2話 勇参
ミノウチ竜王国。
落雷御殿の近く。
(御殿に行くまえにリフカちゃんに挨拶していこ)
そう思い立った勇参は、大木が立ち並ぶ林を背に、ポツンと建っている、一軒の古民家の戸口の前に立った。
夜は明けていた。太陽はまだ昇りきっていなかった。
ーリフカちゃん。おはよー。
しばらく待っても返事は無かった。
ーリフカちゃん。いないの。
やっぱり返事は無かった。
勇参は戸口を開けた。
囲炉裏には鍋が置いてあった。床の上の寝具はキレイに畳まれ、部屋の隅に寄せてあった。中には誰もいなかった。
そんな勇参の後ろに、険悪な呻き声と共に忍び寄る影があった。勇参が振り返ると、大岩ぐらいのデカい熊が涎を垂らしながらこちらを見ていた。
(あっ、熊だ)
勇参はリフカの家に被害が及ばないよう、冷静に横歩きして家から距離をとった。
熊が攻撃態勢をとった。勢いをつけて、こちらに走ってきた。
熊の爪が伸びてきて、勇参の皮膚を引き裂こうとした。勇参は右足に力を入れ、斜め後ろ方向へ高く飛び上がり、攻撃をかわした。
熊は休む暇なく、連続攻撃を出してきた。勇参は少し横へズレたあとに跳び上がり、近くの大木の幹に向かって右足を乗せた。
勇参は屈み込んだ。
それから右足に自分の全体重の負荷をかけ、大きく前方向へジャンプした。
勇参は道に出た。
熊はクルりと反転して、再び勇参を追いかけはじめた。
勇参は落雷御殿のある方向へ走った。
ーイサン。竜化していいのは本当に困ったときか、誰かに助けを求められたときだけだ。竜化はな、本当は身体に悪いんだ。そんな頻度で竜化してたら成竜になるまえに死ぬぜ。
勇参は初めての竜化に成功してからまだ日が浅いころ、暇があれば竜化しようとする自分を見かねた、二番目の兄、雨泉浪から受けた助言を頭のなかで思い起こしていた。
(ウィズ。大丈夫。平気。全然困ってない)
こうして熊に追いかけられていることが今の勇参にはありがたかった。日頃からの辛くてつまらない鍛錬に、段々と飽きて来ていたところだった。
(熊さん。ついてきて・・・落雷御殿の入り口のところまで案内してあげるから・・・)
そんなことを思いながら走っていると、勇参の背後、舗道の上、林のなかから斧を右手に構えた一人の娘が、熊の真上に着地するよう、タイミング良く飛び降りた。そしてほぼ同時に斧を振り下ろした。
ーグサッ!!!
という音がしたかと思うと、次の瞬間、熊の首はストンと地面に落ちた。辺りには血と獣の匂いが広がり、森の中は静寂に包まれた。
勇参は足を止めて後ろを振り返った。熊の死体の近くに、娘は留まったままだった。
勇参は走って娘のそばへ寄って行った。
娘は背中に、木の枝と薪が積まれた背負子を背負っていた。勇参は、娘の方へ駆け寄った。
ーリフカちゃん。無事・・・怪我は。
ーイサン君。こんなに早く、ここで何やっているの。
リフカの表情は見えなかった。
ー・・・。
ー・・・。
ー落雷御殿に行くついでに、リフカちゃんの家寄ろうかと思ってたら、熊と遭遇して、それで・・・まあ、ちょっと。こんなことに。
勇参は首がなくなった熊の死体を見つめた。
ーここは最近、竜冥山での縄張り争いに敗れた熊が、獲物を探して徘徊している。早朝は特に危ない。
ーごめんなさい。
ー・・・さっさと埋めちゃおう。
二人は熊の死体を、林のなかに埋めた。
リフカが斧で掘った土の中に、勇参が熊の死体を運んで埋めた。熊は臭かった。
(どんなに臭くたって絶対に顔には出さないぞ)
リフカは勇参が息を止めようと頬を膨らませていることに気づくと、
ー竜なのに熊の匂い、ダメなんだね。
と言った。
リフカは家の中に入った。リフカは、拾ってきた薪を木製の容器に入れた。数本は調理場スペースに設置されてある釜戸の下に突っ込んだ。
勇参は戸口に立ったままだった。
薪割り用の斧を壁に掛けながら、リフカはそれに気づくと、
ーどうしたの。入りなよ。
と声をかけた。
勇参は中に入った。
リフカは、雨泉浪の幼馴染で、勇参とは六歳差である。
勇参は子供の頃からリフカや雨泉浪の二人によく遊んでもらった。
勇参はその頃から何となく、リフカはいずれ、雨泉浪の許嫁になると思っていた。二人が両思いなのは誰から見ても明らかだったし、勇参もリフカと家族になって、ずっと一緒にいたいと思っていた。
しかし二人が十九歳になった今も、そうなる気配はなかった。
それどころか、この一年というもの、二人が話しているところを勇参は見ていなかった。
ー朝から一人で薪割り?
ーうん。昨日サボっちゃったからねー。
ー教えてくれたら手伝ったのに。
ーいいよ。一人で薪割るの、好きだから。
ー・・・。
ー朝ごはんはもう済ませた?
リフカが勇参に聞いた。
ーううん、まだ。
ーおにぎり、持ってないの。
勇参は首を横に振った。
ー何も食べずに稽古したって、すぐ疲れちゃうぞ。
ー・・・。
ー朝ご飯、食べていかない?
ーいいの?
リフカは囲炉裏の鍋に昆布の出汁を入れた。それから出刃包丁で葉物野菜を切り始めた。
ー・・・手伝うことある?
ーいいよ。座ってて。
野菜を切り終わると、釜戸の近くで、火打ち石を打ち合わせる音が響いた。石が経年劣化で小さくなっているせいか種火はなかなか出来なかった。
ーなんか手伝うことある?と勇参が尋ねた。
ー座っててー。
ー・・・。
手持ち無沙汰の勇参は床の上で腕立て伏せを始めた。リフカのほうを見ると、リフカの突き出たお尻が、腕を立てたときの勇参の目の高さとちょうどピッタリだった。勇参は赤ら顔を伏せた。
キンキンという、石を打ち合わせる音がした。種火は生まれていなかった。
勇参は腕立て伏せを切り上げてリフカのそばに近寄った。
ー火、つかないの。
ーうん。石。今日のうちに新しいの貰ってこなきゃ。
ー・・・。
ー・・・。
ー火、おこそうか。
ーううん、いいよ。
リフカは忙しかったからか、勇参の会話に適当に合わせている感じだった。
リフカの、
ーううん、いいよ。
という遠慮する、という意味の返事が、勇参には、
ーうん、いいよ。
という承諾の返事に聞こえた。
ーちょっと外出てくるから待ってて。
ーあっ、イサン君。ねえ、朝ごはん食べないのー。
勇参はその質問には答えず、意気揚々、外へ出た。
勇参は外に出ると、目を瞑り空を見上げた。東から昇りかけの太陽の光が、勇参の小柄な身体を照らした。
キンキンキンキン・・・。
しばらくして火打ち石から火花が生まれた。リフカはホッと一息ついた。背後から戸が開き、閉まる音がした。リフカは振り返って、
ーイサン君、おかえり。今やっと・・・あっ。
そこまで言ったところで、リフカは言葉をつぐんだ。すぐに火花は消えてしまったが、リフカは気にしなかった。
リフカの目の前に、勇参の背丈とさほど変わらない、二足歩行型の小柄な竜が、家の中で直立していた。




