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苦手な方はご注意ください。

短編小説(異世界恋愛)

学園一の嫌われ者なのに、王子に好かれちゃいました

作者: 三羽高明

「イヴリンさん、また学校に来てるわよ」

「面の皮が厚い方ねえ」


 今日もクラスメイトが私の噂をしている。


 教室の一番後ろの席で本に夢中になっているふりをしながら、私は彼女たちの会話を聞き流そうと懸命になっていた。


「あんな悪い人が同じクラスにいるなんて、ぞっとするわ!」


「不正をしてまで身を立てたかったのかしら? 貧しい人って性根が卑しいわよねえ」


 言いたい放題である。思いきって席を立って、「デタラメ言わないでよ! 私にかかってる疑いは、全部冤罪よ!」と断言してやりたくなった。


 だけど、やめた。そんなことをしても彼女たちを喜ばせるだけだろう。「あんなに必死になるなんてますます怪しい」って。


 きっかけは三カ月前。王都にある名門学校……つまり、この学園の入学試験の成績が貼り出された日から全ては始まった。


 ――得点が1,000点だって……!?

 ――満点を取ったということか!? そんなの前例がないぞ!


 結果発表の場に居合わせた人たちは腰を抜かした。試験を全問正解でパスした人がいたからだ。まあ、私のことなんだけど。


 この学園の入学試験は座学から魔法の実技まで様々な項目があって、そのどれもが非常に難易度が高いことで有名である。そのため、学園が創設されて百年以上になるが、これまで満点を獲得した者は誰もいなかったのだ。


 私は当初、天才ともてはやされた。でも、入学して一月ほどたった頃から、その評判に陰りが見え始める。


 学園内にこんな噂が流れだしたのだ。


 ――イヴリンって、試験でカンニングしたらしいよ。

 ――答案用紙をテスト前に盗んだって聞いたぜ。

 ――どっちにしろ不正じゃん!


 そんなこんなで、私の信用はがた落ちになった。特に口汚く罵っていたのはA組の子たちだ。


 この学園では、入学試験の得点順にクラスが分けられる。A組にいるのは成績の上位者ばかり。もちろん私もここの所属だ。つまり、私はクラスメイトからひどく嫌われていたということである。


 ――あんな片田舎の貧乏貴族が成績トップだなんて!


 A組の生徒はほとんどが大貴族か裕福な平民の子どもばかりだ。要するに、試験勉強のために、優秀な家庭教師を雇える財力がある家の者たちということである。その中に貧しい下流貴族の娘である私がいるのは浮いた光景に見えたのだろう。


「でも、悪はいつまでも栄えないわ!」

「話によれば、外部機関が調査を始めるとか」

「これでイヴリンも終わりね!」


 チャイムが鳴った。先生が教室に入ってきたため、楽しいおしゃべりの時間は終了だ。私は胸をなで下ろす。


 まったく……。皆好き勝手なことを言い過ぎじゃない?


 卒業まであと三年間近くもあるのに、このままじゃ学園生活が悪口に彩られた最悪の期間になっちゃうじゃない!


「では、出席番号三番の方。教科書の十ページを読んでください」

「せんせぇ~。この字、何て読むの~?」

「勉強飽きたー」

「ねえ、放課後お茶飲みにいかない? 貴族街に新しいカフェができてさ~」


 いつもながらにこのクラスの授業は騒音まみれだ。どうしてA組にはこうも知性を疑うような発言をする子が多いのだろう。


 もちろん、入試の点は私のほうが上なんだから、皆の学力が低く見えるのはおかしな話ではないかもしれないけど……。


 でも、ここはA組。その所属員は腐っても成績上位者だ。それなのにクラスメイトがバカっぽいのはどうも腑に落ちない。名門校も所詮しょせんその程度ということかしら?


 などと考えていると、少々気になるヒソヒソ声が聞こえてきた。


「ねえ、あれスチュアート王子じゃない?」

「本当だ。授業参観かな?」


 スチュアート様? 私は教科書から目を上げて、こっそりと様子をうかがった。


 廊下に面した窓の外に茶髪の男性がいた。丸眼鏡をかけた知的な顔立ちは一見すると学者のようにも見えるが、れっきとした王族だ。


 けれど、学者という表現もあながち間違っていないかもしれない。彼は魔法学の研究に熱を入れていて、ご自身で研究機関を立ち上げた過去があるから。


 この国の学力水準を高めることにも関心があり、近々教育委員会の長官に任命されるとの噂もあった。


 ふと、スチュアート様と目が合う。思わずゾクリとなった。なんとなく、彼の学園訪問の目的は私なのではないかという予感がしたからだ。


 ほかの皆も同じように感じたらしい。面白おかしく噂話を始める。


「スチュアート様、きっとイヴリンを見張りにきたのよ! これ以上不正をしないように!」


「それか、イヴリンを裁きにきたのかも! 誰かが調査員として殿下を雇ったんだよ!」


「じゃあイヴリンは退学ってこと!? 嬉しい~!」


「退学ですって!? 冗談じゃないわ!」


 授業中だということも忘れて、私は憤慨して立ち上がった。


「……イヴリンさん?」

「……す、すみません」


 先生のポカンとした顔を見て、私は大急ぎで着席した。皆がクスクス笑っている。顔から火が出そうだ。


 その後の私は、授業が終わるまでずっと落ち着かない気持ちで過ごすことになった。というのも、背中にスチュアート様の視線を感じ続けていたからだ。


 チャイムが鳴る。次は実技の時間だ。グラウンドに移動するために、私は席を立った。


 教室を出る際にスチュアート様とすれ違う。彼は無言でこちらを見ていた。声をかけるべきかと思ったけれど、やめておこう。「私に退学を言い渡しにきたんですか?」なんて、恐ろしくて聞けやしない。


「横一列に並んで、的に魔法を当ててみてね~」


 実技の先生が、A組の生徒たちに指示を出す。的までの距離は2mくらい。意識を集中し、私は風の魔法を繰り出した。


 バキッ


 小気味のいい音を立てて、的が真っ二つになる。先生が「お見事!」と拍手をした。


 ……いや、別に褒めるほどのことではないでしょ。こんなの、五歳の頃からできたわよ。


 けれど、このクラスには五歳の私以下の生徒がゴロゴロいるからそういう反応になるのも仕方がないか。


 なにせ、的に当てられた子は全体の三分の二もいないのだ。大抵の生徒は、術が不発だったり明後日の方向に逸れてしまったり……ひどい有り様である。


「じゃあ、次は4m、いってみましょうか」


 用務員さんがやってきて、新しい的を準備する。設置が終わるまでの間、何気なく周囲に目をやった私はぎょっとなった。


 グラウンドの隅にスチュアート様がいる。


 まさか、ここでもつきまとわれるなんて。きっと、是が非でも私の不正の証拠をつかみたいのね!


「準備完了です」


 用務員さんが知らせてくる。


 ……よし、そっちがその気なら、目にもの見せてやろうじゃないの!


 私は難なく4m先の的を破壊した。


 次は6m、その次は8m。どちらも大成功だ。


 その次に10mの位置に的を設置しようとした用務員さんに、私はこう言った。


「もっと遠くへ置いてください」

「遠く? どれくらいですか?」

「そうですね……100mくらいでしょうか」


 周囲がざわついた。


「100m!? あいつ何考えてるんだ!?」

「最上級生だってそこまでできるかどうか……」

「気が狂ったのよ! 誰か、イヴリンを早く医務室へ連れていきなさい!」


 あいにくと私は正気だ。100mの位置に的が設置される。私が魔法を放つと、的は見事に粉砕された。皆があんぐりと口を開ける。


 まったく、何を驚いているのだか。正直に言って、これくらいでびっくりされたのでは張り合いがない。入学前に測定した私の的破壊の最高記録は561mだったのよ?


 でも、このグラウンドはそこまで広くないし、こんなところで本気を出したら校舎に穴を開けてしまう。そうなったら、学校側はこれ幸いと私を追い出すに決まっていた。力をセーブすることもときには大切だ。


 まあ、こんな手抜きでも私の実力の一端を見せることができたんだからよしとしよう。


 私はスチュアート様に視線をやった。いつも冷静なスチュアート様も、さすがにこれには驚いたらしい。ポカンとした顔をしている。私はほっとした。


 あんなものを見てしまえば、もう汚い手を使って試験に合格したなんて思わないだろう。これで彼が私につきまとうこともなくなるはずだ。


 そんなふうに考えていたのだけれど、どうやら私は甘かったらしい。スチュアート様はその後もA組の授業風景を……というよりも私を観察し続け、放課後になっても学園から去らなかったからだ。


 ……でも……大丈夫よね?


 カバンに教科書を詰めながら、私は自分をなだめる。教室は寮や自宅へ帰ろうとする生徒でごった返していた。


 スチュアート様は相変わらず廊下に立っている。帰り支度を終えた私は、できるだけ彼のほうを見ないようにして脇をすり抜けようとした。


「イヴリンさん」


 息が止まりそうになる。スチュアート様に声をかけられた。おそるおそる視線を上げると、丸眼鏡の向こうの緑の瞳と目が合う。


 スチュアート様はとても真剣な顔をしていた。私は固まって動けない。


 何、何何何!? ひょっとして退学!? もうお前は学校に来るなって言いたいの!?


「君のこと、気に入ったよ」


 スチュアート様が囁くように言う。私は天を仰ぎそうになった。


 分かってるわ。こういうことでしょう? 


『いい話と悪い話があるんだ。僕は君を気に入ったけど、残念ながら退学にせざるを得ない』


 なんてことかしら……! 話の行き着く先が見えている以上、もう彼の元に留まっていたくはない。こういうときは最後の手段だ。


 私はカバンをがっしりと抱きしめると、猛スピードで駆け出した。廊下を走るのは校則違反だけど、どの道私は学園一の嫌われ者。今さら少しくらい規則を破ったって、これ以上評判が悪くなることはあり得ないだろう。


「イヴリンさん! 待ってくれ! まだ話は終わっていない!」


 最悪なことにスチュアート様が追いかけてきた。仕方がないのでスピードアップする。


「僕は君のことが好きになってしまったんだよ!」


 とんでもない発言が飛び出してきて、思わず足が止まりそうになる。


 けれど、聞かなかったふりをした。私が好き? ありえない! 甘い言葉で釣って私を捕まえようという作戦だろう。そうとしか考えられない。


 校舎を出る頃にはスチュアート様を完全に振り切っていた。体育の授業でも私はいつも一番だもの。当然だ。


 学園に隣接した女子寮に駆け込み、自室に入った私は大きく息を吐いた。ここは男子禁制だから、いくらスチュアート様でも押しかけてこられないだろう。


 疲れがどっと押し寄せてきた。着替える気にもなれず、制服のままベッドに身を投げる。


 スチュアート様……。


 なぜだか胸が痛んだ。きっと、私がスチュアート様を好きだったからだろう。


 私は以前からスチュアート様を尊敬していた。貴賤に関係なく全ての民に高い教育を受けさせたいという思想に共感していたし、学園を卒業したら彼が運営する研究機関に籍を置きたいとも考えていた。


 ――僕は君のことが好きになってしまったんだよ!


 それなのに、あんな言葉で私をもてあそぼうとするなんて。彼は全然立派な人ではなかった。こんな最悪なことがあるだろうか? 退学を言い渡されるだけならまだしも、理想までぶち壊されるなんて。


 スチュアート様はまた明日も学園に来るだろうか。……いや、来たって構うもんか。また無視すればいいだけのことだ。それで退学の決定が覆るわけではないだろうけど、どうせならたっぷりと手こずらせてやる。私の憧れを裏切った罰だ。


 そんなことを考えているうちに、私はいつの間にか眠ってしまった。



 ****



 翌日。スチュアート様は校舎の前で待っていた。


 張り込まれているのは想定済みだ。私は自分自身に素早く魔法をかける。透明になる術だ。


 その状態でスチュアート様の横を通り過ぎる。全く気づかれない。私はにんまりとした。


 そのあともスチュアート様につけ回されたけど、私は徹底的に彼を避け続けた。


 あるときは魔法薬を飲んで豆粒サイズになり、またあるときは変身術で蜘蛛になって天井を這い……。我ながら、よくこうも色々な手を思いつけるものだと感心してしまう。


 どうやら、スチュアート様も同じように感じたらしい。放課後になると、人気のない廊下で彼はすっかり弱り切った表情でこんなセリフを口にした。


「イヴリンさん、頼むから出てきてくれ。どうして僕を避けるんだ?」


 スチュアート様はあちこちを見回した。


「今もその辺にいるんだろう?」


 大当たりだ。まあ、そう簡単には見つからないだろうけど。


「十数えるうちに出てきてくれなかったら、強制的に引っ張り出すからな」


 へえ、面白いじゃない。やれるものならやってみなさいよ! 


 スチュアート様がカウントダウンを開始する。でも、私は姿を現わさない。そうして制限時間は過ぎていき、スチュアート様は肩を竦めた。


「仕方ない……」


 スチュアート様は壁に背をつけ、低い声で詠唱を始める。


 これって、あらゆる魔法を解除する術じゃない! すごい! スチュアート様はこんなこともできるのね! さすがは私の憧れ! 


 ……じゃなかった。もう私はスチュアート様のことなんて好きじゃないもの。彼は女心を弄ぶ最低の男なのよ。嘘の告白をされたこと、忘れたの?


 廊下が赤い霧のようなもので埋め尽くされていく。これに触れると、どんな魔法もたちまち解けてしまうのだ。スチュアート様は霧の中から私の姿が現われる瞬間を捉えようと、身じろぎもしない。


 でも、残念でした。少し詰めが甘かったわね!


 私が今いるのはスチュアート様の背後。つまり、彼の影の中だ。魔法を使って入らせてもらったのである。


 スチュアート様は自分の真後ろに私がいるなんて想像もしていないようだ。懸命に前方に目を凝らしているし、魔法解除の術もここまでは届いていない。


 十分くらい捜索は続いただろうか。やがてスチュアート様は力無く首を振った。パン、と手を叩き鳴らして霧を消す。


「僕の負けだよ、イヴリンさん。君は本当に優秀だ」


 独り言のように呟いて、スチュアート様は踵を返す。またしても私の知識の勝利だ。


 さて、あとはここからお暇するだけである。


 ……そのはずだったのだが、ちょっと困ったことが起きた。


 スチュアート様が校庭に出てしまったのである。


 この魔法を使っているときは影から影へと移動することしかできない。それなのに、校庭には影ができるような遮蔽物がなにもなかったのだ。


 術を解くことは可能だけど、それではスチュアート様の前に姿を現わすことになってしまう。それは避けたい事態だった。


「はあ……。イヴリンさん……」


 校庭の真ん中に立ち、スチュアート様はため息を吐く。さっきの対決で負けたことを、まだ根に持っているのかしら?


 そうだ! 今ならスチュアート様の本音が聞けるかもしれない。だって彼は私が近くにいることを知らないんだもの。


 きっと、「いつか捕まえて退学を言い渡してやる」とか、「不正を働くなんて小賢しい女め」とか思っているに違いない。やっぱり彼は腹黒だったという確証さえあれば、絶対にスチュアート様になんか捕まるもんかという決意がより強固なものとなるだろう。


 さあ、スチュアート様! じゃんじゃん私の悪口を言いなさい! 


「好きだ……」


 ……はい?


「好きだ、イヴリンさん……」


 ええっ!?


 何これ、どういうこと?


 今は周りに誰もいないから本音を隠す必要はない。それなのに、スチュアート様は私を好きだというの?


 それってつまり、彼は本心から私を気にしていたっていうこと? 騙そうとしていたんじゃなくて?


「それなのにイヴリンさん……どうして君は僕を嫌うんだ……」


 スチュアート様が切なそうに呟く。いたたまれなくなった私はとっさに「別に嫌いというわけでは……」と返事をしてしまった。


 いきなり声が聞こえてきたものだから、スチュアート様は仰天したようだ。きょろきょろと辺りを見渡す。私は慌てて自分の口を手で塞いだが、もう手遅れだ。この魔法は声までは消してくれないんだから。


「イヴリンさん? イヴリンさんなのか?」


 聡いスチュアート様なら、この状況で私がどこに隠れているかなんてすぐに勘付いてしまうだろう。こうなったらヤケだ。私は術を解いてスチュアート様の前に姿を現わした。


「イヴリンさん……そんなところにいたのか……」


 自分の影の中から出てきた私を見て、スチュアート様は目を丸くしている。


「君はそういう術も使えるんだね。ますます興味深い。やっぱり僕はイヴリンさんが好きだ」


 スチュアート様は楽しげにふんふんと頷いている。


「あの……スチュアート様……?」


 私はどぎまぎしながら切り出した。


「好き、なんですか? 私のことが?」

「ああ、そうだよ」


 スチュアート様は事もなげに肯定した。


「初めは君の才能に関心があっただけだったんだけど……。気がついたら君自身に惹かれていたんだ。……僕、おかしなことを言っているかな?」


「……そんなことないと思います」


 私は首を振った。意外な真実を知ってしまい、どうすればいいのか分からない。


「それなら、私が不正を働いたっていう話はどう思うんですか? スチュアート様はその調査のために派遣されたんですよね?」


「ああ、そのとおりだよ。そして僕は結論づけた。あの噂はまったくのデタラメだってね」


 スチュアート様は憤っているようだった。


「それどころか、もっと大変なことにも気づいてしまったよ。この学園はどうなっているんだか……」


「スチュアート様?」


「いや、何でもないよ。そのうち君も色々と知ることになるだろうから」


 スチュアート様が顔の前で手を振った。


「そんなことより、せっかく君が僕と話してもいいっていう気になってくれたんだ。この機会に改めて伝えておくよ。僕はイヴリンさんが好きだ。よかったら、君の気持ちも聞かせてほしい」


「え、えっと……」


「なんて、いきなり言われても困るよね」


 スチュアート様が苦笑した。


「返事はまた今度でいいよ。僕としては、対面で君と話せただけで嬉しかったからね。それじゃあまたね、イヴリンさん」


 スチュアート様が去っていく。


 いつもは私が逃げる側だったのに、今回は彼のほうから私の元を離れていくとは。なんだか妙な気分だった。



 ****



 それからの数日間、私はぼうっとして過ごした。スチュアート様の告白は本気だったという衝撃が相当なものだったせいだ。お陰でこれから先の人生、ずっと上の空で過ごす羽目になるかもしれないと覚悟したほどだ。


 けれど、私の目を覚ますような出来事は突然に起こった。


「今日は皆様に重大なお知らせがあります」


 ある朝のホームルームで、担任教師が厳粛な顔でそう切り出した。


「あの、先生。ほかの皆が登校するのを待ってからお話ししたほうがいいのではないですか?」


 一番前の席に座っていた女子生徒が遠慮がちに手を上げながら言った。とても不安そうな顔をしている。それもそうだろう。今日のA組の教室には異様な光景が広がっていた。


 なにせ、室内にいる生徒は私を入れて三人しかいなかったのだから。このクラスには四十人以上が在籍しているのに。遅刻にしては数が多すぎる。


「もしかして、病気でも流行っているんですか? だから学級閉鎖するとか?」


 先ほど手を上げた生徒とは別の、数少ない生き残りのクラスメイトがそう言った。けれど先生は「いいえ」と無念そうに首を振る。


「単刀直入に申し上げましょう。今ここにいる皆様以外の生徒は、全員退学となりました」


「退学!?」


 私は目を見開いた。先生は「残念なことです」と眉をひそめる。


「彼らがA組に入れたのは、入学試験の成績を水増ししたからだと判明したのです。このような不正はとても看過できません。よって、学園から去っていただきました」


「不正……? イヴリンじゃなくて皆が……?」


「もちろん、イヴリンさんの試験結果もきちんと調べました。彼女は白ですよ。何もしていません。イヴリンさんは自力で満点合格したのです」


 先生の言葉で、今回の集団不正を暴いたのはスチュアート様だとピンときた。彼が気づいた「もっと大変なこと」というのはこれだったんだ。


「皆様も知ってのとおり、A組の生徒のほとんどは名家のご令嬢やご令息ばかり。成績優秀者の集うクラスに我が子が入れば、家の評判を高められると考えた保護者の仕業でしょうね。入学試験の実行委員会に賄賂を渡していたようです。調査によれば、このような不正は学園が設立された当初より存在していたとかで……職員会議は荒れに荒れております」


 先生は一瞬遠い目になったが、すぐに現実に引き戻されたような顔になった。


「というわけで、クラス分けを考え直す必要が出てまいりました。ここにいる皆様はA組のままですが、新しいクラスメイトが編入してくると心に留めておいてください。それまでの間、授業は行いません。自習でもしていてください」


 先生はよっぽど疲れているのか投げやりな調子で言って、教室を出ていった。残されたクラスメイトは私も含めて唖然となっていたものの、チャイムの音がして我に返る。


 次の授業……といっても自習だけど、とにかく一限目が始まるまで十分間の休みがある。クラスメイト二人が私の席に近づいてきた。


「イヴリン……ごめんなさい。あなた、本当に何もしてなかったのね」

「疑って悪かったよ」

 

 二人とも心底申し訳なさそうな顔をしている。意外にも素直な反応にどうしていいのか分からず、私は「別に気にしてないわ」と言って、ふらふらと教室を出た。


 けれど、驚きの出来事はそれで終わらなかった。外の廊下にスチュアート様がいたのだ。


「少し歩こうか?」


 誘われるままに着いていく。校舎を出て、校庭の端にあるベンチに腰かけた。


「びっくりしたでしょう?」


 皆が退学になった話だとすぐに分かった。私は素直に「はい」と頷く。


「A組の生徒で賢いと思える子なんてほとんどいなかったから、おかしいとは思っていたんですけど……。まさか試験結果を偽っていたなんて」


「僕もこの学園の卒業生だからね。気持ちは分かるよ」


 スチュアート様が同意した。


「皮肉な話だよね。イヴリンさんを疑っていた人たちのほうが、実は不正な手段でA組に居座っていたなんて」


 チャイムが鳴ったけれど、私は教室に戻る気はなかった。どこかのクラスが体育の授業を始め、校庭に賑やかな声が響く。


「この間のお話なんですけど」


 しばらく沈黙の時間が続いたあと、私は思いきって切り出した。


「私、ずっと前からスチュアート様に憧れていました」


 スチュアート様が息を呑むのが気配で伝わってきた。


「教育に重きを置くあなたの思想に共感していたんです。でも、それは恋とは違う感情で……」


 私は膝の上に置いた自分の手を穴が空くほど見つめていた。緊張しすぎて、とてもではないがスチュアート様のほうを見られない。


「それなのに、ここ何日かで私の気持ちに変化が生じました。気づけばあなたのことばかり考えているんです。憧れが恋に変わったのかもしれません。……私、おかしなことを言っていますか?」


「……そんなことないと思うよ」


 いつだったか私がしたのと同じ返事をスチュアート様が口にした。その一言で金縛りが解けたように体の力が抜け、頭が自然と動いてスチュアート様に視線が行く。


 彼は優しく微笑んでいた。


「ありがとう、イヴリンさん」


 スチュアート様が距離を詰めてきた。私はもう逃げない。少し前とは違い、今は彼の隣にいるのが何よりも心地よいと感じていたから。


「イヴリンさんは、卒業後はどうする予定? ……いや、こんなことを聞くのは気が早いかな。君は数カ月前に入学したばかりなのにね。でも、よければ考えておいてほしいんだ。君の未来に僕が入る余地があるかどうかを」


「それってつまり……」


「そう、けっこ……」


「スチュアート様が運営する研究機関で働けるってことですか!?」


 私は声を弾ませる。


「夢みたいです! 私、卒業後はあの施設の職員になりたいってずっと思っていたんですよ! 本当にいいんですか!?」


「あー……。……うん、そうだね」


 スチュアート様は一瞬だけ言い淀んだあと、なぜか顔を赤くして大げさな仕草で首を縦に振った。


「いいと思うよ。イヴリンさんなら大歓迎だ」


「うわぁ……! 嬉しいです!」


 興奮を抑えきれなくて体を前後に動かす。スチュアート様が「イヴリンさんは本当に手強いなぁ……」と呟いたのが聞こえてきた気がしたけれど、多分気のせいだろう。


 冤罪は晴れ、素敵な恋人を得て、最高の職場に勧誘までされてしまった。


 学園生活が真っ暗だったのはもう過去の話。これから私が迎える日々はとても明るいものになるだろう。


「これからも末永くよろしくお願いしますね、スチュアート様!」


 素晴らしい未来を夢想しながら、私は隣に座る王子に晴れやかな顔を向けたのだった。

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― 新着の感想 ―
イヴリンの周りとの実力の違いが、清々しいくらいすごいですね。 それなのに、スチュアート様の発言には「甘い言葉で釣って私を捕まえようという作戦」だと即座に判断する辺りは、ちょっと変わり者で、面白いですね…
 よくある事にも世に報いは少なく、共感の始まりとラストに感じる羨ましさは、報われていない何かが私にも有るようにも感じられ、この手の不平不満に他人の悪口を吐く者の傲慢さには、思う所を浮かべてしまう人は多…
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