07.第七話
山道を行く黒塗りのワンボックスカーは、葬儀の霊柩車よりも重苦しい空気を纏っていた。時刻は深夜二時。文明の光が届かない山奥の道路を、俺たちが乗った車だけが走っている。
「……あの、会長。そろそろ教えてくれませんか」
俺――佐藤健太は、運転席のハンドルを握りながら、恐る恐る後部座席に声をかけた。バックミラーに映るのは、優雅に足を組んで窓の外を眺める会長と、その横で彫像のように無表情な氷室先輩。
そして、三列目のシートでは、桃が愛用のポリッシャーを抱いて貧乏ゆすりをし、神宮寺剛社長が「車内トレーニング」と称して空気椅子をしている。
「教えてって、何を?」
「行き先ですよ。ナビにも載ってない獣道に入ってから三十分経ちますけど、本当にこの先に現場があるんですか?」
「あるわよ。地図から消された場所だから、載っていないのは当然だけど」
消された場所。その響きだけで、俺の胃袋はキリキリと悲鳴を上げた。数時間前に食べた高級ショートケーキが逆流しそうだ。
「到着まであと五分です」
助手席でタブレットを見ていた氷室先輩が、事務的な声で告げる。彼女は今夜、いつものメイド服ではない。動きやすさを重視した黒いタクティカルスーツのような衣装を着込んでいる。
ただし、エプロンとカチューシャだけは外していないので、どこからどう見ても「戦闘用メイド」だ。
「よし。おもちゃ、ライトを消しなさい」
「えっ、こんな山道で?」
「いいから消せ。見つかったら面倒だろ」
桃にドスを利かされ、俺は慌ててヘッドライトを消した。闇。完全なる漆黒が視界を覆う。だが、社長が低い声で囁いた。
「心配するな佐藤君。私の大胸筋がソナーのように地形を感じ取っている。右だ」
「あんたの筋肉は何でもありかよ!」
半信半疑でハンドルを切る。すると、鬱蒼とした木々の隙間から、巨大なコンクリートの塊が姿を現した。
「……なんだ、あれ」
それは、廃墟だった。かつては何かの工場か、研究所だったのだろうか。無機質なビル群が、墓標のように静まり返っている。
だが、ただの廃墟ではない。建物の周囲には高いフェンスが張り巡らされ、要所要所にサーチライトが設置されている。そして、フェンスの内側を巡回しているのは――。
「……兵隊?」
迷彩服に身を包み、アサルトライフルを携行した男たち。どう見ても警備員レベルではない。正規軍の装備だ。
「ここ、日本ですよね? なんで軍隊がいるんですか?」
「民間軍事会社(PMC)よ。金で雇われた番犬ね」
会長はつまらなそうに鼻を鳴らした。
「止めて。ここから歩くわ」
車を降りた俺たちは、森の茂みに身を潜めながらフェンスに近づいた。冷たい夜風が肌を刺す。俺の格好は、いつものジャージ。武器はなし。防御力ゼロ。対する仲間たちは――。
会長、ゴシックドレスに日傘(夜なのに)。氷室先輩、戦闘用メイド服に、両手には銀色の大型拳銃。社長、高級スーツ(パツパツ)。桃、キメラ・メイド服(犬耳装備)に、背中にはいつものポリッシャー……ではなく、布に包まれた長細い棒状の何か。
カオスだ。ハロウィンの仮装行列が紛争地帯に迷い込んだとしか思えない。
「さて、どうするんですか? 隠密で潜入?」
俺が小声で聞くと、会長は不思議そうな顔をした。
「隠密? なんでコソコソしなきゃいけないの。ここは私の庭よ?」
「いや、バリバリに警備されてますけど」
「不法占拠者には、出て行ってもらわないとね」
会長は扇子で桃の背中を叩いた。
「ペット。出番よ」
「へいへい。やっとかよ」
桃が前に出る。彼女はニヤリと凶悪な笑みを浮かべ、背中の包みを解いた。現れたのは、黒光りする鉄の塊。
表面には無数の棘が植え込まれている。それは、どう見ても――。
「……金棒?」
鬼に金棒。ことわざ通りの武装だ。長さ二メートルはある金属の塊を、桃は小枝のように軽々と振り回した。
「おい、そこの不法投棄ゴミどもぉぉ!!」
桃が大声で叫びながら、フェンスに向かって走り出した。隠れる気ゼロだ。
「敵襲! 敵襲!」
「なんだあの女は!?」
警備兵たちが反応し、サーチライトが一斉に桃を照らし出す。銃口が彼女に向けられる。
「撃てぇぇ!!」
乾いた銃声が森に響き渡る。俺は頭を抱えてしゃがみ込んだ。終わった。蜂の巣だ。
「ぬるいんだよォォォ!!」
だが、聞こえてきたのは悲鳴ではなく、金属がひしゃげる轟音だった。顔を上げると、信じられない光景が広がっていた。
桃が金棒を一振りするだけで、飛来する銃弾が弾き返され、火花を散らしている。いや、弾いているだけではない。彼女は弾丸の雨の中を突っ切り、フェンスごとゲートを吹き飛ばしていた。
「ヒャッハァァァ! パーティの始まりだァァァ!!」
桃が金棒を横に薙ぐ。それだけで、土嚢を積んだバリケードが爆散し、後ろにいた兵士たちがボウリングのピンのように宙を舞った。
「ば、バケモノか!?」
「RPGを持ってこい!」
現場は一瞬で阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。人がゴミのように飛び、鉄が紙のように裂ける。
桃の金棒は、ポリッシャーのような「掃除用具」ではない。純然たる「殺傷兵器」だ。彼女のリミッターが外れているのが分かる。
「あらあら、元気ねぇ」
その惨状を、会長はまるでオペラでも鑑賞するように眺めていた。
「メイド、撮影は?」
「問題ありません会長。バッチリです」
見れば、氷室先輩が業務用の巨大なビデオカメラを構えていた。レンズの先には、暴れ回る桃の姿。
「8K画質、六〇フレームで記録中です。血飛沫の一滴まで鮮明に映っております」
「なんで撮ってんすか!?」
「記録用です。後で会長がポップコーンを食べながら鑑賞するために」
「趣味が悪すぎる!」
俺たちが悠々と正面ゲート(だった残骸)を通過すると、生き残った兵士たちが震えながら銃を向けてきた。
「ひ、ひるむな! 撃て! あのゴスロリ女が親玉だ!」
数人の兵士が、会長に狙いを定める。俺は反射的に前に出ようとした――が、それより速く、巨大な影が動いた。
「我が社の会長に指一本触れさせん!」
神宮寺社長だ。彼はスーツ姿のまま、兵士たちの前に立ちはだかった。
「死ねぇ!」
至近距離からのフルオート射撃。社長の体に、無数の銃弾が吸い込まれていく。
「しゃ、社長ぉぉぉ!!」
俺の絶叫。しかし。軽い金属音がして、ひしゃげた弾丸が足元に転がった。
「……ふむ。イタリア製の生地は肌触りがいいが、防弾性能はいまいちだな」
社長は、穴だらけになったスーツを悲しげに見下ろした。その下の皮膚は――無傷。いや、正確には「筋肉が硬すぎて弾丸が通らなかった」のだ。
「な、なんだこいつは……! ターミネーターか!?」
「ノンノン。私はボディビルダーだ」
社長はニカっと笑い、ダブルバイセップスのポーズを取った。
「さあ、私の大胸筋と語り合おうか!」
「いやぁぁぁぁ!!」
兵士たちが戦意を喪失して逃げ出す。無理もない。物理攻撃が効かないピンク髪の鬼と、銃弾を弾くマッチョ。勝てるわけがない。
外周の敵を掃討(というより一方的な蹂躙)し、俺たちは施設の中へと足を踏み入れた。外の喧騒とは対照的に、建物の中は不気味なほど静まり返っていた。
カビと埃、そして薬品の混じったツンとする臭いが鼻をつく。
「……ここ、何だったんですか?」
俺は懐中電灯で足元を照らしながら聞いた。床には書類が散乱し、ガラス片が散らばっている。壁には何かの爪痕のような傷が無数に刻まれていた。
「研究所よ」
会長が短く答える。彼女は迷いのない足取りで、奥へ奥へと進んでいく。
「何を研究していたんですか?」
「『人工的な除霊師』を作る実験場」
その言葉に、俺は息を呑んだ。人工的な、除霊師。
「二十年前の大戦で、優秀な霊能力者はほとんど死に絶えたわ。残ったのは無能な政府と、力のない一般人だけ……そこで、馬鹿な大人たちは考えたのよ」
「除霊師がいないなら、作ればいい、と?」
「ご名答。科学と呪術を融合させて、霊を殺すためだけの生体兵器を量産しようとしたの。孤児や、身寄りのない子供たちを素材にしてね」
会長の声は淡々としていたが、そこには底知れぬ軽蔑が含まれていた。俺は散らばっている書類の一つを拾い上げた。『被験体No.4610 廃棄処分』『霊的適合率 12% 失敗』そんな文字が並んでいる。
「ひどい……」
「効率は悪かったみたいね。適合する素体は一万人に一人。それ以外は、精神が崩壊するか、肉体が異形化して『廃棄』されたわ」
会長は、ある扉の前で立ち止まった。重厚な鉄の扉。そこには『中央管理室』と書かれている。
「私は五年前にここを潰したの。研究データも、設備も、関係者も、ぜーんぶ灰にしてあげたわ」
「じゃあ、なんでまたここに来たんですか?」
「一つだけ、回収し忘れたデータがあったからよ」
会長が氷室先輩を見る。氷室先輩は無言で頷き、扉の電子ロックに手をかざした。
彼女の手のひらから、微弱な青い光が走る。『認証:管理者権限』電子音声と共に、ロックが解除された。
「……え?」
俺は氷室先輩を見た。なぜ、彼女がここのロックを開けられる? 管理者権限?
「氷室……先輩?」
「……急ぎましょう。奥で『それ』が待っています」
彼女は俺の問いかけには答えず、先へと進んでいった。その横顔は、いつものクールな表情だったが、どこか痛々しいほどに張り詰めて見えた。
地下へと続く階段を降りるにつれて、空気の質が変わっていった。濃厚な霊気が漂っている。それも、自然発生した悪霊のものではない。もっと人工的で、歪な気配だ。
「おい、なんか来るぞ」
先頭を歩いていた桃が足を止めた。彼女の犬耳がピクリと動く。
「数は?」
「二十……いや、三十か。壁の向こう、天井、床下。囲まれてるな」
桃が金棒を構え直す。次の瞬間、通路の四方八方から、異形の影が飛び出してきた。
それは、人ではなかった。四つん這いで走る、青白い肌の怪物たち。目は白濁し、口からは長い舌が垂れ下がっている。
だが、その体には無機質な機械が埋め込まれていた。腕がブレードになっていたり、背中にタンクを背負っていたりする。
「なっ、なんだコイツら!?」
「『失敗作』よ」
会長が冷たく言い放つ。
「除霊師になれなかった成れの果て。霊的な負荷に耐えきれず、悪霊に乗っ取られた元・人間ね」
元、人間。その言葉に、俺は動きを止めてしまった。こいつらも、かつては人間だったのか? 子供だったのか?
「佐藤君、下がるんだ!」
呆然とする俺の前に、社長が飛び出した。怪物の鋭い爪が、社長の胸板を切り裂こうとする。金属音が響き、爪の方が折れた。
「硬っ!?」
「私の筋肉密度はダイヤモンドに匹敵する! ……ふんッ!」
社長が剛腕を振るう。ラリアットの一撃で、怪物の首が不自然な方向にねじ曲がり、吹き飛んだ。
「オラオラオラァ! 邪魔だ雑魚ども!」
桃もまた、踊るように金棒を振り回していた。彼女の一撃は重い。触れただけで怪物の胴体が破裂し、肉片と機械部品が飛び散る。
圧倒的な戦闘力。だが、敵の数が多い。次から次へと湧いてくる。
「キリがねぇな! クソアマ、先に行ってくれ! ここは私が食い止める!」
「頼んだわよ、ペット」
会長は一瞬の躊躇もなく歩き出した。俺と氷室先輩、そして社長がそれに続く。
「おい新人! 死ぬんじゃねぇぞ!」
背後で桃の怒号と、肉が潰れる音が響いた。俺は振り返らずに走った。
地下最深部。そこは、巨大なドーム状の空間になっていた。壁一面に並ぶモニター。
中央には、天井まで届くような巨大な円筒形の培養槽が鎮座している。カプセルの中は緑色の液体で満たされており、ブクブクと泡が立っていた。
「到着ね」
会長がカプセルの前で立ち止まる。俺は荒い息を整えながら、周囲を見渡した。
誰もいない。研究員も、兵士も。ただ、カプセルの中に浮かぶ「何か」だけが、不気味な存在感を放っている。
「……これが、回収し忘れたデータですか?」
「いいえ。中身は空っぽよ」
会長がカプセルのガラスをコツコツと叩く。よく見ると、中には何も入っていない。ただ培養液が循環しているだけだ。
「空? じゃあ、なんでこんな厳重に……」
「時間稼ぎよ」
その時だった。スピーカーから、ノイズ混じりの笑い声が響き渡った。
『ようこそ、魔女殿。そして裏切り者の4618番』
しゃがれた男の声。氷室先輩の肩が、ビクリと跳ねた。
「……博士」
『感動の再会だな。五年ぶりか? まさかお前が、自らここに戻ってくるとはな』
氷室先輩が、憎悪を込めて天井のスピーカーを睨みつける。いつもの冷静な彼女からは想像もつかない、激しい感情の揺らぎ。
「4618番……それが、氷室先輩の番号……?」
俺は理解した。氷室先輩は、ここの職員ではない。彼女こそが、この施設で作られた「人工除霊師」の成功例――あるいは生き残りなのだと。
『せっかく来てくれたんだ。とっておきの歓迎をしてやろう』
部屋の周囲にあった複数の扉が、一斉に開いた。そこから現れたのは、さっきの「失敗作」とは違う。
全身を黒いパワードスーツで覆い、手には呪術的な刻印が施されたブレードを持った兵士たち。その数、およそ五十。
「強化兵士ね。安っぽいオモチャだわ」
会長は包囲されても、眉一つ動かさなかった。日傘をくるりと回し、優雅に微笑む。
「会長、ここは私が!」
氷室先輩が銃を構えて前に出る。だが、会長はそれを手で制した。
「いいえ。貴女たちは下がっていなさい」
「しかし!」
「これは私の『掃除』よ。私の庭で騒ぐ雑草は、根こそぎ刈り取るのがマナーでしょ?」
会長が一歩、前に踏み出す。その瞬間、空気が変わった。重力が増したような圧迫感。彼女を中心にして、世界の色が反転したような錯覚を覚える。
兵士たちが一斉に襲いかかってくる。ブレードが振り下ろされ、銃口が火を噴く。逃げ場はない。物理的に、彼女は死ぬはずだった。
「……目障りよ」
会長が、退屈そうに指を振った。ただ、それだけ。魔法の呪文も、派手なエフェクトもない。ただの指揮者のような、優雅な手振り。
なのに先頭を走っていた兵士の体が、弾けた。まるで内側から爆弾が破裂したように、血と肉片となって四散する。
「え?」
俺が声を上げる間もなく、二り目、三人目が続く。会長が指を弾くたびに、兵士たちが「見えない何か」によってミンチに変えられていく。
銃弾は彼女の目前でピタリと止まり、ポロポロと床に落ちる。物理法則が仕事をしていない。
「な、なんだ……! 何が起きている!?」
兵士たちが動揺し、足を止める。だが、虐殺は止まらない。
「右手が邪魔ね」
会長が呟けば、兵士たちの右腕が一斉に切断される。
「足音がうるさいわ」
彼女が眉をひそめれば、兵士たちの足首が消滅し、全員が床に崩れ落ちる。
それは戦闘ではなかった。一方的な、理不尽な、絶対的な「処理」。汚れた部屋を掃除機で吸い取るような、淡々とした作業だった。
「ひ、ひぃぃぃ! バケモノだ!」
「助けてくれぇ!」
生き残った兵士たちが、這いずりながら逃げようとする。だが、会長は逃がさない。
「死にたくないなら逃げなさい。無様に、豚のような悲鳴をあげてね……それが私のBGMよ」
彼女は恍惚とした表情で、血の海の中を歩く。ドレスの裾は一滴の血も吸っておらず、白磁の肌は返り血ひとつ浴びていない。
美しい。そして、決定的に恐ろしい。俺は震えが止まらなかった。これが、御堂アリス。かつて国を相手に戦争をし、裏社会を震撼させた者の真の姿。
彼女が「鏖殺の魔女」と呼ばれていた理由を俺は嫌という程知る。俺は今まで、こんな怪物を相手に「給料上げてください」とか言っていたのか。
数分後。動くものはいなくなった。五十人の強化兵士は、文字通り「掃除」され、肉塊の山と化した。
「……ふぅ。少しは運動になったかしら」
会長は日傘を閉じ、つまらなそうに言った。
「メイド、筋肉、おもちゃ。行くわよ」
「ど、どこへですか……?」
「決まってるでしょ。博士がいる管制室よ……メインディッシュはこれからなんだから」
会長が歩き出す。俺たちは無言でその背中を追った。血の海を踏み越え、地獄のさらに奥底へと続く扉へ向かって。
この夜は、まだ終わらない。むしろ、本当の悪夢はここから始まるのだと、俺の本能が告げていた。




