届かない声は、まだそこにある
朝靄が、村の外れに残っていた。
畑の向こう、森へと続くなだらかな道。
そこに、見慣れない足跡があった。
ガルドはしゃがみ込み、指先で土をなぞる。
深さ、向き、間隔。
しばらく見つめてから、静かに立ち上がった。
「……人だ」
それだけ言って、道の先を見る。
「何人くらいですか」
「……一人。荷が重い」
逃げているわけではない。
だが、急いでもいない。
どこか、行き先を決めきれない足取り。
そんな印象だった。
セレナも足跡を覗き込み、眉をひそめる。
「靴が違うわね。王都のものでも、村のものでもない」
「外から?」
「ええ。たぶん、追い出された側」
その言い方に、俺は何も返さなかった。
否定する理由がない。
昼過ぎ。
村に、噂が流れ始める。
森の近くで、人影を見た。
夜、焚き火の光が一瞬だけ見えた。
だが、近づくと誰もいなかった。
ガルドは、巡回の範囲を少し広げた。
村人には、無理に外へ出ないよう伝える。
その判断に、異論は出なかった。
ここでは、言葉より行動の方が信頼される。
夕方。
セレナが帳簿を閉じ、窓の外を見る。
「……気配が薄いのに、消えないわね」
「消えるつもりがないのかもしれません」
「居場所を探してる?」
その言葉が、室内に残った。
夜。
風が強く、木々が擦れる音がする。
館の裏手、古い倉庫の近く。
そこに、わずかな物音がした。
ガルドが合図を送り、俺は足音を殺して近づく。
闇の中、何かが動いた。
人影。
だが、こちらに気づくと、その影は一歩下がった。
逃げない。
構えもしない。
ただ、距離を取る。
月明かりに、輪郭だけが浮かぶ。
細い体。
大きな荷袋。
顔は、よく見えない。
しばらく、誰も何も言わなかった。
風の音だけが、間を埋める。
やがて、その影が、かすれた声で言った。
「……ここは、まだ……」
続きは、聞き取れなかった。
言葉が、途中で途切れる。
ガルドが一歩前に出る。
「ここは、アルヴェイン領だ」
影は、少しだけ身じろぎした。
それ以上、近づかない。
だが、去りもしない。
数秒後。
影は、ゆっくりと後退し、闇に溶けるように消えた。
追うことはしなかった。
必要なのは、捕まえることではない。
存在を、否定しないことだ。
館に戻る途中、セレナが小さく言った。
「……声が、弱かった」
「ええ」
「長くは、もたないかもしれない」
俺は、夜空を見上げる。
星は変わらず、そこにある。
だが、地上では、まだ行き場を失った者がいる。
胸の奥で、スキルが反応しかけて、止まった。
回収条件、未達。
まだ、手を伸ばす段階ではない。
だが、確かに、次の対象は近くにいる。
声にならない助けを、
こちらは、もう聞いてしまった。
気づいてしまった以上、
見なかったことには、できない。
夜は、まだ深い。
だが、この領地は、静かに次の朝を待っていた。




