悪意
「……っ!」
突きつけられたその答えに、吐くことも目を逸らすこともできず、ただ、言葉を失った。
「どうです、このしなやかなフォルム。多すぎず少なすぎず、絶妙な塩梅で付いた筋肉――嗚呼! まさしく剣を振ることに特化した左腕! いつ見ても素晴らしい……!」
熱の籠もったスレンの声に、ジャンクは声を震わせる。
「と言うことは今までの腕も全て――!」
「ええ、私が集めたコレクションです。腕の換装、そしてその腕に宿る記憶を引き出し技を完全に再現する――これこそが私の第二領域です」
第二領域。スレン程の実力者であれば到達していることは容易に想像が付いたが――その実態が、ここまで悍ましいものだったとは。
「アイリーンの腕は私のコレクションの中でもかなりのお気に入りでしてね。左利きの剣士自体も稀少ですが、ここまで磨き抜かれたものはそうそうありません。入学したばかりの彼女を見つけた時の私の喜びと言ったら――あれに勝る喜びは、この腕を収穫した時くらいなものでしょう」
そう言いながらも、スレンの連撃は止まらない。
左腕には剣、右腕には槍。
それぞれの腕が別の生き物のように――だが確かな連携をもってジャンク・ザ・リッパーのボディーを抉っていく。
「どうですこの連携は。元の腕の持ち主では決して不可能な技――私だからこそできる。それ則ち、この腕の持ち主に相応しいのは私であるという証明に他なりません」
「なんで、こんなこと……!」
「人は衰えるのです」
少し悲しそうに、スレンは言った。
「エルフと違い、人の寿命は短い。衰えるのも早い。どれだけ技を磨こうと、加齢による衰えは避けられない。永遠に残るべき技ですら有限なのです……私はそれが悲しい」
「だから切り落として保存しようって、そういうつもりかい!?」
「その通りです! 最盛期の状態と見定めた腕を切断し、私の術式で保存――分かりますか? これで有限は永遠となった!」
「おかしいだろ。そしたらなんでアイリの腕をあんなに早く切り落としたんだ!」
最盛期の腕を切り落とし保存する――そんなスレンの考えをジャンクはこれっぽっちも理解したいと思わないが、その論理に照らし合わせてみても、弱冠十五歳だったアイリの腕を切り落とすのは不自然だ。成長という観点ではまだまだこれからだろうに。
「簡単な話です。アイリーンは早熟の天才だった……私の経験則ではあの手の人間は衰えるのも早い。あれがベストなタイミングだったのですよ」
「早熟って……そんなの分からないだろ! なんでアイリの限界をおまえが決めるんだ!」
「言ったでしょう? 経験則だと」
「ただの屁理屈だ――! どうせおまえは我慢できなかっただけだろ!? もっともらしいことを言って、結局お前は自分の性癖に逆らえなかっただけだ! この早漏野郎!」
「いいえ、ちゃんと目算はあったのですよ。少し試したいこともありまして――ね!」
「試したいこと……?」
てっきり腕を奪ったらアイリは用済みと思っていたが……いや待て。
スレンはアイリを気にかけるような素振りを何度もしていた。
それが演技ではなく、何らかの狙いがあるとしたら……?
「腕を奪われたとて、アイリーンがそのまま諦めるでしょうか? いいえ、あの子はきっとまた立ち上がろうとするでしょう。右腕に剣を持ち替えて、ね」
二つの武器を完璧に使いこなしながらスレンは続ける。
「アイリーンの右腕が持つポテンシャルも中々のものでしたが……左腕とまるで同じ腕というのは面白みに欠けるでしょう? 少し趣向を変えようと思いまして、傷を治療する際にアイリの肉体を少し弄って私の使い魔に仕立てたんです。まあアイリは気付いていないでしょうがね」
「な!?」
人間を使い魔に仕立て上げることは理論上は可能だ――しかし倫理観の問題から、殆ど行われてはいない。
魔導学院の教師が行うなんてもってのほかだ。
だが、これまでこちらの動きをことごとく把握されていたことの説明は付く。
使い魔は視覚や聴覚を主人と共有させることができる。
つまりジャンクはアイリの目を通して監視状態にあったという事だ。
「知っての通りアイリは危険に首を突っ込む悪癖がありましてね。育てている途中に戦死なんてされてはかないませんので、もう一つ術式を脳に仕込んだんですよ」
「術式……?」
「ええ――魔族と戦おうとしたり纏鎧しようとしたりすると起動する術式でしてね。その効果は腕を切られた記憶のフラッシュバック。悪寒や吐き気等々……ありとあらゆる苦痛を感じさせるというものです」
その言葉に、ジャンクの頭の中は真っ白になった。
なんだ。
なんだその術式は。
それはまるで――アイリを二年間苛んできた発作そのものじゃないか。
「試練ですよ。術式による発作の影響を受けながらも、アイリーンは如何にそれを乗り越えるのか? 私はそれが知りたかったんです」
スレンは朗々と続けた。
「もっとも、それはアイリーン自身の手で乗り越えなくてはなりません。孤独に、孤高を貫かなくてはならない――あなたみたいな人間は完成に邪魔なのですよ。それにこの術式があれば、いたずらに戦場に出られて死ぬことも防げるので一石二鳥というもの――」
スレンの言葉は最後まで続かなかった。
ジャンクの拳が、ヴァイデのマスクに食い込んでいた。
「ふざけるなあああああああああああああああああああ!」
マガジンを換装。
バレットシューターが火を噴く。威力増幅。
吹っ飛ばされた瞬間距離を詰め、次々と拳を打ち込んでいく。
「アイリは――アイリはなぁ! そんなの望んじゃいないんだよ! おまえのくだらない性癖で、邪魔をするなあッッッッッ!」
アイリの発作は凄まじいものだった。
だがそれが彼女の心の傷が生み出した物だというのならば、仕方がないと思っていた。
向き合って癒えるのならば良し、そうでなかったとしても仕方がないと。
だがその実態は、たった一人の欲望を満たすための悪意によるものだった。
冗談じゃない。そんなのは、認められるはずもなかった。
「そんなの関係ありませんよ! 他ならぬ私が望んでいるのですから! 試練を乗り越えた先に完成するもう一対の腕――私はそれが欲しい! 第一彼女は自分の才能を理解していない。空を飛びたいなんてバカなことを考えた挙げ句に、ブラストリアなんて狂った魔導鎧装をオーダーするなんて。加速に頼った斬撃は堕落を招くと言うのに」
「黙れええええええええええええええ!」
スレンの剣と槍は、ジャンクの本体にもダメージを与えるようになったがそんなことは知った事ではなかった。
認められない。認めてはいけない。
スレンはこの手で倒す。絶対に――!
「……! 妙ですね。ここまで魔導鎧装を破壊してもここまでの動きを?」
「怒りのパワーって奴だよ……!」
ジャンクだって自分の状態は把握できていない。
あるのは、紅蓮の如き怒りだ。
それが彼女を動かしている。
ジャンクの拳が、弾丸が、刃が、次々とスレンに叩き付けられる。
形勢は逆転し、スレンは徐々に防御に回らざるを得なくなっていた。
「ハァ!」
刃が煌めき、スレンの剣を上空へとかち上げる。
ジャンクが毟り取った明確な隙。
これで終わりだ。拳を胸部に叩き付け、ゼロ距離でのギガントエンド。
スレンは確実に死ぬだろうが知った事か。
こいつはなんとしても、絶対に――!
「――私を殺せばアイリーンは壊れますよ」
「……!?」
余裕に満ちたスレンの声音に、ジャンクは拳を突き出した状態で硬直した。
「あの術式は私の意思で能動的に起動させることも可能でしてね。最大出力ならば――一瞬で廃人になるでしょうね。死ぬ間際に念ずるだけで……彼女は終わりです」
「なっ……」
嘘か真か。
それを今判断することはジャンクにはできない。
ギガントエンドは文字通りの必殺技だ。仕留め損なうことはない。
だがスレンの言葉が本当だったとしたら……その勝利に、意味はあるのか?
その迷いがジャンクを鈍らせた。
「――甘いですね」
ドスリ、と鈍い音と共に、スレンの槍がジャンクの胸を貫いていた。
「あっ……がはっ……」
「哀れな人ですね、ジャンク。想いだのなんだの、無駄なものを抱え込むからそうなるのです。あなたは迷わず切り札を使うべきだったのに。複雑に感情が絡まるとロクなことがない」
激痛に言葉も出ないジャンクに、スレンは心底失望したと言わんばかりの声音で続ける。
「私の思いは一つ――たった一つですよ。優れた腕が欲しい。それ以外はどうだっていいんです。シンプルにすることで無駄なものは排除できる。それを言えばアイリーンも無駄な物をすぐ抱え込む悪癖がありましたね。みすぼらしい孤児院の連中に、ハイネにロッソ……そしてジャンク、あなたもですよ」
スレンは自ら握る槍に力を込める。
「いずれ全員始末するつもりでしたが――まずはあなたから消えて下さい」
瞬間、槍の側面から次々と無数の棘が展開し、ジャンクの肉体を内部からズタズタにした。
「――」
悲鳴を上げる暇すら無かった。
槍を引き抜かれたジャンクは、糸の切れた人形のように崩れ落ちる。
間違いなく即死は避けられまい――そう、ジャンクが普通の人間であるならば。
「う、うぅ……」
「何……?」
苦悶の声を漏らすジャンクに、スレンは眉をひそめた。
本来であればあり得ない現象である。
最初の一撃が既に致命傷の筈であり、展開させた無数の棘はダメ押しのようなものだ。
それでもまだ、ジャンクは生きている。
さらにスレンは、もう一つの事実に気付く。
「血が、一滴も流れていない……?」
あの槍を使えば、相手は一瞬で血達磨となるはずだが、ジャンクからはそれがまったく確認出来ない。
「ああ、なるほど――そういうことですか」
納得したようにスレンが頷く。
「ならばどこまで耐えられるのか――確認するのもまた一興ですね」
仮面越しに嗜虐的な笑みを浮かべながらジャンクに近づこうとしたその時、ジャンクの懐からキューブが飛び出し、展開された魔方陣から三体の魔族が召喚された。
「!? ダメ、だ。君達がなんとかできる相手じゃ……!」
ジャンクは彼らを召喚しようとは思っていなかった。
だが魔族達はそれに聞く耳を持たず、咆哮を上げてスレンに襲いかかる。
「無駄ですよ」
槍と剣を一閃。
魔族達は一瞬でスクラップになった。
「クソッ……みんな、戻れ!」
ジャンクは慌ててキューブを掲げる。だが、
「無駄だと言ったでしょう?」
スレンが新たに換装した腕を掲げると、淡い光が周囲を照らした。
三体分の魂の反応が消滅する。否、分解されたのだ。
「この腕は高名なエクソシストから奪ったものでしてね……魂を本質とする魔族との効果は抜群。魂を分解することなど訳ありませんよ」
魔族の本質は肉体ではなく微弱な魂である。
妖精のように意思も朧気な存在だが、自我は確かにある。
危機に瀕する同胞を守ろうと思う程度には。
肉体を破壊しても魔族は死なない。
むしろそれは解放を意味する。
だが――このように魂を分解されてしまえば、それは死と同義だ。
「う、ああああああああああああああああああああ!」
絶叫し、殴りかかろうとするが、それすら覚束ない。
ジャンクの肉体もまた、限界を迎えつつあるのだ。
「ここまでくると哀れですね」
感慨もなく吐き捨て、スレンは剣を切り上げてジャンクを吹っ飛ばす。
「そろそろ地上も良い感じに仕上がった頃でしょう。あなたもくだらない連中の後を追わせてあげます」
ジャンクの首目掛けて剣を振り下ろそうとしたその瞬間――風が吹いた。
その風はスレンを吹き飛ばし、ジャンクの前に立っていた。
「――! ――――!?」
よく見ればそれは風ではなく、魔導鎧装だった。
何か必死でこちらに呼びかけているけど、うまく聞き取れない。
だが二つ確かな事がある。
その魔導鎧装はブラストリアで。
装着者は――この街でできた最初の友であるということだ。




