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第11話 ♡『乱れ桜、誘うは蜜の夢』

「ダ……ダメ、ですって、スイ先輩……っ」


サキの震える声が、とろけるような甘く重たい空気に溶ける。

バックヤードの薄暗い一角。

ひんやりとした壁の感触が、背中に張り付いた。スイ先輩の細い指先が、サキの桜色の猫耳をそっと撫で上げる。

微かな電流が走り、猫耳がぴくりと震えた。意識とは裏腹に、体が熱を帯びていく。

黒い猫耳と尻尾が揺れるスイ先輩の視線は、爛々と光を宿し、全てを見透かすようにサキの瞳を捕らえて離さない。

吐息が、触れそうなほど近くに感じられた。

甘く、ねっとりとした蜜のような香りが、呼吸のたびに脳の奥をくすぐり、空間を満たしている。


「あら、サキちゃん。そんなお顔をして……可愛いニャン」


スイ先輩の唇が、ゆっくりと、サキの耳へと吸い寄せられる。ゾクりとした悪寒と、抗いがたい甘美な痺れが同時に全身を駆け巡った。体が言うことを聞かない。まるで、香りの檻に閉じ込められたみたいに。




【リュウカとミャウリの朝 ~占いの囁きと幸運のバフ~】


「……ふぅ。今朝のお茶も、完璧ですわね」


観月リュウカは、私室で湯気を立てる白磁の茶碗に優雅な笑みを浮かべた。桜の香りが微かに漂う。外はまだ、いつも通りの静かな銀座の朝だ。


「ニャア〜ン……リュウカ様、ご機嫌麗しいのは結構ですが、今日の『太夫』は、まるで煮えたぎる坩堝のようですニャ」


絹のような白い毛並みの聖獣ミャウリが、リュウカの膝の上で伸びをしながら、神秘的な青い瞳を細めた。首元の鈴がちり、と鳴る。いつもより低い、警戒を孕んだ声だ。


「あら、ミャウリ。また大袈裟なことを。今朝の銀座は、いつも通り穏やかですわよ」


リュウカが扇子で口元を隠し、くすりと笑う。だが、ミャウリは大きく欠伸をして、ぷい、と顔を背けた。その丸い背中から、はっきりと不満が伝わってくる。


「……愚かな人間どもは気づいてないニャ。あの“甘い香り”は、もうすぐ溢れんばかりに膨れ上がる。特に、あのちっこいピンクの猫耳は、今日一日、とんでもないものを引き寄せることになりますニャ」


ミャウリの言葉に、リュウカの表情から、わずかに笑みが消える。「ピンクの猫耳…?まさか、サキさんのことかしら?」ミャウリは満足げにゴロゴロと喉を鳴らした。


「そーニャ。だが、安心しニャさい、リュウカ様。今日のサキちゃんには、ミャウリ様直々の『幸運値アップ』バフがかかってるニャ。どんなドタバタも、最後は可愛い笑顔で収まるニャ!」


ミャウリはそう言うと、可愛らしい肉球でリュウカの頬をぺしぺし、と叩いた。普段ならくすぐったくて笑みがこぼれるのに、今日は違った。


「あらあら。それは…心強いですわね。あなたの気まぐれな優しさには、いつも助けられますわ」


リュウカはミャウリの頭をそっと撫でた。しかし、その瞳の奥には、わずかな不安と、そして何かを見通すような深い輝きが宿っていた。今日の『太夫』は、ただの穏やかな一日では終わらない。その予感は、リュウカの中で確かに渦巻いていた。


ーーー


「はぁ〜、今日も一日頑張るぞ〜、♡」


サキはバックヤードのロッカーから、ぴかぴかの桜刺繍ミニドレスを取り出し、ぐっと気合を入れる。

ピンクのキラキラ猫耳をぴょこんと乗せ、鏡の前で笑顔の練習をした。

口角を少し上げすぎたかな、と頬を指でそっと押さえる。


「おはよー、サキちゃん。今日も元気だねー。あっ、その新作リップ、もしかして…?」


隣のロッカーでメイク直しをしていたハナが、サキの唇を見て目を輝かせた。「はぅあっ!」と奇声にも似た感動の声を上げる。彼女のスマホが、すでにサキの唇にズームされていた。


「えへへ、ハナ先輩!そうです!昨日発売の、これ、限定色のピーチコーラルティントなんです!潤いとツヤがすごいんですよ〜!」


サキは嬉しそうに、唇をぷるん、とさせてみせた。甘くフレッシュな桃の香りが、ふわりと広がる。


「やっばー!え、ちょ、これインスタにポストしていい!?『太夫のバックヤードからお届けする、限定色ティント速報!』とかで!」


「えーっ!?いいですけどぉ!?」


そんな二人の騒がしい会話に、奥のソファで優雅に脚を組み、雑誌を読んでいたリシアが、小さくため息をつく。顔は雑誌に埋めたままだが、その声にはいつもと変わらぬ冷静さがあった。


「ハナ、仕事前にあまりはしゃぎすぎないこと。…そして、サキ。そのティント、発色と持続性は良いが、香りが甘すぎる。今日の『太夫』には、あまり馴染まないかもしれない」


リシアの指摘に、サキはぴくりと猫耳を震わせた。彼女の言う通り、最近、『太夫』全体に漂っている、甘く、少しだけ熱を帯びたような芳香が、今日は特に濃い。普段はそれほど気にならないのだが、自分のティントの香りが、その甘さに拍車をかけているような気がした。


その時、バックヤードのドアがゆっくりと開き、スイ先輩が入ってきた。

艶やかな黒髪が揺れる。

彼女の黒い猫耳と尻尾は、今日は心なしか、いつもよりだらりと垂れているように見えた。

けれど、その瞳の奥には、どこか落ち着かない、奇妙な光が宿っている。


「おはよー、みんな。サキちゃん、今日も可愛いニャン。相変わらずお花畑な会話だニャ」


スイ先輩はそう言いながら、サキの頭をポン、と軽く叩いた。

その指先が、わずかに熱を帯びているように感じられ、サキはドキッとして、顔を少し赤らめる。


「スイ先輩、おはようございます!なんか、今日、先輩、いつもより元気ない…ですか?」


サキは甘い香りのせいか、スイ先輩のわずかな変化にも敏感になっていた。

スイ先輩は切れ長の目を細め、フッと笑う。その笑みには、いつもの余裕と、微かな焦燥が混じっているようだった。


「ニャンてことないニャ。ちょっと寝不足なだけニャ。それより、サキちゃん、今日の一階はいつもより忙しくなるニャ。覚悟するニャよ?」


スイ先輩の言葉に、サキの猫耳がまたぴくりと震えた。その瞳の奥には、何か含みがあるような、蠱惑的な光が宿っているように見えた。その視線が、サキの唇で止まる。




開店準備が始まり、一階のカフェはたちまち賑やかになった。甘い“香り”は、空間の隅々まで染み渡り、客たちの表情をどこかぼんやりと、そして幸福そうにさせている。メイドたちの動きも、普段よりどこか艶かしい。肌に纏わりつくような、甘い熱がそこかしこで渦巻いている。


「抹茶ラテ、お待たせいたしましたニャ♡……あれ?ユナさん、今、私の尻尾に触れたニャ?」


ユナが運んできたお盆と、スイ先輩が運んできた抹茶ラテのトレイが、すれ違いざまに僅かに触れる。ユナは羽衣を揺らし、ふわりと笑った。その表情は、どこか夢見心地だ。


「あら、スイ先輩。気のせいではありませんの?…でも、先輩の尻尾、今日も艶やかで美しいですわね…つい、触れてしまいたくなりますわ」


ユナの言葉に、スイ先輩の尻尾が微かにぴくりと動いた。彼女は照れ隠しのように、くるりと踵を返す。その足取りが、普段より少しだけ覚束ない。


サキは、そんなメイドたちの様子をきょとんとした表情で眺めていた。みんな、なんだかいつもより距離が近いような……?甘い“香り”のせいだろうか。まるで、空間の濃度が上がったみたいに、息苦しささえ感じる。


リュウカ様の指示で、サキは二階へ向かうことになった。一階でのテイクアウトの手伝いを終え、二階でコンシェルジュの補助をするように、とのことだった。


「はいっ、かしこまりました!行ってきまーす!」


サキは元気よく返事をして、メイド専用の通路を通り、二階への階段を駆け上がった。階段を上るごとに、甘い“香り”が、一段と濃厚になっていくのを感じる。まるで、花の蜜の香りが、直接脳に語りかけてくるかのようだ。意識が、ほんの少しだけ、ぼんやりとしてくる。


二階の廊下に出ると、ふわり、と背後から温かいものが触れた。思わず「ひゃっ!」と声が漏れる。


「サキちゃん、そんなに急いでどこ行くのニャ?」


いつの間にか背後に立っていたのは、スイ先輩だった。黒い猫耳がサキのピンクの猫耳に触れるほど、顔が近い。甘い香りと、スイ先輩自身の熱を帯びた甘い吐息が、サキの耳元をくすぐる。背筋にゾクッと痺れが走った。


「す、スイ先輩!びっくりしたぁ…!リュウカ様から、二階へって言われて…」


サキは心臓がドキドキと音を立てるのを感じた。まるで、甘い香りが、そのドキドキを増幅させているみたいだ。スイ先輩の切れ長の瞳が、サキの瞳を真っ直ぐに見つめる。その瞳の奥には、獲物を捉えた獣のような光が宿っていた。


「ふぅん…二階ねぇ。じゃあ、スイ先輩が案内してあげるニャ。サキちゃん、なんだか今日、美味しそうな匂いがするニャ」


スイ先輩の手が、ゆっくりとサキの腕を掴んだ。その指が、サキの腕を優しく撫でる。サキの体が、じわりと熱を帯びる。甘い“香り”が、二人の間に充満し、意識を朦朧とさせていく。抵抗しようにも、体が動かない。


「え…っ、先輩、その…」


サキが何かを言おうとしたその時、スイ先輩の指が、サキの腕をさらに優しく、しかし確かな力で引き寄せた。

二人の距離が、ぐっと縮まる。

スイ先輩の黒い猫耳が、サキのピンクの猫耳に、もう一度、ふわり、と触れる。その熱が、サキの意識を甘く乱した。


「…ニャンだか、我慢できなくなりそうだニャ」


スイ先輩の、普段よりも低い、甘い声が、サキの鼓膜を震わせた。サキの心臓が、まるで喉から飛び出しそうなくらい、激しく鳴った。



スイ先輩がサキの腕を掴んだまま、バックヤードの一角、薄暗い休憩スペースへと引きずり込んだ。甘い“香り”が最も濃く漂う場所。

まるで、ここだけ時間の流れが違うかのように、ひっそりとしている。


「ダ……ダメ、ですって、スイ先輩……っ」


サキの震える声が、甘く重たい空気に溶ける。先輩の細い指先が、サキの桜色の猫耳を優しく撫で上げていた。

微かな電流が走り、猫耳がぴくりと震える。黒い猫耳と尻尾が揺れるスイ先輩の視線は、爛々と光を宿し、全てを見透かすようにサキの瞳を捕らえて離さない。

吐息が、触れそうなほど近くに感じられた。

甘い蜜のような香りが、空間を満たしている。


「あら、サキちゃん。そんなお顔をして……可愛いニャン」


スイ先輩の唇が、ゆっくりと、サキの耳へと吸い寄せられる。ゾクりとした悪寒と、甘美な痺れが同時に全身を駆け巡った。その時、休憩スペースのドアが、音もなく開いた。


「…あら、お二人さん。随分と、熱心な交流ですこと。まさか、お仕事中だというのに、こんな場所で密会でも始めていらっしゃったのかしら?」


妖艶な声が響く。薄絹のローブを纏ったカスミが、いつの間にかそこに立っていた。

瞳にはどこか影があり、嘲るような笑みを浮かべている。

彼女の周りにも、甘い“香り”が濃く漂っているように見えた。

その香りは、カスミから発されているようにすら感じられる。



スイ先輩はサキから手を放し、わずかに身構える。顔には、いつもより険しい表情が浮かんでいた。明らかに、邪魔が入ったことに苛立ちを隠せない様子だ。


「カスミさん…何しに来たニャ」


「ふふ。わたくしとしたことが、この蜜のような香りに誘われ、つい、ここまで足を踏み入れてしまいましたわ。それに…この香りが、あまりに心地よかったものですから。ねぇ、サキちゃん♡?」


カスミはサキに向かって、甘く、ねっとりとした笑みを向けた。その視線が、サキの唇で止まる。サキは思わず後ずさる。この香り、やはりカスミ先輩が関係しているのだろうか。


「この子は、わたくしの…『お気に入り』ですの。あまり、お触りにならない方がよろしいかと思いますわ」


凛とした声が響く。いつの間にか、リュウカ様がカスミの隣に立っていた。金の扇子を優雅に開いて、口元を隠している。しかし、その瞳は、冷たい氷のようにカスミを見つめていた。その場の甘い香りの熱が、リュウカ様の出現で一瞬にして引いたように感じられた。ミャウリが、リュウカ様の足元で低く唸っている。その唸り声は、空間に漂う甘い香りを打ち消すかのように、僅かに響いた。


「あら、リュウカ様。相変わらず、お優しいことですわね。でも、この子も、そろそろ“真実”に目覚める頃合いではありませんかしら?この香りが、乙女たちの奥に秘められた、甘い欲望を呼び起こしているのですもの。ふふ、まるで、わたくしの“夢”が形になったようだわ」


カスミは挑発するように、リュウカ様の目の前でゆっくりと扇子を閉じ、嘲るような笑みを浮かべた。その表情には、リュウカ様への執着にも似た、歪んだ感情が滲んでいる。


「……わたくしの『太夫』は、乙女たちの心を踏みにじる場所ではありません。カスミ。これ以上、この場所の清浄を乱すのでしたら、わたくしも、容赦はいたしませんわ」


リュウカ様の声が、ひんやりとした空気を纏う。その声には、迷いも、諦めも、一切なかった。純粋な怒りではない、静かで深い、確固たる決意が込められている。



カスミはリュウカ様の凍えるような視線に、ふ、と笑みを深めただけだった。その瞳の奥には、不敵な光が宿っている。


「…ふふ。それでは、また。リュウカ様。そして、可愛いサキちゃん。貴女の“夢”を、わたくしは楽しみにしていますわ」


カスミはそう言い残し、薄絹のローブをひるがえして、静かにバックヤードを後にした。残されたのは、濃密な甘い“香り”と、微かな不穏な空気。そして、リュウカ様の纏う、ひんやりとした静寂。


リュウカ様は、扇子を閉じ、深々とため息を一つ。ミャウリは、低く唸り続けている。その耳が、まだ遠くの香りを警戒しているようだった。


「サキさん、スイさん。ご迷惑をおかけいたしましたわね。…今日の『太夫』は、いつも以上に賑やかになりそうです。ですが、ご安心ください。わたくしが、この場所を守り抜いてみせますわ」


リュウカ様はそう言うと、サキとスイ先輩に、慈愛に満ちた微笑みを向けた。その瞳の奥には、確かな決意が宿っていた。この『太夫』が、決してカスミの思惑通りにはならないという、強い意志だ。


スイ先輩は、サキの猫耳をそっと撫でた。先ほどの衝動的な行動から一転、どこか照れたような、悔しそうな表情を浮かべている。その切れ長の瞳が、甘い香りの影響から解放され、いつもの悪戯っぽい光を取り戻していた。


「サキちゃん…大丈夫ニャ?変なことしてないかニャ?」


サキは、まだ心臓がドキドキと鳴っているのを感じながらも、スイ先輩の心配そうな顔を見て、ふわり、と笑った。ミャウリのバフのおかげか、不思議と嫌な感じはしなかった。むしろ、スイ先輩の意外な一面を見て、少しだけ胸が高鳴っていた。


「は、はい!大丈夫です!…でも、スイ先輩、すごい迫力でしたぁ…♡」


サキはそう言って、照れくさそうに猫耳をぴくぴく動かした。スイ先輩は、サキのその反応を見て、途端にいつものSっ気のある笑顔に戻った。その瞳が、再びサキの唇へと向けられる。甘い香りの残滓が、まだそこにあるからだろうか。


「ふふ、可愛いニャン。サキちゃんは、わたくしのお気に入りだもんね。もっともっと、可愛がってあげるニャ」


サキの頬が、再び熱を帯びた。甘い“香り”は、まだそこにある。


リュウカ様は、そんな二人の様子を微笑ましく見守っていた。ミャウリがリュウカ様の足元で、小さく「マグロ丼…」と呟いた。今日の騒動の終わりを告げるかのように、食欲を訴えている。


「ふふ。今日の『太夫』は、まだまだ眠らないようですわね。皆さま、どうぞ、この『美』と『絆』の宴をお楽しみくださいませ。…わたくしも、もう少し、見守らせていただきますわ。…あら、ミャウリ。プリンアラモードではございませんの?残念ですこと」


リュウカ様の言葉は、甘い香りの残る空間に響き渡り、新たな物語の始まりを予感させた。混沌の中に、確かに『太夫』の秩序は保たれている。しかし、この『甘い香り』が、次に何を引き起こすのかは、まだ誰も知らない。


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