第一話:履歴という名の魔法
転職エージェントの主人公が異世界へ。
この世界では「ジョブ(職業)」が魔紋で固定され、人生が生まれつき決まる。しかし主人公は“職務経歴”という概念で人の経験を再編集し、ジョブを**再定義**できる唯一の存在になる。
砂の匂いがする。
目を開けると、石畳の路地。木造の庇、見慣れない看板、色鮮やかな布地。喧噪の中に獣の鳴き声が混ざる。——異世界、だろう。
藤堂凌は、胸ポケットを探り、癖で名刺入れを確かめた。銀色の角が指先に触れる。そこだけが現実だった。
「起きた?」
声の主は、短い灰色の髪を三つ編みにした少女だった。痩せた腕、思いのほか澄んだ目。
「ここ、どこ?」と凌。
「王都の外れ。“掃除人”の区画。あんた、空から落ちてきたんだよ。」
少女は自分をミレイと名乗った。袖口から覗く薄い刻印。円と三本線の組み合わせ。
「それ、タトゥー?」
「魔紋。ジョブを示す。あたしは掃除人。道や下水を掃除する人。……それしか、できない。」
それしか、できない。
その一言に、凌の職業病がむずむずと騒ぎ出す。人は皆、ラベルに縛られているときほど、可能性を見失う。
「“それしか”って、誰が決めたの?」
ミレイは呆れ顔で笑った。「決まってる、儀式で。十五の年に神官が刻む。ギルドは魔紋で仕事を配って、報酬を決める。上のジョブに生まれたら一生安泰。下なら……ま、見ての通り。」
凌はゆっくり起き上がり、スーツについた砂を払った。ネクタイは曲がり、革靴は傷だらけ。
「私は——いや、俺は藤堂凌。人の仕事を一緒に考えるのが仕事だった。」
「それ、こっちだと“顧問”って言うのかな」
「近いけど、もう少し個人寄り。……ねえミレイ。君、何が得意?」
ミレイは言葉を探す子どものように口ごもった。
「掃除……。あと、汚いところでも平気。」
「それは耐性だね。体は? 素早さとか持久力とか。」
「走るのは速い。……あと、怒鳴られても手が止まらない。」
凌は頷く。質問が進むにつれ、ミレイの背筋が少しずつ伸びる。
——そう、これだ。面談の最初の十分は、相手の“言葉の癖”を見つける時間だ。
路地の向こうから、角張った肩当ての男が二人、こちらを見て囁き合った。鎖帷子、長剣。ギルドの巡回らしい。
「ここで長居すると面倒」とミレイ。
凌は立ち上がり、名刺入れを開いた。中にあるはずの自社ロゴ入りの名刺——の代わりに、白紙のカードが数枚。紙の質だけはやけに良い。
ひとつを取り、指でなぞると、表面に浮かぶ。文字が、勝手に、生成されていく。
藤堂 凌
職業顧問
物語で、仕事を作る。
「……は?」
自分でも声が漏れた。魔法、だろうか。だが、直感した。これはただの名刺じゃない。語りを刻むための紙だ。
「ミレイ、少し時間くれる? 君の話を“整える”」
「整える?」
「今までの仕事、日々の段取り、うまくやれた工夫、怒鳴られても手が止まらない理由。全部、言葉にして形にする。——それが、君の価値になる。」
ミレイは迷ったが、やがて頷いた。
二人は人通りの少ない裏庭に座り、凌は白紙をひとつ渡してペン——の代わりに思考で文字を刻む、奇妙な感覚を受け入れた。
「まず、目的を決めよう。市場価値を上げたい。つまり報酬が上がる案件を取りたい。掃除人に近いが一段上の役割——例えば“衛生管理”とか“疫害対策”。君の耐性と持久力が活きる。」
「そんなの、取れるの?」
「“語り”が刺さればね。」
凌は質問を投げ、ミレイは短く答える。
・下水掃除のルートを独自に最短化していたこと
・臭気の強さで汚染源の位置を見当つけられる嗅覚
・大雨の日に詰まりを先読みして泥の堰を崩し、街区の浸水を防いだこと
——断片は断片のままでは価値にならない。だが、並べ替え、因果で繋ぎ、目的語を置けば実績になる。
白紙の上で文字がつながり、文が“光った”。
【実績】
・高負荷環境での持続作業(連続6時間の下水清掃)。
・臭気差検知による汚染源特定(予測精度 8/10)。
・豪雨時の先手対応で浸水ゼロ(街区B-12)。
【強み】
・手を止めない胆力/危険環境への耐性/ルート最適化。
【志向】
・安全と衛生の担保=人が安心して暮らせる環境を守ること。
「ミレイ。君がやりたいのは“汚れを消すこと”じゃない。“人が安心して歩ける道をつくること”だよね」
ミレイの目が大きくなり、次に細くなって、最後に笑った。
「……うん」
「じゃあ、ジョブの肩書を半歩だけ上げよう。“掃除人”から“衛生守”。作業者から守護者へ。言葉の位置を変える。」
その瞬間、ミレイの手首の魔紋が、かすかにきらめいた。線の一本が、ほんのわずかに角度を変える。
凌は息を呑む。
「今……動いた?」
「わかんない。でも、あったかい。」
庭の門が軋み、中年の男が顔を出した。革の前掛け、額の汗、焦り。
「おい、そこの子! ギルドに“疫害対策員”の急募が出た。下水の奥でネズミが異常増殖してる。守り手が足りねえ。……手、空いてるか?」
ミレイは反射的に一歩退いた。「あたし、掃除人だから——」
凌が前に出た。
「**衛生守**です。現場の地図と、直近の流入記録をください。必要なら書類も整えます。」
男が目を瞬かせる。「サニタラ? そんなジョブ、聞いたこと——」
凌は白紙のカードを掲げた。文字が自動で踊る。
【ギルド提出用・簡易職務経歴】
氏名:ミレイ
ジョブ:衛生守〈サブ:掃除人〉
実績:豪雨時の浸水ゼロ(街区B-12)、汚染源検知、危険環境下での持続作業
提案:ネズミ流入路の遮断→媒介物の焼却→臭気誘導で群れの分断
男はカードを奪い取るように覗き込み、顔を上げた。
「……いい。来い。報酬は通常の一・五倍、うまくやれば二倍だ」
ミレイが凌を見た。凌は小さく頷く。
「行こう。最初の案件だ」
王都の下へ続く石の階段は、湿った風で息が重い。遠くで金属が打ち鳴らされ、怒号が響く。
階段の踊り場で、凌はミレイの肩に手を置いた。
「怖い?」
「少し。でも、行ける。だって——」
ミレイは自分の手首を見た。微細な光が、まだそこにあった。
「あたしの仕事は、道を守ることだから」
凌は、自分の胸ポケットを叩く。白紙はまだ数枚。
——語りで、人の人生は変わる。
——なら、この世界だって、変えられる。
彼らは暗闇へ降りていった。