人間に化けるための資料を探しに。
この間のような白髪の老人では、また教材の販売員など怪しい人物に間違われかねない。
たまたま手に取った本の華やかな挿絵を参考に化けてみた――確か本のタイトルは、『灰かぶり姫』……だったかと思う。
魔族に性別の概念が無いわけでは無い。ただその挿絵の人物が人間の女性であると、人間のことに疎いケイオスには判別できなかっただけで。
「ふぅ~ん、浮気ねぇ。ルイエったら、中々度胸あるんじゃないの」
突然背中に強い殺気と悪寒を感じ、ケイオスは思わず頭の中で反撃の魔法陣を編みながら振り向いた。
にこやかな女が立っている(ただし目は笑っていない)。右手には何やらを乗せた盆を、左手は『勇者』の肩に指をギリギリと食い込ませ。
『勇者』はそれらを物ともせず、涼しい顔で女に向き直って微笑むと、盆を受け取った。
「ルカ、違うよ。分かってるんだろう、彼は――」
「はいはい、『魔王』サマでしょ。よーこそ、こんな何も無い所へ」
お招きした覚えは無いけどね。冷ややかな笑顔が、いっそう温度を下げたのはケイオスの気のせい……だと思いたい。
後ずさりたい衝動を堪えつつ、無理矢理顔の筋肉を動かして笑顔を作る。ひきつっているだろうが、そのくらいは見逃して欲しい。
「えーとえーと……ハジメマシテ、コンニチハ、『魔女』……サマ?」
「氷漬けにされたいの、若造」
ぴしりと空気が音を立てた(ような気がした)。
「だめだよ『魔王』、彼女を『魔女』と呼んでは」
昔それで、私も氷漬けにされかかったことがあるんだ。
『勇者』が親切心だろうか、ひそりと耳打ちをしてくる。だがそういうことは、地雷を踏んでからではなく先に言っておいてもらいたいものである。即座にスミマセンデシタと謝罪するが、凍てついた空気が緩む気配は一向に無い。
結局、そんなやり取りを全くスルーしながらお茶の準備をしていた使用人の女性が
「さぁさ、お茶が入りましたよー。冷める前にどうぞ」
と間延びした声を上げることで事態は動き出した。
ケイオスが内心密かにこの女性に感謝と尊敬の意を抱いたのは言うまでも無い。
焼きたてのアップルパイに、たっぷりの生クリーム、摘み立てのハーブを添えて。
それに良い茶葉を使った紅茶が、マクガルディ家におけるティータイムの定番だ。
いつもはこの円卓に家庭教師のケッヘルとルディアスが着くのだが、あいにくと今日は屋外で植物に関する授業をするために二人揃って外出している。
しかも普段は居ない『勇者』夫妻が珍しく帰宅していて、ケイオスはタイヘン間の悪い時に来てしまったことを後悔した。
確かにいつかは『挨拶』に来るつもりだったが、こんなに急なことでは心の準備とか、全然出来ていない。
「で、『魔王』サマは一体何の用で来たのよ。息子の生気でも吸いに来た? それとも父親の仇討ち?」
「『魔王』でなくケイオスと呼んで欲しいな。あと僕は魔族だから人間の生気なんて必要ないし、仇討ちのつもりも無いよ。父が貴方たちに討たれたのは、自業自得だから」
夫婦揃って発想は同じなんだな、と思いつつ、アップルパイをつつきながら答えた。
サクサクのパイ生地に、酸味のある爽やかなリンゴのコンポートと生クリームが絶妙のバランスだ。美味しい。
「ただちょっと、ルディアスと話がしたくて」
「ルディアスと?」
「そ。この間偶然この家に来て、友達になったんだ」
あのときだって、別に『勇者』と『魔女』の息子を狙ってきたわけではない。そう説明すると、勇者夫妻は顔を見合わせた。
「『魔王』――ケイオスって言ったかしら。貴方、変な魔族なのね」
「貴方たちほどでは無いよ。『魔王』相手に平然とお茶を振舞うんだからね。ま――じゃなくてええと、ルカ?」
「あら、物覚えは悪くないのね」
紅茶のカップを傾けながら、ルカはニッコリと笑った。先ほどよりは棘が無い、が裏を感じる。
「ところでケイオス」
「何?」
「貴方、このお茶や食べ物に毒が仕込まれてるとは考え付かなかった?」