森に残る影
辺境領に、重たい雲が垂れ込めていた。
夕方になると、山から湿った風が吹き下ろし、草原をざわつかせる。
古い館の二階、窓辺に立つレオン=アルヴェインは、同じ場所を見続けていた。
森の縁。
何も見えない。
だが、数日前からずっと、そこに「誰か」がいる。
「……今日も、ですね」
背後で、セレナが小さく息を吐いた。
「ええ」
レオンは頷く。
「獣にしては静かすぎます。
人にしては、慎重すぎる」
部屋の壁にもたれていたガルドが、短く言った。
「訓練を受けてる動きだ」
ガルドはそれ以上言わなかった。
そのとき、レオンの視界に淡い文字が浮かぶ。
回収可能対象:未確定
距離:近
状態:警戒
「……やっぱり来てる」
レオンは外套を羽織った。
「一人で行くよ」
「危険よ」
「刺激したくないからね」
ガルドが一歩前に出る。
「俺は距離を取ってつく」
「お願いします」
セレナは、少しだけ不安そうにレオンを見た。
「無理はしないで」
「はい」
⸻
森の縁は、昼間よりもずっと暗かった。
木々が光を遮り、地面は湿っている。
足音を立てれば、すぐに分かる場所だ。
それでも、誰かが歩いた痕跡はある。
(……慣れてる)
レオンは剣に手を伸ばさず、声を出した。
「出てきてください」
返事はない。
「追い出しません」
間を置いて、続ける。
「捕まえもしない」
空気が、わずかに動いた。
藪の奥。
枝の影が揺れ、人影が現れる。
少女だった。
年の頃は、十四、五くらい。
痩せてはいるが、子供というより、まだ成長しきっていない少女だ。
外套は古く、靴も擦り切れている。
だが、立ち方はしっかりしていた。
「……ここから、離れない」
低く、警戒を隠さない声。
「理由を、聞いても?」
「言わない」
即答だった。
レオンは一歩も近づかず、その場に立つ。
「ここは、もう捨てられた土地です」
少女の目が、わずかに細くなる。
「だから、誰のものでもない」
「……違う」
「?」
「ここは、私が生き残った場所」
言葉は短いが、重かった。
レオンは膝をつき、目線を合わせた。
「名前は?」
「……聞かないで」
「分かりました」
少女は、少しだけ目を見開く。
「……普通、聞く」
「無理に知る必要はないから」
沈黙。
少女は、視線を逸らしながら言った。
「……あんた、変」
「よく言われます」
一瞬、口元が動いた。
笑いかけたのか、それとも癖か。
分からない。
レオンは、静かに続けた。
「ここにいていい。
ただし、危険がある時は知らせてほしい」
「……命令?」
「お願い、ですよ」
少女は、しばらく考えてから言った。
「……考える」
その瞬間、レオンの視界に文字が浮かぶ。
回収可能対象:仮認識
年齢:推定十四
条件:信頼
未達成
(……やっぱり)
「今日は、これで終わりにします」
少女は、数歩後ずさる。
「……また来る?」
「ええ」
「……なら」
一瞬、言葉に詰まってから、少女は言った。
「……夜は、来ないで」
「分かりました」
彼女は、それだけ言い残し、森の闇に消えた。
⸻
館に戻ると、セレナがすぐに聞いてきた。
「どうだった?」
「まだ幼さの残る少女です」
「……一人で?」
「ええ」
ガルドが低く唸る。
「生き方を知ってる目だった」
「はい」
レオンは、窓の外を見る。
森は静かだ。
「焦る必要はありません」
彼は、静かに言った。
「信頼は、時間をかけて回収します」
捨てられた土地に、
居場所を失った少女がいる。




