リリア
私は、小さな頃から体が弱かった。
走れば息が切れる。少し動けば熱が出る。
同じ年頃の子供たちが外で遊んでいるのを、窓から眺めているだけの毎日だった。
でも、寂しくはなかった。
私には、ユリウスと言う名の兄がいたから。
「リリア、今日は気分どうだ?」
兄さんはいつも優しかった。
私が寝込んでいると、本を読んでくれた。
外で珍しい花を見つけると、摘んできてくれた。
私のために、いつも何かをしてくれた。
お父さんとお母さんも、私を大切にしてくれた。
お父さんは仕事で疲れていても、私の頭を撫でてくれた。
お母さんは毎日、体にいい料理を作ってくれた。
貧しくはなかったけど、裕福でもなかった。
それでも、私たちは幸せだった。
……でも。
私は気づいていた。
私のせいで、みんなに苦労をかけていることに。
薬代がかかる。医者を呼ぶお金もかかる。
お母さんの服がずっと同じなのも、お父さんが夜遅くまで働いているのも、全部私のせいだ。
私さえいなければ、みんな楽になれるのに。
そう思うことが、何度もあった。
◆◆◆
ある日、兄さんが言った。
「俺、錬金術の勉強を始めることにした」
「錬金術?」
「ああ。薬も作れるし、お金も稼げる。リリアの病気だって、きっと治せる」
兄さんの目は、真剣だった。
「待ってろよ、リリア。俺が絶対に治してやるから」
それから兄さんは、毎日勉強するようになった。
分厚い本を読み、実験を繰り返し、夜遅くまで研究を続けた。
私のために。
私なんかのために。
嬉しかった。でも、申し訳なかった。
◆◆◆
私が十二歳になった日。
兄さんが、プレゼントをくれた。
「これ、俺が作ったんだ」
小さな箱を開けると、そこには美しいペンダントがあった。
中央に輝く緑色の石。
「生命の魔石っていうんだ。これをつけていると、体が楽になる」
「兄さんが……作ったの?」
「ああ。まだ完璧じゃないけど……つけてみてくれ」
首にかけた瞬間、体が軽くなった。
いつも締め付けられていた胸が、すっと楽になる。
「すごい……すごいよ、兄さん!」
「よかった……」
兄さんは、泣きそうな顔で笑った。
このペンダントは、私の宝物になった。
どこに行くときも、肌身離さず持っていた。
◆◆◆
でも、病気は止まらなかった。
十三歳になった頃、私は血を吐くようになった。
お医者様が来て、私を診察して、そして言った。
「申し訳ありませんが……もう長くはないでしょう」
お母さんが泣き崩れた。
お父さんは拳を握りしめて、何も言えなかった。
兄さんは、お医者様に詰め寄った。
「何でもします! 何でもしますから、どうか妹を!」
「気持ちはわかります。しかし、この病気には治療法がないのです」
「そんな……そんなはずない!」
兄さんの叫びが、部屋に響いた。
私は何も言えなかった。
ただ、ごめんなさいと思った。
◆◆◆
それから兄さんは、狂ったように調べ物を始めた。
古い文献を読み漁り、各地の錬金術師に手紙を送り、どんな噂でも追いかけた。
そしてある日、兄さんが言った。
「見つけた」
「何を?」
「賢者の石だ」
兄さんの目が、ギラギラと輝いていた。
「賢者の石があれば、エリクサーが作れる。全ての病気や怪我を治せる究極の薬だ」
「そんなものが……本当にあるの?」
「ある。王宮の宝物庫に保管されている」
王宮。
それを聞いた瞬間、嫌な予感がした。
「兄さん、まさか……」
「リリア、待っていろ。俺が必ず持ってくる」
「駄目! そんなことしたら、兄さんが……!」
「大丈夫だ。俺を信じろ」
そう言って、兄さんは出ていった。
私は止められなかった。
止める力が、なかった。
◆◆◆
数日後。
兵士がやってきて、告げた。
兄さんが捕まった。
王宮の宝物庫に侵入した罪で、死刑になると。
「そんな……!」
お父さんとお母さんが、王宮に駆け込んだ。
許してくれと懇願した。
息子は妹を救いたかっただけなんだと、泣いて頼んだ。
でも、聞き入れてもらえなかった。
「身代わりになります! どうか息子の命だけは!」
お父さんが土下座した。
お母さんも一緒に頭を下げた。
でも、答えは冷たかった。
「王宮への侵入は重罪だ。見せしめが必要なのだ」
◆◆◆
処刑の日が来た。
私は体を引きずって、城へ向かった。
ペンダントを握りしめながら、歩いた。
兄さん。
私のせいで、兄さんが死ぬ。
私なんかのせいで。
城の門の前で、騎士に止められた。
「何用だ」
「お願いします……」
私は膝をついた。
「私の命は、もう長くありません」
「……」
「どうか、私を身代わりにしてください。兄を、助けてください」
騎士は黙って私を見下ろしていた。
しばらくして、口を開いた。
「身代わりは認められん。だが……」
「だが?」
「ドラゴンの生贄になるという方法がある」
生贄。
ドラゴンに食べられること。
「生贄となって王国に尽くせば、家族は英雄の身内となる。兄には恩赦が与えられるだろう」
「……本当ですか?」
「ああ。だが、生きて帰った者はいない」
そんなこと、分かっている。
でも、私はどうせ死ぬ。
だったら。
「やります」
私は即答した。
「私が生贄になります。だから、兄を助けてください」
◆◆◆
「そして私は、ここに来ました」
リリアの話が終わる。
「お願いします。私を食べてください。私の兄を助けて……」
リリアの目から、大粒の涙がこぼれ落ちる。
ああ、気持ちは分かる。
もしも家族が取り戻せるなら、俺は全てを投げ出すだろう。
最強も、不死も、能力も、何もかも。
ラグは背中を向けて、肩を震わせている。
男の子だな。女の子に泣き顔は見せたくないらしい。
よく分かるよ。
「さて、どうしたものか。嫌でも食べなきゃならないらしい」
俺は考える。
「しかし気に入らないな。どうしてドラゴンの生贄だと英雄になるんだ?」
「王国にとって、英雄になるほどの得なことがあるのか?」
「分かりません……」
リリアが首を横に振る。
「来る前に、何かの術をかけられました。逃げないようにするためだそうです」
「それ以外は、何も教えてくれませんでした」
「なあ、ラグ。何かお前に分かることはないか? 少し調べてほしいんだが」
「ううっ、分かりました。少しお待ちください」
そう言って顔をこすり、目を真っ赤にしてリリアを分析する。
「ああ、これは……」
ラグの顔色が変わった。
「従属の呪いがかけられてます」
「従属の呪い?」
「えっ? この内容は……使徒様、食べなくて良かったですよ」
「だから食べないって」
「生贄を捕食した場合、その呪いも受けることになります」
「どういうことだ?」
「生贄を食べたドラゴンは、術者への絶対服従となります」
ラグがアカシックリーダーを読み上げる。
「魂に刻まれるほどの強力な契約が行使されています。従わないと苦痛で動けなくなる呪いが発動します」
「契約だぁ? 相手の同意なしに行われる契約など、許されないぞ」
「兄を助けるという行為に、同意しています」
契約。
ここでもまた契約だ。
相手の弱みにつけ込み、命を代償にする契約。
とことんムカつく。
しかもその契約は、呪いを乗せて相手を支配するのが目的だ。
報酬は命の交換。そして王国だけが何も失わない。
それどころか、俺を支配するだと。
ああ、もう沢山だ。
こんないたいけな少女にまで契約だと。
何なんだ、いったい。
何が契約だ。とことん吐き気がする。
「うっ……うおおおうっ……うぷっ」
本当に吐き気がしてきた。
「おっ、おげえええええっ!」
本当に吐いてしまった。
ガシャン!
ゴーレムの残骸が、吐瀉物に混じってぶちまけられる。
もう見たくもなかった姿が、再び現れる。
「あわわわっ、使徒様、大丈夫ですか?」
ラグが背中を擦ってくれる。
小さすぎて楽にはならなかったが、気持ちは嬉しかった。
「あああああっ!」
リリアが突然苦しみだした。
体は痙攣し、血の混じった泡を吹いている。
「どうした、リリア!」
「呪いです! 呪いが発動しています!」
ラグがリリアを抱き寄せ、額に手を当て、呪文を唱える。
「無垢なる魂よ、その苦しみを捨て去り、安らかに眠れ」
そしてリリアは、眠るように動かなくなった。
「まもなく死にます」
ラグは悔しそうに唇を噛む。
リリアの体は、もう限界だ。
しかも呪いまで発動した。
このまま何もしなければ、死んでしまうだろう。
何か方法はないのか。
死んだように動かないゴーレムを見ながら考えていると、コアがまだ光っていることに気づいた。
よく見ると、胴体が修復……いや、生成されていってる。
コアそのものが、ゴーレムを作っている。
「ラグ! このゴーレム、まだ生きているぞ!」
「!」
ラグは慌てて少女を地面に寝かせ、ゴーレムへと近づく。
「これは……!」
ラグの目が、何かを見つけたように開く。
「使徒様、このゴーレムは使えます」
「何を言っている?」
「器として使えます」
ラグが振り向く。
「私は魂を操作する権限があります。今から移し替えます」
そう言うとラグは、コアを掴み、勢いよく引き抜いた。
カリーン……
捨てられたコアが地面を転がり、壁に当たって止まった。
そしてコアの赤い光は、そのまま消えていった。
「ゴーレムを、リリアのそばに寄せてください」
「わ、分かった」
俺は爪でゴーレムの残骸をつまみ上げると、リリアの横にそっと並べた。
◆◆◆
ラグはリリアとゴーレムの間に立ち、両手を広げて呪文を唱え始めた。
「我が名はラグエル=セラフィード。アストレイオス神の管理権限を使用し、救済を開始する」
ラグの天使の輪が、眩しいほどに光り輝く。
薄暗い広間が、昼間のような明るさになる。
「我が神アストレイオスよ、無垢なる魂をすくい上げ給え」
リリアの胸から、青白く温かい光が浮かび上がる。
しかしその光には、どす黒い根のようなものが絡みついている。
「バスターメイデンに命ずる。魂のインストールを開始せよ」
ゴーレムの胸が開く。
禍々しい構造が剥き出しになり、多重構造のリングが空中にせり上がっていく。
そして魂がそこに収まると、静かにリングは下降を始め、魂は青い結晶となって胸に収まった。
「バスターメイデン、起動せよ」
ラグが起動命令を唱えると、ゴーレムの目が青く光り、額の紋章が輝き始めた。
ゴーレムが空中に浮かび上がる。
すると、遠くから何かが近づいてくる。
それは炎で焼き焦がしたパーツの群れだった。
コアにより生成された白いボディに、焼け焦げた手足が繋がっていく。
美しさと禍々しさを併せ持つその体は、やがて完全に修復され、地面へと降りた。
ラグの光が収まる。
そこには、少女の遺体と、ゴーレムの機体が横たわっていた。
「ぐあああああっ!」
ゴーレムが激しく苦しむように痙攣し始めた。
「駄目だ、呪いが収まらない。やはり捕食しないと駄目だ」
「そうか、分かった」
俺はゴーレムをつまみ上げ、そのまま口の中に放り込んだ。
「えっ、えっ?」
ラグが呆気に取られている目の前で、そのまま飲み込んだ。
「んぐっ……どうだ、呪いはどうなったか分かるか?」
ラグがアカシックリーダーを俺に向けると、ホッとした表情になった。
どうやら捕食したので、呪いは収まったらしい。
俺は喉に手を突っ込み、再びゴーレムを吐き出す。
「うおおおおっえ……はあはあ……気分はどうだ?」
ゴーレムとして生まれ変わったリリアに問いかける。
「うわああああん! 怖かったよう! 苦しかったよう!」
「おにいちゃああん! 助けてぇぇっ!」
あれほど厄介だったゴーレムが、泣きじゃくっている。
うん、まあ、成功だな。
「おい、落ち着け。調子は良くなったか?」
「ううっ……私、どうなったの?」
そう言って横を見ると、リリアの死体が転がっている。
そして天使が、優しく微笑んでいる。
「ああ……私は死んだのですね? これでやっと救われる……」
「死んでないよ。ゴーレムに魂を移したから」
ラグは笑顔で現実を伝える。
ゴーレムとなったリリアは、自分の体を見て確認する。
「えっ?」
その目に映ったのは、ゲロまみれで焼け焦げた手足だった。
そしてリリアは、そのまま硬直して動かなくなった……。
◆◆◆
その後、俺はリリアと激しい戦闘、ではなく、必死でなだめて落ち着かせた。
その頃には、周囲は血の海になっていたが……。
そしてリリアをスライムの粘液で掃除し、説明を始めた。
「いいか、よく聞いてくれリリア。お前の肉体は死んだが、呪われた魂はその体で生きている。どうだ、分かるか?」
「……はい」
リリアはモジモジしながら俺を見上げている。
「それで、その……その体はどうだ?」
「ちょっと恥ずかしいです」
リリアは目を逸らし、体を縮めた。
リリアの手足は、スライムの粘液でピカピカに輝いている。
しかし、焼かれた跡を完全には消せなかった。
そのせいで、飲み込んだ後に生成された体と手足の色がハッキリ分かれてしまった。
その姿は、まるで白いレオタードに黒いタイツを穿いたような見た目。
しかもツヤツヤしていて、妙に艶めかしい。
横の天使が、真っ赤な顔でチラチラ見ている。
「そのお、服なら横に……」
「駄目です!」
「うん、もちろん分かってる」
服を着ると、肉体のリリアが裸になってしまう。
「あのお、そろそろ時間切れに……呪いは消えてないので、あまり外には……」
ラグがアカシックリーダーを見せると、残り時間が1分を切っていた。
「気持ち悪いと思うけどさ、ゴーレムだから死なないし、後でちゃんと出してあげるから」
「はい、お願いしますっ!」
「あーーーん……」
俺が地面で口を開けると、リリアは速攻で中に入っていった。
まるで自分の部屋に逃げ込むような感じで。
◆◆◆
「なあ、ラグ。この呪いってどうやって解くんだ?」
「はい、術者を探して契約を解消させれば、呪いも発動しなくなります」
「そうか。よし、決めた」
俺は立ち上がる。
「従属の呪いを受けたことにしよう。王国とやらに行って、状況の調査だ」
「手伝ってくれるか?」
「はいっ、もちろんです使徒様!」
「なあ、その『使徒様』ってのを変えないか?」
「えっ? 使徒様は使徒様ですよ?」
「使徒ってのがバレると、いろいろ厄介なことになりそうだし。ただのドラゴンでいたいんだ」
「でも、神様の信仰は大切ですよ?」
「ああ、そうだな」
そうだった。ラグは監視役でもあるんだ。
俺が契約を守るように監視する役目。
「名前を決めるか。ネクロドラゴンだから……ネクラ。響きが悪い。ネクドラ。いまいちだな……」
「エルドラ様はどうですか? エターナルドラゴンの略です」
「おお、いいね。母さんの名前から取ったのか。さすがだな」
「お褒めいただき光栄です、エルドラ様!」
「よし、出発するか。目指すは地上、その次は王国だ」
俺は歩き出そうとして、足を止めた。
「そういえば……この遺体はどうすれば……」
静かに目を閉じ、安らかに眠るような顔。もう苦しむことはない。
「手厚く埋葬しましょう」
「ああ。兄を助けるために命を投げ出した、立派な娘だ」
「墓の一つも作ってやろう」
◆◆◆
そして俺たちは、リリアの体を埋葬した。
生命のペンダントを、その上に置いて。
兄さんからもらった、大切な宝物。
いつか、届けてやりたい。
そこから少し離れた場所。
岩壁のそばで、ゴーレムのコアは薄っすらと光を放っていた。
まるで「ここにいる」と、存在を訴えるように。




