第1話 事の始まり
「やはり……情報があまりにも少なすぎる」
此出勝流は、書籍やネットの海を漕ぎ進め、とある人物について調べていた。
きっかけは、とある戦争兵器と、その生みの親についてだった。
あまりに少ない情報源から、何とか信憑性の高い断片だけを抜き出し、丁寧に並べていく。
「いかんな!もう夜更けだ……風に当たろう」
重い腰を上げ、ジャージを被るように着込み、勝流は夜の散歩に出かけた。
見た目は決して綺麗とは言えず、不審者と間違われてもおかしくないが、この時間は人通りがない。
人目を気にせず、外を歩けるのは気が楽だ。
(ふむ……どうしたものか)
勝流は真っ当な社会人をしつつ、趣味で軍事史の探求をしていた。
日本の戦国時代に始まり、中国の三国志、そしてヨーロッパ各国の戦史へとその関心は広がっていった。
最近では、第二次世界大戦のドイツ軍に関する資料に強く惹かれている。
今回のテーマは、ドイツのある兵器と、その開発に関わった謎の人物だ。
兵器も人物も、非常にマニアックな領域。情報は少なく、手がかりも限られていた。
だからこそ、時間が必要だった。
勝流は、あらかじめ計画を立て、有給を2日分突っ込んでいた。
土日と合わせての、素晴らしき4連休。
社会人にとっては滅多にない贅沢であり、探求に没頭できる時間も、たっぷり確保できるのだが・・・
探求を開始してから、既に2日間が経過していた。
予想以上に薄っぺらい情報、そしてその源泉の無さ。
ミリタリー界隈でもマニアックな部類に入る上に、兵器自体ならまだしも、作った人物に関する情報があまりにもない!
「八方塞がりだな。もうドイツ本国か、関わった車輛の現存する博物館にでも行くか!」
歴史上、表立って活躍したという訳でもない。
一筋縄ではいかない探求。
だからこそ、調べがいがあるというもの。
知れば知る程面白い、探求の面白さはそこにあるのだ。
夜風が頬を撫でる。
涼しさに思考が冴え、勝流は脳内で情報を再整理し始めた。
1.人物の名前は、ギュンター・パウル・アルデルト
2.1914年に、ベルリンより北東45キロに位置する、エバースヴェルデで誕生
3.1941年12月から1942年10月の間、第75砲兵連隊に技術将校として所属
4.1944年3月から1944年11月の間、陸軍兵器局第4課に特別代表として所属
5.1945年2月26日付でエバースヴェルデ対戦車猟兵緊急中隊の部隊長に任命
6.1945年4月28日没、埋葬地はシュピーレンベルク
現時点で、勝流が掴んだ確実そうな情報は、この六点だけだった。
だがもうひとつ、真偽は定かではないが、どうしても気になる情報があった。
というよりも、その情報こそが、今回の探求の原点である。
それは、アルデルト・ヴァッフェントレーガーの開発に、ギュンター・パウル・アルデルトが深く関わったという話である。
アルデルト・ヴァッフェントレーガー。
ドイツが敗戦濃厚となる中で、なおも敵を倒す為に設計された兵器。
実在したにも関わらず、謎が多い兵器。
最初の車輛の設計思想と、実際に生産された車輛の設計思想はどうやら違うようで、複雑な経歴を持つ。
ヴァッフェントレーガーという兵器自体は幾つか存在しており、アルデルト・ヴァッフェントレーガーは、その内の一つに過ぎない。
そもそもヴァッフェントレーガーというのは、ドイツ語で読んで字の如く、武器を運ぶ者という意味である。
要は、アルデルト社が作った武器運搬車、ということだ。
ややこしいが、このアルデルト社というのは、ギュンター・パウル・アルデルトではなく、別のロベルト ・アルデルトという人物が創設した工場会社である。
現存する唯一の車輛は、ロシアのクビンカ戦車博物館という所に、ミリタリー界隈では何故か有名な超重戦車「マウス」などと並んで静かに展示されている。
クビンカ戦車博物館に行きたいが、ロシアの首都モスクワ付近にあるため、行こうと思って気軽に行けるものでもない。
本当は一度、自分の目で見に行きたい。だが場所はモスクワ近郊。
旅費を考えるだけで現実に引き戻される。いちばんの障壁は、資金だった。
夜の散歩というのは、思考が整理されいくので、自分の頭の中にある考えがどんどん表に出てくる。
軍事史の探究を続けるうちに、兵器という存在そのものにも惹かれるようになっていた。
なぜこの設計が選ばれたのか、なぜこの機構が採用されたのか。
開発者は、どんな機械的な思想を持っていたのか。
疑問を解くには、ただ眺めているだけでは事足りない。
機械構造、工学、金属加工――知識は際限なく膨らみ始めた。
今ではもう、自分がどこに向かっているのか、時々わからなくなる。
「兵器を理解するために、工学の入門書、機械科の教材、戦車の仕組みから航空機の機器まで...社会人やってるより、よっぽど長い時間費やしてる気がするな」
人を殺すためだけに作られた兵器が好き、というのは間違っているのだろうか。
頭ではそう考えている。
だが、それ以上に、そこには“男のロマン”がある。
誰にも理解されなくても構わない。それが、自分の趣味の根本だとさえ思っている。
今回のアルデルト・ヴァッフェントレーガーも、そんなロマンに惹かれて、わざわざ有給取ってまで探求しているのだ。
そんなことをぼやきながら、散歩を続けた。
気付けば、大分遠くに来ていた。
「……深く考えすぎたな。随分と遠くまで来てしまった」
どうやら、思った以上に長い距離を歩いていたようだ。
いつの間にか住宅街を抜け、商店街の方まで来ていたらしい。
この夜更けの時間、空いている店は無い。
社会人の休日、無駄にはできない。今日は帰ってゆっくり寝よう。
そう思って帰ろうとした時。
(珍しいな、この時間に)
一軒だけ、ぽつりと明かりの灯る店があった。
引き寄せられるように店先まで来てみると、どうやら本屋らしい。
外からでも、棚に本が並んでいるのが見える。
この商店街には、たまに買い物で立ち寄る程度だが、それでも店の並びくらいは頭に入っている。
しかし、その記憶を辿ってみても・・・
こんな店は、見たことがない。
新しくできたにしては建物が古すぎる。
看板も風雨にさらされたように色褪せており、むしろ長年営業していたかのような風格すらある。
(……待てよ、そもそもここって、空き地じゃなかったっけ?)
怪しみつつも、興味が勝り、自然と足が前に出ていた。
中に入り、様子を伺う。
埃の匂い、静まり返った空間、誰の気配もない。
本棚を見回す。どれも味のある本ばかりで、タイトルも独特なものが多い。
歴史関連の棚に行くと、一冊、どうにも心惹かれる本があった。
不思議と視線が吸い寄せられる。
気づけば、手を伸ばしていた。
慎重に棚から取ったとき、手触りが違うことに気付く。
少なくとも、普段読んでいる本のブックカバーではない。
なんだか、特別感な雰囲気を感じる。
表紙のタイトルを見ると、ドイツ語で書いてあった。
(ドイツ語か、どれどれ)
スマホを取り出して翻訳機能を起動。
カメラ越しに現れたタイトルを、勝流は読み上げる。
「ドイツ軍 失われた兵器」
そのタイトルに、背筋がゾクリとした。
あまりにもタイムリー過ぎる。
「いやぁ……まさかな?まさかね」
まさかとは思う。だが、ここまで偶然が重なるものだろうか。
ページをめくる指先に、じっとりと汗がにじんでいた。
胸の高鳴りを何とか抑えつつ、ゆっくりとページを開き、ヴァッフェントレーガーの項目を探した。
そして、見つけた。
アルデルト・ヴァッフェントレーガー。
目にした瞬間、思考が一瞬止まった。
目をこすって見直す。だが、間違いない。そこに、確かにその名が記されている。
(本当にあった……!)
鼓動が早まり、興奮は最高潮に達する。
震える手でそのページを開いた、その瞬間であった。
本から、光が溢れ出した。
眩い光がページの隙間から噴き出し、まるで勝流を飲み込むかのように広がっていく。
耳鳴りがして、時間が止まったように感じた。
意識が白に塗り潰され、すべてが遠ざかっていく。
数十秒後、光はふっと消え、本は静かに閉じられた。
バサリと床に落ちる音が響く。
そこに、勝流の姿はもうなかった。
ゆっくりやっていきます。
主人公の名前の読みは、読者の方に委ねます笑