昨夜のできごと
Tシャツにジーンズ、スニーカーという楽な格好に着替える(※結局、魔術では着替えられず、実際に着替えた)と、早速バラの図書室に向かった。
「捜査のため、バラの図書室への出入りを禁止してください」
とマダム・リーに言うとすぐに動いてくれた。もっともこんな真夏の早朝(それも日曜日!)に図書室に来る酔狂な人などいないが……。
東棟にあるバラの図書室には窓が大きくとられているものの、本の日焼けを防ぐため、奥の明り取り用の窓以外は常時遮光のカーテンがかけられている。
閲覧用にと置かれたローズウッド製の机に座ると、明り取り用の窓から外を見つめた。
この小さな窓からでも、美しく手入れされた広大な庭が見える。シンメトリー(※左右対称)に配された低木は綺麗に刈り込まれており、季節になればバラが咲き乱れるのが見えるだろう。中央の噴水は、朝日を受けながら、気持ち良さそうな水しぶきを上げている。いつもと変わらないのどかな朝の風景だ。
こんなにいい天気だっていうのに。
ため息がもれた。
そもそもの問題はマリーにある。いや俺がマリーに弱いのがいけない。
結局、好きなんだろうな。
そう思うが、自分でもこの点がいまいちよく分からない。
「女の人というのはガラス細工のように繊細だから、大切にしてあげなくてはいけないよ」
と物心ついた時に、亡き父親から教わった。だからすべての女性は愛し護るべき対象だ。そう考えれば、マリーも他の子達と変わらない。それにしてはこのうずくような妙な感覚は何だ。そもそもマダム・リーに秘密にしたことが自分でも信じられない。
昨夜遅く――
「クリス、クリス」
甲高い声に続くせわしないノックと、ノブをかちゃかちゃ回す音に起こされた。ベッドから身体を引きはがすようにして起き上がり、ドアを開けると、マリーが立っていた。
白いネグリジェ姿で半べそをかいている。
「何があった?」
「ロルが……」
マリーがしゃくりあげた。
「ロルが死んじゃう。パーティーから帰ったら、ロルがぐったりしてて。ねえお願い、ロルを助けて」
「俺じゃなくて獣医を呼べよ」
「呼んだわ」
マリーが目から涙をぽろぽろ流しながら言った。
「そうしたら獣医さんは、もう駄目だって言うのよ。だからクリスお願い。今から一緒に復活の魔術を探して、それでロルを助けて」
「できない!」
つい強い調子で言ってしまったが抑えようがなかった。マリーがびっくりしてちょっと身をひいた。
「ごめんマリー。言い方が悪かった。復活の魔術なんてないし、あったところで俺は復活の魔術どころか、何の魔術も使えない」
「復活の魔術は、わたしがかけるから、ただ一緒にいてほしいの」
「そんなの無理だよ」
「どうして? このままじゃロルが死んじゃうのに?」
ぽとぽとと頬に涙をしたたらせながら、マリーがかすれた声で言った。その姿に胸が締め付けられる。本当は手を伸ばし、胸に抱きしめ「大丈夫だよ」と言ってあげたい。しかし中途半端な「大丈夫」という言葉ほど、辛いものはない。伸ばしかけた手をぐっと握りしめ、口を開く。
「受け入れないといけない。それが寿命だから」
自分の声ではないように響いた。
これは正に、両親が死んだ時、マダム・リーから言われた言葉だ――両親は車の運転中、道路に飛び出してきた子どもを避けようとして大木に激突して死んだ。
何故俺の誕生日に北部の街、グランビルに向かっていたのか不明だったが、サプライズパーティーの会場準備をするためだったと後で知った。一人息子に、素敵な海辺の町で、ヨットを贈ってくれるつもりだったらしい。
「こんなサプライズ嬉しくないよ!」
幼い俺は泣き叫んだ。
「プレゼントなんて要らない! 一生誕生日プレゼントなんて要らない、だからママンとパパを生き返らせて! お願い、お願いだから」
心がよじれて強烈に痛み、息ができないほど泣き叫んだ。そんな俺をマダム・リーがふわりと抱きしめ、白檀の香に包みこみながら、厳然とした声で言った――。
「受け入れないといけない。それが寿命だから」
マダム・リーの言葉をなぞるように機械的に言うと、マリーが大粒の涙をこぼしながら、
「クリスなんて嫌い。大っ嫌い!」
背を向け、走って行ってしまった。
窓の外の庭に、庭師たちが出てきた。庭木の剪定を行うらしく、脚立を立てかけたり、鋏を取り出したりして忙しく動き回っている。そろそろこの城のみんなも起き始める頃だろう。
そもそもバラの図書室は、俺を除く15歳以下の立ち入りは申請が必要な上、昨日の午後の出来事を考えれば、少なくともマリーが一人で書庫に入ったとは思えない。誰かが代わりに入ったか、誰かと一緒に入ったか。マダム・リーが既に調べているにせよ、まずは現場を確認してみよう。
図書室の一番奥の階段に昇り、大型本の一つ『カイゼルベルグ家とリー家の歴史』という本のタイトルをなぞり、左の人差し指で三回、右の人差し指で三回、また左の人差し指で三回本の上部を叩いた。そして
「我、古き物を誠実に護り、新しき物を正しく捉える者なり」
言い終えるや否や、大型本が収められた書棚に縦に線が入り、そこから書棚が音もなく左右に分かれ始めた。
書棚と書棚の間から新たな書棚がせり上がり始める。しかし不思議なことに梯子は動かない。まるで元々そこにもう一つの書棚があったかのように。
書棚の動きが止まった。書棚の上には結界の魔法陣が光りながら左右上下に走っている。指揮棒を取り出すと、書棚の上の魔法陣が光りながら指揮棒の周りに集まってくる。
|指揮棒を書棚に押しつけると、指揮棒の中に刻まれた魔法陣が光った。瞬間、書棚の結界の魔法陣が逆に回転し始め、まるでこんがらがった糸をほどくようにほどけ始めた。
リー一族は魔術師の一族でもあるが、結界師の一族でもある。ここの結界はさすがに厳重で、解くのが難しいが、それでもクリストファーの指揮棒にはマダム・リーによって解除の魔法陣が仕込まれており、扉にかざすだけで、ひとりでに結界を解いていく。
これが自分で施した魔術だったらどんなにいいだろう。光輝く魔法陣を惚れ惚れと見つめている間もなく、あっと言う間に全ての結界が解けた。
指揮棒が動き、書棚と水平になり、今度は勢いよく反時計回りに回転し始めた。何千回か回転した後、
カチャリ
書棚が音を立てた。瞬間、書棚が黄金の扉に姿を変え、向こう側に開いた。




