8話 常盤と碧②
ミノウチ海の薄青い雲が浸透した炎天下を、一頭の碧色の竜が、長らく我がままに飛び続けていた。
竜は、一度空中で静止すると、海上の空虚に向って、火焔を吐いた。火は灰となって、海に落ちていった。
竜はしばらくすると飛び飽きたのか、両翼で浜辺の砂を激しく揺らしながら、三本爪の両脚を着地させたかと思うと、その姿は忽然と消え、見えなくなった。
砂煙がおさまってくると、竜のいた場所から、中背で細身ながら締めつけられた体つきの青年が、姿を現した。
青年の上半身は裸で、下は黒のズボンを履いていた。
碧毛混じりのツーブロックの黒髪は、海水に濡れても、先程の火焔がいきりたっているのか、逆立つように、かきあげられてあった。
青年はしばらくの間、砂浜にへたりこんで海の向こうをただじっと見つめていた。
青年の名は、村澤雨泉浪といった。
ーウィズロー。
声がした。
雨泉浪が振り向くと長岐美春祝がいた。
ーなんだか元気ないね。
ー少し脱水気味なんだ。
ーええ・・・かわいそう。
ーミハル、水ないか。
美春祝は手提げから水筒を取り出して渡した。
雨泉浪は礼を言った。
それから、水筒に直接口をつけて水を飲んだ。
美春祝は、雨泉浪の筋肉で引き締まった裸の上体を舐めるように見てから、
ーこれ、あっちの砂浜に落ちてたよ、と言って、藍色のシャツを渡した。
ーああ、悪いな。
雨泉浪は受け取ったシャツを着た。
美春祝は、雨泉浪の隣に座った。
ーなあ、エレク草、ある。
ーあるある。
美春祝はまたしても手提げに手を入れ、今度はパイプを出した。
ーあっ。
ーなに。
ー火、どうする。
ーそっか。
ーウィズ、竜化してよ。
ーごめん、俺、さっきまで竜化してたから、しばらくはちょっと無理。
ーえー?まじでー!?
ーミハル、してよ。
ー・・・しょうがないな。じゃあ、コレ。持ってて。
と言って、美春祝は雨泉浪に、パイプを渡した。
ーあとさ。
ー・・・。
ー竜化するから。こっち見ないで。
ー・・・は?
ーこっち見ないで!
雨泉浪は反対方向を向いた。
美春祝は雨泉浪から少し離れて、竜化した。桜色の翼竜だった。大きさにして、さきほどのウィズロー竜の八分の一以下のサイズの、小さな竜だった。
ミハルシュク竜は雨泉浪に近づいた。ミハルシュク竜は弱めの火焔を吐いた。雨泉浪は手に持っていたパイプを前に伸ばし、火に近づけた。
パイプに無事、火がついた。早速、雨泉浪が一口目を吸った。ミハルシュク竜は慌てるように竜化を解くと、美春祝が猛烈なスピードで、雨泉浪の方へ走っていき、
ーちょっと!一口目は私!
ーアハハハハハ!!
雨泉浪はもう一口吸って、美春祝に渡した。
二人はしばらくの間、交互に吸い続けた。
雨泉浪は、疲れた様子で、
ーシハルに行ったら、もっと上手いパイプ吸えると思う?
と美春祝に尋ねた。
ーいや、エレク草が一番人気だって、魔術士が言ってたよ。
ー一回行ってみたい・・・海の向こうの世界に。
ー・・・。
ーなあ、俺がもう少し弱いミノウチ竜だったらさ・・・この国の外に行けたのかな。
ー・・・。
ーどう思うミハル??
ーいや、ミノウチ竜である限りは難しいでしょ。捕まったら大変だし。
ー・・・だよな。
ジリ貧のミノウチ竜王国において、国防におけるウィズロー竜の重要度はとりわけ高い。現存するミノウチ竜では勿論、歴代のミノウチ竜でも戦闘力は最強クラスと謳われているなか、国防力の、約25%の戦力をウィズロー竜は有していると上層部は評価していた。
ウィズロー竜は、一度の火焔で、敵一個師団を殲滅させられるほどの範囲と殺傷力を持っていた。
そんな彼が国外旅行など、絶対に行かせてもらえるわけが無い。
万が一、村澤雨泉浪を敵国に奪われたりしたら、自国の防衛力の低下と、他国の軍事力増強の二重苦が待っているのだから・・・。
ーウィズは何でそんな国の外に出たいの。
ー・・・。
ー多分、この国と何も変わらない国があるだけだと思うよ。人がいて、動物がいて、人殺しがあって、金持ちと貧乏人がいて・・・人が生まれて死んでいく。私も行ったことないから分かんないけど。
ー・・・何も変わらないかどうか、自分の目で見て確かめないと分からないだろ。
雨泉浪は立ち上がって、美春祝を見た。
ーミハル、まだ時間ある。
ーあるけど。
ーお酒でも飲もうよ。
ー私、まだ17歳なんだけど。
ーだから、何だよ。
ー・・・。
ー・・・。
ー別に。なーんも。言ってみただけ。
美春祝は首を傾げて、軽く舌を出した。舌には輸入品のピアスが開けてあった。
雨泉浪は、海岸沿いの商店に行って、店主から梅酒を二杯貰った。
買うよ、と雨泉浪は言ったが、店主は、ミノウチ竜様からお代を貰ったりしたら、竜王様から罰が当たりますんで、といって受け取ろうとしなかった。
雨泉浪は、こうしたことを言われると、目の前の自分が1個体の人間として見られていないような気がして寂しくもなったが、幼い頃から慣れた対応でもあった。
二人は、小高い突堤のほうまで歩いて行き、座って梅酒を飲んだ。
ーじゃあ、乾杯!
美春祝が言った。
ー乾杯・・・何の乾杯?
ー私たち、二人とも、この島から出られないこと!ミノウチ竜王国万歳!!
ー・・・。
ー・・・おい、言えよ。ほら早く。
ー・・・ミノウチ竜王国万歳。
二人は酒を飲んだ。
遠くからこちらへ、ミノウチトカゲの走ってくる音が聞こえた。
二人が足音のほうを向くと、ミノウチトカゲに乗った隊士が突堤のほうに走って来て、ミノウチトカゲから降りた。
ーウィズロー様。ミハルシュク様。緊急です!
ーなにかあったの。
雨泉浪が隊士に聞いた。
ーイサン様が・・・イサン様が誘拐されました。




