きづかない
三題噺もどき―ろっぴゃくよんじゅういち。
「……ふぅ」
思わず漏れた溜息に、さすがに疲れが溜まっているのかと実感する。
体力に底があるようなモノではないし、繁盛期であるのは分かっているし、毎年のことだから慣れているし、たいしたことはないだろうと思っていたのだが……もういい歳だと言うことか。こんなことで年齢なんて実感したくないな。
そんなものあってないような者なのだけど。
「……」
パソコンのキーボードから手を放し、右手だけはマウスに手を置く。
左手は重くなった頭を支えるために肘をついて机に置く。
画面をスクロールしながら、ぼうっと眺める。束の間の息抜きと、一通りの作業が終わり、最終確認もかねての時間だ。
「……」
先週から毎日仕事詰めで、机にかじりついている時間が長くなっている。
日課の散歩ができていない時点で、それなりにストレスがあるのだけど、仕方がないと割り切ってさっさと仕事を終わらせることに集中している。
そのおかげか、ようやく終わりの目途がつき始めてはいるが、この後また緊急でというものが来れば話は別だ。……そういえば、先々週にあった緊急の仕事以来、そういう仕事がなくなった気がする。気のせいだろうか。
「……」
まぁ、どちらにせよ。
終わりは見えてきたので、その後のことを考えながら仕事をしている余裕くらいは出来てきた。繁盛期を終えたとて、仕事がなくなるわけではないが、時間の余裕は取り戻せる。散歩をする余裕だって出来るし、休憩の度に呼びに来られなくなる。
「……」
いっそ、休みを取ってどこかに行くとかもしてもいい。
まだ花見にも行けてないし、いつもと全く違うことをしたっていい。遊園地に行くとか楽しそうではないか。ああいう場所は見ているだけでも目が喜ぶ。こうも、仕事詰めの日々からだと、眩しいかもしれないが。温泉だって行ってみたいし、楽しむための旅はやってみたい。
……まぁ、アイツがあまり乗り気にならないのでやらないだろう。買い物くらいは行くかな。
「……ん」
作業をした画面を最後までスクロールして終わり、もう一度頭から確認しようかと思ったあたりで。―廊下を歩く気配がした。
小さく軋む廊下の音に、もうこの家も古いのだとつくづく思う。
外見はそれなりに綺麗なものだが、まぁ、住めば劣化はしていくものだろう。
「……」
足音は部屋の前の扉で止まり、こちらをうかがう様子を見せる。
私が気づいていることに気づいているのかは分からないが……まぁ、いつものように。
「ご主人」
「……」
いつまでもノックを覚えず、当然のように戸を開ける。同時に飛び込んでくる廊下の明かりに思わず目をしかめる。
慣れた視界に映るのは、小柄な少年のような姿で、今日はやけに可愛らしいりんごのワンポイントがあしらわれたエプロンを身につけている―私の従者である。
「休憩にしましょう」
「……あぁ、うん」
そう言われて、時計を見ると丁度いい時間だった。
昨日はこの来訪に気づかずに、心臓が跳ねるような思いをした。再度経験しなくて済んだのはよかったのか。コイツは私の心配をしすぎだと思うがな。
「――っぐ」
固まった体を伸ばしてほぐしながら、椅子から立ち上がる。
念の為データの保存をし、パソコンをスリープ状態にしておく。
机の上に置かれたままの、冷え切ったコップを手に取り廊下へと向かう。
飴の補充をしようかと思ったが、まだ少し残っていたので大丈夫だろう。
「……飴はいいんですか」
「あぁ、大丈夫」
部屋の戸を後ろ手に閉めながら進んでいく。
前を歩く少年は、昨日よりは随分とご機嫌が良いように見える。
何かがうまくいったんだろうか……昨日はモンブランを作っていたが、上手くいったような雰囲気だったわりにはそこまでだった。コイツの機嫌の良し悪しの基準がよく分からないな。大抵、菓子作りが上手くいったときは機嫌がいいのに。
……何で私が従者の機嫌を気にしているんだろうな。
「……今日は何を作ったんだ」
「生キャラメルです」
そんなもの作れるのかという感じだが……でもケーキ類に比べたら簡単な方なのか。
それこそ昨日のモンブランに比べたら難易度なんてたいしたことないだろうに、それが上手くいったぐらいでこんなに機嫌がいいものなのかコイツ。分からん。
「……まぁ、機嫌がいいなら何よりか」
「何か言いました?」
「いや、何も」
さて。
今日も心配症なこの従者の作る菓子に舌鼓を打って、仕事のラストスパートをかけるとしよう。
「そういえば、ようやく目途がつきそうだ」
「……そうですか、よかったです」
「迷惑をかけたな」
「いえ、仕事ですから」
お題:りんご・キャラメル・遊園地