隠された真実
年老いたエルフの長老――イルヴァールが、重い口を開いた。
「……聞いてくれるか。ワシの、長い長い昔話を」
車椅子に座ったその姿は、もはや生命の灯火が消えかけているようだった。
真っ白な肌。血管が透けて見える。
見た目だけなら魔物と変わらない。
しかしその瞳には、深い悲しみと後悔が宿っていた。
「ワシはとても長い旅をしていた」
語り始める声は、枯れ木のように細い。
「魔物として追われ続ける旅だ」
◆◆◆
エルフは人よりも長く生きる。
とても長くだ。
しかし寿命がどれほどなのかは知らなかった。
皆、寿命までは生きられない。
魔物に食われる者。
病に倒れる者。
自然の猛威に飲まれる者。
討伐され、金に換えられる者。
ワシがここまで生きられたのは、あの方のおかげだった。
*
ワシと数人の仲間は、人間の冒険者達に追われていた。
森の中へと逃げ込んだ。
走った。逃げた。力の続く限り。
どこまでも奥へ、奥へ。
途中で魔獣に襲われ、命を落とす者も居た。
仲間が食われるのを見た。
それでも逃げた。
執拗なまでの戦いと逃走。
精根尽き果て、もはや諦めの心が湧く。
できれば楽に死にたい。
魔獣に食われる悲惨な最後。
その恐怖だけが、足を動かしていた。
そしてついに、ワシらは辿り着いた。
あの方の元へ。
*
そこは遺跡だった。
森の奥に忘れ去られ、荒れ果てた遺跡。
あの方は、その一番奥の広間に座っていた。
美しかった。
そして恐ろしかった。
白銀の鱗。羽毛に覆われた翼。
神話に出てくる聖竜のような姿。
圧倒的な存在感に、ワシらは膝をついた。
食われることを覚悟した。
しかし――
「か弱く小さき者たちよ」
あの方は言った。
「我はまだ空腹ではない。そもそも不味そうじゃ」
え?
「なんと、ひどく痩せておるではないか。そっちのほうこそ腹が減っておるだろう」
ドスン!
目の前に、魔獣の頭が転がった。
「ひいいっ! こっ、これは!」
「ミノタウロスじゃ。人間どもがそう呼んでおった。ほれ、我の食い残しじゃが、味は悪くないぞ」
ワシらは呆然とした。
「うむ、少し足りんかも知れぬな。待っておれ、もっといいものを取ってきてやろう」
そう言うと、ドラゴンは空へと飛び上がった。
森に向かって消えていく。
ワシらは顔を見合わせた。
そして――食らいついた。
肉を奪い合うように引きちぎり、腹を満たした。
生きるために。
*
その遺跡には水場もあった。
雨風を凌げる屋根も有った。
そして森は深く、危険と死が待ち構えていた。
ワシらは逃げられなかった。
いや、違う。
逃げる気が失せていた。
ドラゴンに対する恐怖よりも、肉をくれた喜びのほうが大きかったのだ。
ワシらはそのまま眠りに落ちてしまった。
目が覚めると、目の前に巨大な魚が横たわっていた。
ワシらは恐る恐るドラゴンの様子を見に行った。
すると――眠っていた。
穏やかな様子で寝息を立てている。
ワシらは持っていた道具で魚を捌き、料理した。
火を起こし、枝を突き刺し、焼いて食べた。
美味かった。
あの味は今でも忘れられない。
単に体が塩を欲していたのかも知れない。
しかしワシらは確信した。
このドラゴンに、助けられたのだと。
ワシらは食べきれなかった魚を、ドラゴンにお返しすることとした。
「おおっ! これは!」
目を覚ましたドラゴンは、魚を一口食べて目を丸くした。
「こんなに美味いものは初めてじゃ!」
「焼いてもこんなに美味くはならんぞ。黒くはなるがのう」
黒くなるまで焼いていたのか。
「嬉しいぞ。長く生きておるが、食い物を貰ったのは初めてじゃ」
「骨を抜いておるのか。口の中でとろけるようじゃ」
「皮もパリパリで香ばしい。油に塩が混じって旨味が広がる」
ああ、こんなにも穏やかな気持ちはいつ以来だろう。
感謝の気持ちが、喜びとして返ってくる。
今までは怒りと憎しみが、苦しみとなって返ってきていたのだ。
ワシらはドラゴンと共に生きていくことにした。
◆◆◆
長老イルヴァールの語りが続く。
俺は黙って聞いていた。
隣ではリリアが静かに涙を流している。
ラグのほうは――何やら忙しそうだ。
空中に投影されたアカシックリーダーを操作している。
複雑な魔法陣が次々と展開され、何かの構造を組み上げているように見えた。
聞いているのか聞いていないのか。
しかし時折、長老の話に合わせて頷いている。
何を作っているんだ、あいつは。
長老の声が、遠い過去を紡いでいく。
「あの方は……ワシらをあらゆる脅威から守ってくれた」
「魔獣から。冒険者から。時には天変地異からも」
「遺跡は発展し、村となった。ワシは耳を隠し、森の外へと旅をした」
「討伐依頼でエルフを見つけ、仲間へと誘う。それを繰り返した」
「人数は増え、村はさらに栄えた」
俺は胸が痛くなった。
母さんは、ずっとエルフを守っていたんだ。
ずっと、ずっと。
「旅の途中で知ったことがある」
長老の声が低くなる。
「あの方がエターナルドラゴンと呼ばれ、森の守護者として知られていること」
「そして――人間が、ドラゴンを従属させる方法を編み出したこと」
従属竜。
俺が王都で見た、あの悲しい目をしたドラゴンたち。
「ワシらとあの方は、信頼と強い絆で結ばれた」
長老の目に、懐かしさが宿る。
「あの方を喜ばせようと、祭りをしたり、新しい料理を作ったり」
「心地の良い寝床を作ったりした」
◆◆◆
「ああ、これはいい。いつも我の為に感謝なのじゃ」
「お前たちに出会えて本当に良かった。我は幸せじゃ、あははははっ」
◆◆◆
「遠い昔のはずなのに、昨日のことのように思い出す……」
長老の声が震える。
「そしてあの日、村に危機が訪れた」
「今までにない、最大の危機だった」
*
疫病だ。
長く続いた雨が、腐った水を運んでしまった。
ワシらは苦しみ、耐えるしかなかった。
食うことも出来ない。
飲むことも出来ない。
村人全員が倒れた。
地獄の光景が広がった。
「ああ、何ということじゃ」
あの方の悲痛な声が響く。
「死ぬな。我を一人にしないでくれ」
ワシは最後の力を振り絞って言った。
「いままで……ありがとうございます……」
「ここでお別れです。どうか……悲しまないで下さい」
「馬鹿者め!」
あの方の咆哮が遺跡を揺らした。
「許さんぞ。我を一人にするなど許さんのじゃぞ!」
そしてあの方は――
自らの鱗を剥がし始めた。
「おやめ下さい……! 我らはもう十分に……」
血が流れる。
白銀の鱗が、一枚、また一枚と剥がれていく。
「小さき我が友よ」
あの方の声は、どこまでも優しかった。
「我の命の根源、不滅の力をお前たちに授ける」
「受け取れ!」
地面に落ちた血が、土を取り込み結晶化してゆく。
その中に、あの方の力が流れ込む。
美しかった。
結晶は空へと浮かび上がり、光を放ち始めた。
その光は暖かかった。
ワシらを包み込み、苦しみを和らげてくれた。
ワシらは――再び助けられた。
*
疫病は全て消え去った。
ワシらは感謝とともに結晶を返した。
しかし――
「その力はもう我には帰らんのじゃ」
あの方の声は、どこか寂しげだった。
「お前たちが持っていてくれ……」
弱っていた。
あの方は不滅の力を取り出してしまったのだ。
ワシらのために。
◆◆◆
長老が深く息をつく。
「それが生命の結晶じゃ」
「ゴーレムのコアの正体……」
俺は息を呑んだ。
リリアの体を動かしているコア。
あれは――母さんの命そのものだったのか。
「エルドラ様……」
リリアが小さく呼びかけてくる。
俺は何も言えなかった。
◆◆◆
長老の語りは続く。
しかし、ここからが本当の悲劇だった。
「時間はあらゆるものを変えてしまう」
「人は老い、建物は朽ちてゆき、権力は腐敗してゆく」
「そして――感謝は忘れ去られてしまう」
ユリウスが声を上げた。
「そこまでの恩がありながら、どうして滅ぼすことになったんだ! おかしいだろ!」
長老は静かに答える。
「身に覚えはないかね?」
「あんたも忘れたって言うのかよ」
「忘れなかった……忘れられなかった」
長老の声が沈む。
「だからワシはここに居る」
「どういう事だ?」
「一言では説明できん……」
長老は周囲を見渡した。
「ここに居る者たちは皆、裏切り者として追放された者か、その子供だ」
「人型のエルフは美しいだろう? その姿は、人を騙すために作られた」
セレナが目を伏せる。
「それも昔の話だがな。目的も風化し、一部のエルフが人に惹かれ始めた」
「しかしそれは強い覚悟を伴った。そこにおるセレナのようにな」
「何度も死を看取る辛さに耐えられなくなり、隠れるように逃げてきた者たち」
「それでも人に惹かれる。哀れな者たちなのじゃ」
セレナは何も言わない。
彼女の夫は、つい先ほど殺されたばかりだ。
「……話を戻そう」
長老の声に、苦痛が滲む。
「ワシらエルフは、長い年月の果てに感謝を忘れ、禁忌を犯した」
「生命の合成じゃ」
◆◆◆
生命の結晶がもたらす膨大な魔力。
それは恵みをもたらすだけでなく、禁忌の技術開発にも使われた。
身を守る防衛目的で、ダークエルフが作られた。
人との交流と情報収集を目的として、人型エルフが作られた。
膨大な魔力はミスリル生産、魔法技術、人工生命技術へと広がった。
エルフの里はミスリル製品の生産と流通を行い、繁栄を極めた。
しかし――繁栄しすぎた。
急激な発展は、他国との争いを生んだ。
「そしてあの日の悲劇が生まれた……」
◆◆◆
「きっかけは無い。次第にそうなったとしか言えない」
「ダークエルフ達は戦闘用に作られた種族。あらゆる外敵を打倒し、敵など居なかった」
「しかし、その強すぎる力を人間は恐れた」
「そしてついに、人間は従属竜を使って戦い始めた」
「戦力は入れ替わり、今度はエルフが恐れを抱いた」
「どこまで行っても力比べ。終わることのない争い」
「そして――作り上げてしまった」
長老の声が震える。
「バスターメイデンを……」
「最終兵器として作り上げたゴーレム。そのコアには生命の結晶が使われた」
「ワシは取り乱した」
「あの方がくれた大切な宝。皆を救ってくれた贈り物」
「それを兵器に使うのは許せなかった」
「しかし他に方法がなかった」
「相手はドラゴンの群れ。敵う相手ではなかった」
「ワシは遺跡へと向かった。あの方の元へ」
「許しを乞い、助けてもらいたかったのだ……」
◆◆◆
「愚か者め!」
あの方の怒りの声が響く。
「破壊と憎しみの連鎖は止まらぬ。もはや圧倒的な力でねじ伏せるしか無いではないか」
「人間共も人間共じゃ。我の仲間を道具のように使っておるとは」
「捨て置くわけには行かぬか……」
「待っておれ。止めてきてやろうぞ」
そしてあの方は、空へと消えていった。
ワシは追いかけた。
あの方が倒されるとは思わない。
しかし相手はバスターメイデン。
その中には、あの方の力が宿っているのだ。
*
そしてワシは見た。
燃え盛る戦場。
バスターメイデンによって切り裂かれた従属竜。
怒りと共に戦うエターナルドラゴンの姿。
激しい戦いに、ワシは身を縮めていた。
震えながら顔を上げると、全てが終わっていた。
粉々に打ち砕かれたバスターメイデン。
傷だらけで雄叫びを上げるエターナルドラゴン。
心底後悔した。
ワシは大切なあの方を、兵器として使ってしまったのだ。
あの方は、従属竜を傷つけるバスターメイデンを破壊しただけなのに。
戦いを止めさせただけなのに。
最終兵器を破壊するその姿は、敵の戦力にしか見えなかった。
「エルフ達は決定した」
長老の声が掠れる。
「エターナルドラゴンを――滅ぼすと」
「ワシは必死で止めた。反対し、暴れた」
「しかし決定は覆らない」
「あの方は、エルフの里の脅威となってしまったのだ」
◆◆◆
ワシはあの方の元へ向かった。
逃げてもらうしかなかった。
ワシは頭を地面に擦り付けて詫びた。
それなのに、あの方は――
「すべて我の招いたことだ」
穏やかな声で言った。
「お前は悪くない。誰も悪い者などおらぬのだ」
「これ! 悲しむ必要はない。我は身を隠す」
「いつの日か、再び相まみえる日を楽しみにしておるぞ」
「イルヴァール・エルデンリーフ、我が友よ」
そう言って、あの方はワシの元を去っていった。
その後、バスターメイデンには自己修復機能が追加された。
あの方の魂が滅びるまで止まらない。
どこまでも探し求めて追い詰める。
究極の刺客。
そしてワシは追放された。
あの方の歴史も封印された。
残されたのは掟のみ。
――エターナルドラゴンを滅ぼせ。
◆◆◆
長老の話が終わった。
俺は言葉を失っていた。
母さんへの想いが溢れてくる。
棲家を追われ、ダンジョンに隠れ住み。
最後はバスターメイデンに見つかってしまった。
その無念を考えると、心の奥から何かが込み上げてくる。
それは感情の塊だった。
やがて心に広がり、夢のような映像となって意識を包み込む。
これは――母さんの記憶?
◆◆◆
傷が痛む。
以前ならすぐに回復していた。
不滅の力を失った今、我は倒されれば死ぬ。
あのゴーレムがここに辿り着いた時。
我は、勝てるとは限らない。
死を覚悟する必要がある。
ならば――
我は卵を産む。
次の命を繋ぐために。
*
まだ生まれぬ小さな命。
温めるとしよう。孵化するその日まで。
*
まだ生まれぬか?
随分待たせるのう。
そういえばどの位かかるのか……忘れてしまった。
*
温めるのも慣れてきたな。
ちゃんと成長しておるか?
早く顔が見たいのう。
*
おおっ、動いておる気がする!
もう少し。もう少しで……!
*
ああ――
ついに見つかってしもうたか。
だが心配するな。壊させはせん!
*
あううっ……!
一体何が起こった?
体が動かん。息ができん。
何も感じなくなってしもうた……
*
ああ……なんということじゃ。
倒されてしもうた。
もう少しじゃったのに……
*
ああ神よ。
どうか、この子を守って。
生まれさせてあげて。
もう温めてあげられない。
何も残してあげられない。
せめて一目……顔を見たかった……
*
『殲滅対象の沈黙を確認』
『微弱な魂の痕跡を確認。復活の可能性を考慮し、待機モードに移行』
……
……
何? この感覚……
誰かが我に触れている?
我の無念を叶えてくれている?
ああ、そちらに行けばいいのね?
わかった。あなたに我の力をあげます。
どうかあなたの望みを叶えて。
ああ、ようやく……
私の可愛い子。
一緒に居られる――
◆◆◆
……涙が止まらなかった。
母さんは、最後まで俺のことを想っていた。
顔も見られないまま。
名前を呼ぶことも出来ないまま。
ただ俺を守るために。
俺は――生まれた時から、母さんに守られていたんだ。
『エルドラ様……大丈夫ですか……?』
リリアの声が聞こえる。
俺は答えられない。
ラグが黙って俺の頭に手を置いた。
小さな手だ。
でも、その温もりが今は嬉しかった。
◆◆◆
長老イルヴァールがうなだれる。
「ワシの罪なのだ」
力なく呟く。
「どうか……殺してくれ」
しかし誰も何も言わない。
アルヴィンは埋葬され、花が手向けられた。
セレナが静かに泣いている。
皆が涙を流している。
しかし唯一――
ユリウスだけは、怒りに震えていた。




