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怪異清掃、請負います  作者: 夾竹桃


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08.第八話

その部屋は、あまりにも白かった。先ほどまでの血生臭い通路とは隔絶された、無機質で清潔な空間。

先ほどと同じく天井は高く、壁一面には複雑な計器類やモニターが埋め込まれている。

そして部屋の中央には、宗教的な祭壇のように鎮座する巨大な円筒形の培養カプセルがあった。

俺たち――佐藤健太、御堂アリス、氷室澪、そして神宮寺剛の四人は、そのカプセルの前に立っていた。


「……また時間稼ぎかしら?」


会長の声が、静寂に響く。カプセルの中は緑色の液体で満たされ、底から湧き上がる気泡がポコポコと音を立てている。

だが、またしても肝心の中身がなかった。液体の中に浮かんでいるべき「何か」が存在しない。ただの空っぽの水槽だ。


「空っぽ……?」


俺は恐る恐る呟いた。ここまで来るのに、どれだけの化け物を倒してきたか(主に桃と社長が)。その苦労の果てが、空の水槽だなんて。


「あら、驚くことじゃないわ」


会長はつまらなそうにカプセルのガラスをコツコツと叩いた。


偽物(デコイ)は一つとは限らないわ。五年も時間をあげたんだから、これくらいの隠し事はしてもらわないと」


「偽物? じゃあ、会長が探しているデータはここにはないんですか?」


「ええ。ここはさっきと同じく、ただの客寄せパンダよ」


その時だった。部屋の四隅に設置されたスピーカーから、ノイズ混じりの不快な笑い声が降り注いできた。


『――クックック。ご名答だよ、魔女殿』


しゃがれた男の声。それを聞いた瞬間、隣にいた氷室先輩の体が、ビクリと震えた。普段は氷のように冷静な彼女が、明らかな動揺を見せている。


「……博士」


氷室先輩が、憎悪を押し殺したような低い声で唸る。


『私の最高傑作、被験体4618番』


「挨拶はいいわ、三流科学者」


会長が退屈そうに口を挟んだ。彼女は天井のカメラを見上げ、蔑むような視線を送る。


「貴方の駄作(氷室)は、今は私の所有物よ。勝手に話しかけないでくれるかしら? 中古品に傷がつくわ」


『相変わらず口の減らない女だ……だが、ここへ踏み込んだことを後悔させてやろう』


男の声が冷徹な響きを帯びる。


『ここは研究所の最深部であり、同時に最強の(トラップ)でもある。貴様らは、自ら墓穴に入ったのだよ』


重低音と共に、部屋の壁がスライドした。現れたのは、無数の格納庫。そこから整然と行進してくる影があった。


「うそ……だろ……」


俺は絶句した。数にして百以上。全身を漆黒のパワードスーツに包み、顔全体を覆うヘルメットからは赤いセンサーの光が漏れている。手には大型のアサルトライフル、腰には高周波ブレード。

さっきまでのゾンビのような「失敗作」や装備が充実しただけの強化兵士とは違う。洗練された、殺戮のための軍隊だ。


『強化兵士部隊「ケルベロス」。科学と呪術の粋を集めた、対・超常存在用の決戦兵器だ。魔女殿、いくら貴女でもこの数を捌き切れるかな?』


一斉に銃口が向けられる。逃げ場はない。入口の扉はロックされ、周囲は完全包囲されている。詰んだ。今度こそ、人生が詰んだ。


「会長! ここは私が道を切り開きます!」


氷室先輩が二丁拳銃を構え、前に出ようとする。


「待て待て、氷室君! まずは私のマッスル・バリケードで敵の弾薬を消耗させるのが先決だ!」


その時、天井が破壊され、何かが落ちてきた。


「待たせたな! ヒーローは遅れてやってくるもんだぜ!」


桃だった。彼女は俺たちと強化兵士部隊との間に着地すると、素早く氷室先輩の元に飛ぶ。


「雑魚ばっかりで飽き飽きしていたんだ。コイツらなら少しは張りがありそうだぜ」


二人に桃が加わり、全員が戦闘態勢に入る。それでも百以上対三、数の差は絶望的だった。

だが、会長は動かなかった。日傘をくるりと回し、ため息をつく。


「……はぁ。芸がないわね」


彼女は、圧倒的な戦力差を前にして、心底「飽き飽きしている」様子だった。


「モブのやることは昔から同じ。数で囲んで、優位に立ったつもりになって、最後は泣き叫んで死ぬ……学習能力がないのかしら?」


会長が氷室先輩たちを手で制する。


「下がっていなさい。これも私の『掃除』よ」


「しかし会長!」


「命令よ……それに、本命の掃除場所はここじゃないわ」


会長は、俺たちの足元――床を指差した。


「この下よ。さらに地下深くに、別の反応があるわ。博士も、私が探している『忘れ物』も、そこにいる」


「地下……? でも、どうやって?」


「分断するわ」


会長が不敵に微笑む。


「ペット、貴女は通気ダクトから回って、別の区画で派手に暴れてきなさい。敵の戦力を分散させる囮役よ」


「あ? なんで私が囮なんだよ! 一番強い奴とやりてぇんだよ!」


「文句があるなら給料カットよ」


「チッ! やりゃいいんだろやりゃ! 見てろよ、研究所ごと粉砕してやる!」


桃は悪態をつきながら、驚異的な跳躍力で天井の通気口を蹴破り、姿を消した。ダクト内を移動する音が遠ざかっていく。


「さて、残りの三人は」


会長が俺と氷室先輩、そして社長を見る。


「貴方たちは『本体』を目指しなさい。ここにある業務用エレベーターのシャフトを使えば、下に降りられるわ」


「会長はどうされるのですか?」


「私はここで、この粗大ゴミたちを処分してから行くわ……さっきよりは運動不足の解消になるでしょうしね」


彼女は楽しそうに、殺意に満ちた兵士たちの群れを見渡した。


「さっさと行きなさい。私のショータイムの邪魔よ」


有無を言わせぬ圧力。氷室先輩は一瞬だけ躊躇したが、すぐに深く頭を下げた。


「……承知いたしました。ご武運を」


「行くぞ佐藤君! 会長の邪魔をしてはいけない!」


社長が俺の襟首を掴み、部屋の隅にあるエレベーター扉へ向かって走り出す。氷室先輩が電子ロックを解除し、扉をこじ開けた。


「あっ、ちょ、待っ……!」


俺が振り返ると会長が一人、黒い軍勢の真ん中に立っていた。彼女はこちらを見向きもしない。

ただ、背中で語っていた。『私の庭で騒ぐ雑草は、根こそぎ刈り取るのがマナーよ』と。

エレベーターの扉が閉まる直前。俺は見た。兵士たちが一斉に発砲し、マズルフラッシュが会長を飲み込む瞬間を。




エレベーターシャフトを、ワイヤーを伝って降下する。上からは、激しい銃声と爆発音が聞こえてくるはずだった。

だが、聞こえてくるのは――静寂だった。不気味なほどの静けさ。それが逆に、上で起きている事態の異常さを物語っていた。


「……大丈夫なんでしょうか、会長は」


俺は梯子を降りながら、震える声で聞いた。相手は百人の強化兵士だ。いくらなんでも、一人では無謀すぎるのではないか。


「心配無用だ、佐藤君!」


俺の下で、ワイヤーを素手で掴んでスルスルと降りている社長が答える。


「会長はこの会社の頂点! つまり、筋肉ヒエラルキーの最上位に君臨する存在だ! 物理法則など、彼女の前では準備運動にもならん!」


「筋肉関係ないでしょ……」


「社長の言う通りです」


俺の上から、氷室先輩の冷たい声が降ってくる。


「あの御方は『鏖殺の魔女』です。人の形をした災害です。心配すべきは会長の安否ではなく、敵があまりにも早く全滅して、会長が退屈しないかどうかです」


「……そんなに強いんですか」


「強い、という言葉では表現できません。先ほどの強化兵士との戦い、いえアレは戦いではありません。あの御方にとってはゴミ掃除です……それに貴方はまだ、あの御方の『本質』を見ていないだけです」


氷室先輩の声には、畏怖と、そして微かな諦めのようなものが混じっていた。


「それよりも、新人君」


「は、はい」


「……ありがとう」


「え?」


唐突な感謝に、俺は動きを止めた。


「何がですか?」


「私の過去……見ましたよね。実験体だとか、廃棄処分だとか」


「あ、はい。まあ、チラッと」


「軽蔑しましたか? 人間ではない、作られた化け物だと」


氷室先輩は、顔を伏せたまま言った。いつもの鉄壁の仮面が剥がれ落ち、そこには年相応の少女の不安が覗いていた。

彼女はずっと、このことを隠していたのだ。自分が「普通」ではないことを。俺は溜息をついた。


「先輩」


「……はい」


「俺、この会社に入ってから何を見てきたと思います?」


「え?」


「パンツ一丁で雪山を登る社長。角が生えた鬼の同僚。理不尽な暴力を振るう幼女会長……それに比べたら、『実は研究所育ちです』なんて、キャラ設定としては地味すぎますよ」


「……地味、ですか」


「はい。それに、先輩は先輩じゃないですか。俺の黒歴史ポエムを赤ペンで添削するような、性格の悪い先輩ですよ」


俺の言葉に、上の方で沈黙が続いた。やがて、小さく吹き出すような音が聞こえた。


「……ふっ。性格が悪い、は余計です」


「事実でしょう」


「そうですね……ありがとうございます、佐藤君」


声のトーンが、いつもの冷静なものに戻っていた。だが、先ほどまでの張り詰めた冷たさは消えている。


「下につきます……さあ、行きましょう。私の『オリジナル』を破壊しに」




一方、地上――研究所最深部。そこは、もはや部屋ではなかった。赤と黒の絵の具をぶちまけたような、抽象画の世界と化していた。


「な、なんなんだ……お前は……!」


生き残った強化兵士の一人が、腰を抜かして後ずさる。彼の周りには、かつて仲間だった「肉塊」が散乱していた。

銃弾の跡はない。爆発の焦げ跡もない。ただ、切断されていた。まるで、見えない巨大な刃物が、空間ごと彼らを切り刻んだかのように。

その惨劇の中心に会長は立っていた。一滴の返り血も浴びていない。ドレスの裾さえ乱れていない。彼女は日傘を閉じ、コツ、コツ、とヒールの音を響かせて歩み寄る。


「質問してもいいかしら?」


会長は、怯える兵士の前にしゃがみ込み、子供に言い聞かせるように優しく微笑んだ。


「貴方たち、自分が『強い』と思っていた?」


「ひ、ひぃ……!」


「最新の装備、強化された肉体、圧倒的な数……それで、私に勝てると思った?」


兵士は言葉が出ない。勝てると思っていた。相手はただの少女だ。物理的な質量差で押し潰せると信じていた。

だが、現実は違った。一斉射撃を行っても、銃弾は彼女の皮膚に触れる直前で「停止」し、ポロポロと床に落ちた。彼女が指を振れば、仲間たちの手足が玩具のように外れた。

彼女が瞬きをすれば、首が飛んだ。魔法? 超能力?  そんな生易しいものではない。これは「(ことわり)」の拒絶だ。

御堂アリスという存在に対し、物理法則そのものが遠慮をして、彼女を傷つけることを拒否しているかのようだった。


「教えてあげるわ。強さというのはね、武器の性能でも、筋肉の量でもないの」


会長が兵士の頬に手を添える。その手は、氷のように冷たかった。


「『自分以外の全てを見下せるかどうか』。ただそれだけよ」


彼女にとって、この兵士たちは人間ではない。道端の石ころや、部屋の隅の埃と同じ。掃除機で吸い込むことに、罪悪感を覚える人間がいるだろうか?

いない。だから彼女は、躊躇いなく、慈悲もなく、そして退屈そうに、命を摘み取ることができる。


「あ、あぁ……助け……」


「助けないわよ。だって貴方、ゴミだもの」


会長が指をパチンと鳴らす。兵士の頭部が、内側から破裂したように潰れた。悲鳴すら上げる暇もなかった。


「……ふぅ。あと三十人かしら」


会長は立ち上がり、残りの兵士たちを見渡した。彼らは既に戦意を喪失している。武器を捨て、ガタガタと震え、あるいは失禁している者もいる。

だが、会長の瞳には、憐憫の色など微塵もない。


「さあ、ゲームの続きよ」


彼女はスカートの裾を摘み、優雅にカーテシー(膝を折る礼)をした。


「死にたくないなら逃げなさい。全力で、無様に、泥水を啜ってでも生にしがみつきなさい……豚のような悲鳴を上げてね」


それが合図だった。兵士たちが蜘蛛の子を散らすように逃げ出す。閉じられた扉を叩き、爪を立て、仲間を押しのけて出口を探す。しかし、扉は開かない。博士がロックしたままだからだ。


「あはは! いいわ、その必死な顔! 最高に傑作!」


会長が嗤う。鈴を転がすような、無邪気で可憐な嗤い声。その声に合わせて、彼女の手が踊る。右手を振れば、逃げる兵士の右足が消滅する。左手を振れば、扉を叩く兵士の両腕が落ちる。

それは戦闘ではなかった。一方的な蹂躙。『鏖殺(おうさつ)』という言葉の意味を、実演しているだけだった。


「もっと! もっと鳴きなさい! 私の退屈を紛らわせてちょうだい!」


血の海でワルツを踊る魔女。彼女にとって、人の命は消耗品であり、悲鳴はBGMであり、絶望は最高のスパイスだった。数分後。部屋には、立っている者は一人しかいなかった。


「……終わっちゃった」


会長は静まり返った部屋の真ん中で、退屈そうに息を吐いた。周囲は見るも無残な有様だが、彼女だけは、まるで別次元から切り取ったように美しいままだ。


『バ、バケモノめ……!』


スピーカーから、博士の震える声が聞こえてきた。先ほどの余裕は消え失せ、恐怖と焦りが滲んでいる。


『人間のすることではない! 貴様は悪魔か!』


「悪魔? 失礼ね」


会長は天井のカメラを見つめ、にっこりと微笑んだ。


「私はただ『掃除』をしに来ただけよ……待っていなさい。すぐにそっちも綺麗にしてあげるから」


彼女はエレベーターの扉へ向かう。その足取りは軽い。メインディッシュはこれからだ。

地下で待つ「本体」と、愚かな科学者。彼らがどんな顔で絶望するのか、それを想像するだけで、彼女の心は高揚感に包まれていた。


「さて、おもちゃたちはちゃんと役に立っているかしら」


彼女は鼻歌交じりに、暗いシャフトの底へと降りていった。災厄が、地下へと満ちていく。

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