ジャンク・ザ・リッパー
学院都市は、魔族が頻出する地域に作られているということもあり、至るところに避難所が設置されている。ルル達の孤児院を運営しているこの貧乏教会(神父は清貧と主張しているが似たようなものだ)も、その一つだ。
「んもう、アイリってば強引なんだから。もう少し優しくしてくれてもいいってぼかぁ思うね」
「非常事態だから仕方ないでしょ。この街には魔導学院の生徒がいる……魔族が出たとしても、問題無い」
「いやそうだとしてもさぁ……」
何が不満なのか、ジャンクはブツブツと呟いている。
教会の外からは魔導鎧装の駆動音と、魔族が破壊される音が断続的に聞こえてくる。
教会に避難している人数が普段より多いためか、見慣れない顔がちらほらある。
そのせいか、こちらに向けられる視線の数も質もいつもと違った。
「おい、あいつ魔導学院の生徒だろ。何でこんな所にいんだよ?」
「知らねえのか? あいつ『流星の騎士』だぜ。発作持ちの腰抜けさ。腕が一本ないだろ? 功績が欲しくて無茶やってあのザマだとよ」
随分お詳しいことだ。
反論したいところだが、あちらの言葉は何一つ間違っていないので言い返すことが出来ない。会話を聞いていたのか、ジャンクはむっとした表情で声の主達を見た。
「変なの。あの人達だって逃げてきたんじゃん」
そう言ってくれたことは少し嬉しかったが、同時に益々情けなくなってくる。
「放っておけばいい。言い返しても、どうせ何も変わらないから」
「でも気に入らないなァ……よし、僕が文句言ってやる」
「だからいいって……!」
これ以上恥の上塗りは勘弁してくれと、ジャンクと小さく押し合いへし合いしていると、
「――アイリ君!」
話しかけてきた初老の神父は、この教会と隣接している孤児院を運営していて、そこそこ付き合いがある。その背後には孤児院で暮らしている子ども達もいるのだが……その中で一つだけ、見つからない顔があった。
「ルルはどこに?」
「分からないのです。恐らくいつもの散歩中だったところを魔族が発生したのでしょうが……」
ルルの行動範囲は広いが、魔族が発生した時には、いつもこの教会に逃げ込んでいる。
普通であれば別の避難所にいることも考えられるが……別れた場所を考えれば、一番近い品所はここのはずだ。
別の避難所にいてくれればいい。だが、そうではなかったら……?
「あたい、探しに行く!」
「俺だって!」
「私も私も!」
子ども達が次々と声を挙げる。
その心意気は素晴らしいが、アイリはイエスと言うことはできない。
「……ダメ。魔族との戦闘に巻き込まれることになる。とても危険よ」
魔導鎧装と魔族の戦いの中に生身の人間が紛れ込むのは、家畜や大木を巻き込んだ嵐の中に突っ込む行為に等しい。
「そうですよ皆さん。子供を守るは大人の役目。つまりここは私が」
「「「「「「「絶対にダメ(です)」」」」」」
「えぇ……?」
全会一致で却下された。
神父は弱い。
その弱さたるや半端ではなく、子ども達と腕相撲をすると普通に負ける。
そのくせ底抜けのお人好しであるため、トラブルによく首を突っ込むのだ。
以前、地上げ屋に子ども達が誘拐されたときも、罠だと分かっていながら丸腰で地上げ屋のアジトに向かってしまうくらいである。(尚この時は、たまたま通りがかったアイリが地上げ屋を壊滅させ事なきを得た)
「しかしこのままではルル君が……!」
「私が探してきます。こんな体ですが、死なないよう立ち回ることはできますので。みんなはここで待ってて。一歩も外に出ちゃダメだから。分かった?」
子ども達が頷くのを確認し、アイリは教会から飛び出した。
「……で、なんであんたもいるの?」
いつの間にかジャンクがぴったり横に並んで走っていた。
「え? ルルを探しに行くんでしょ? だったら僕も行くっきゃないじゃん」
「行くっきゃないって……別にルルと親しいわけでもないでしょ。数分顔を合わせたことがあるくらいで――」
「充分だよ」
ニッと笑ってみせる。それは少し前まで浮かべていた胡散臭そうな笑みとは違って見えた。
「それに人手は多い方がいいと思うなー。一人と二人だと、文字通り二倍の戦力差があるわけだしね?」
「でも魔族が――」
「そのことについて言及したら僕もこう言わざるを得なくなるぜ? 『その体でなんとかできると本気で思っているのかい?』ってさ」
ぐむっと言葉に詰まった。
「危険なのはお互い様だよ、アイリ。だったら仲良く危ない橋を渡ってやろうじゃないか!」
どうやら止めても無駄らしい。仮に強制的に迂回に叩き戻してもまた付いてくるのが目に見えている。
ならば毒を食らわば皿までだ。せいぜい利用してやろう。
「分かった。ひとまず二手に分かれて探す。魔族と遭遇したら自分の安全優先で逃げること。いい?」
「了解!」
ジャンクと別れた私は、ルルがよくいる場所がどこだったか記憶を引っ張り出して考えた。
あのちびっ子は本当に神出鬼没だ。
データはあまりにも少ない……いや待て。
「あそこなら、もしかして……!」
向かった先は近くにある橋――その下。橋の陰になっているその場所に、ルルはいた。
「ルル!」
「……!」
その声にびくりと震えるルルだったが、声の主がアイリだと分かると心なしか彼女表情が少しだけ和らいだ。
「こんな非常時に何やってるの! みんながどれだけ心配したと……」
ここで気付く。
ルルの側にいるのは、黒い毛並みの猫だ。お腹が大きい。出産が近いようだ。
「まさか、心配になってこっちに来ちゃったってこと?」
「……」
こくりと頷く。
まったくこの非常時に何をしているのかこのちびっ子は。
いや、非常時だから心配になったのか。
「とにかく一緒に教会に行くよ。大丈夫、その猫も一緒だから」
アイリとしては、正直この猫は心底どうでもいい。
置いていった方がいいのだろうが、そうなってはルルはテコでも動くまい。
ルルは安心したように猫を抱えた。
猫はルルのことを信用しているのか、されるがままになっている……が、アイリを見る目が妙に鋭い。
随分と勘の良い野生動物だ。
ルルが優しいことに感謝するといい。
そう思い小さく鼻を鳴らす。ルルを教会に届ければミッションコンプリート……と言いたいところだが、そうしたらジャンクはどうなる?
「……やっぱ一人でよかったじゃない」
まずルルを届けた後でジャンクを探しに行くか。
ルルを連れて橋の陰から出た瞬間、足下で魔力が弾けた。
「……!?」
黒板を引っ掻いたような甲高く不愉快な鳴き声に顔を上げると、そこには滞空しながら得物を睥睨する魔族の姿があった。
シルエットは人型と言えなくもないが、金属で出来た肉体と蝙蝠を掛けあわせたような異形の姿からは、不愉快と恐怖以外の感情が湧いてこない。
「クソッ――逃げるよ、ルル!」
その小さな手を引いて走る。背後から魔族が放つ光弾が地面を穿つ音が聞こえてくる。
どうやらじわじわとなぶり殺しにするのが趣味のようだ。
気に入らないが、今はそちらの方が好都合なのも確かだ。
今も鍛錬を続けていることもあり脚力には自信がある。
魔族の一匹や二匹撒くことくらい造作でもない……と言いたいところだが、ルルと一緒に逃げている現状ではかなり難しい。
今もルルの脚力に合わせて走っているのでもどかしくて仕方が無い。
これでは追いつかれるのも時間の問題だ。
せめて両手さえあれば抱えることも用意なのに……なんて、無い物ねだりをしても仕方がない。
「しばらく我慢して!」
アイリはルルを小脇に抱えると、全力で走り出した。
最悪だ。
よりによってこんな時に。ゲートから出現した魔族が街の中心部に来るという現象は珍しい。 そこに到達するまでに、生徒達の手によって破壊されるからだ。
あの個体は撃ち漏らされたものと見るべきだろう。
生徒全員に支給される耳飾り型の魔道具に向かって叫んだ。
「こちらアイリーン! 民間人が魔族の襲撃を受けている! 至急応援を――ああクソッやっぱりダメか!」
魔族はそこにいるだけで周囲の魔力を攪乱させ、魔道具や魔法の行使が不可能になる。
そのジャミングを無視出来るのが他ならぬ魔導鎧装なのだが、今のアイリには万全に使える魔導鎧装なんて持っていない。
魔道具を介した通信技術が実用化されたのはほんの数年前だから贅沢も言ってられないが、こう言うときくらい役に立って欲しかった。
それにしても、なんて遅いのだろう。
自分の脚力に、ほとほと呆れてくる。
二年前はこうではなかった。ブラストリアがあれば、あんな魔族一気に振り切れるのに。
いや振り切れるどころか、一瞬で切り刻むことも容易の筈だ。
そうしたらこんな惨めになることも、ルルを怖がらせることもなかったのに。
忸怩たる思いを抱きながら角を曲がった瞬間、息を飲んだ。
「行き止まり――!」
魔族はこれを狙っていたのだ。さらに悪いことは続くもので、蝙蝠型を追うように蜘蛛型と蟷螂型、さらには蜥蜴型もその姿を現す。
ルルが体を強ばらせた。
あの金属の怪物は、かつてこの世界に存在したとされる『魔王』とやらの忘れ形見だ。
エルフやドワーフ、ケットシーなどの亜人種とは違う、見るだけで恐怖と嫌悪感が湧き出てくるような異形――それが三体。
逃げられない。塀をよじ登っているうちに、背後からやられる。
ならば――戦うしかない。
ルルを腕から解放し、短く伝える。
「……私が足止めしている間に逃げて。避難場所は分かるでしょ?」
ルルの眉が、心配そうにへにゃりと下がった。
「大丈夫。こんなんでも騎士だったんだから」
ルル達と出会ったときにはとっくに隻腕になっていたから説得力はあまりないだろうが……それでも、自信満々に笑ってみせる。
ルルを庇うように前に出た。蟷螂型が、挑発するように両手の鎌を擦り合わせる。
敵は四体、対するこちらは一人。
まず優先的に足止めをしなければならないのは、やはり飛行能力を有する蝙蝠型……蟷螂型も稀に鎌を飛ばす個体がいる。
蜥蜴型の尾による攻撃も極めて厄介だが、接近戦に特化しているため、距離を離すことが出来ればなんとかなる。
勝てるかどうかはかなり怪しい。
生身で魔族を撃破する芸当ができるのは、ヴェニュスに済む獣人達くらいなものだ。
だがそんなの知った事か。
騎士の残りかすだろうと、せめてルルが逃げられるだけの時間は稼ぐ。
地面を蹴り、ブラストリアの鞘に手をかけた瞬間、視界が歪んだ。
「あ――」
頭の中心から凍り付いていくような悪寒。
フラッシュバックする。
二年前の森。
大剣を握った腕。
切断された――自分の腕。
「あ、あああああああ――!」
呼吸が荒い。
空気中にあるはずの酸素が全て無くなってしまったかのよう。
発作だ。
よりにもよって、このタイミングで。
衝撃が走り、視界が回る。
無様な隙を晒したアイリは、キャンサーの蹴りを食らっていた。
無様に地面に墜落する。
アイリを蹴り飛ばした蝙蝠型は、標的をルルへと切り替えた。
「待、て――!」
おぼつかない足取りで、魔族の腰にしがみつく。本当はタックルをするつもりだったのに、アイリの体にはその力がない。体から引き剥がされ、うち捨てられる。
「――!」
ルルはその場から動けていなかった。
アイリが足止めできたのは、ほんの一秒にも満たなかったのだから無理もない。
なんて、無様なんだろう。
足止めをするから先に行け、なんて言っておいてほとんど何も出来ていない。
ただ一番最悪なタイミングで発作が出て、それもサンドバッグにすらなれていない。
ブラストリアさえあれば――
拳を固く握り締めても、何の意味も無い。
「やめ、ろ……」
魔族達はアイリに関心を失ったのか、振り向きすらしない。
蟷螂型がその腕を大上段に振り上げる。
「やめろ――!」
「おりゃあああああああああ!」
瞬間、突如視界の外から繰り出された跳び蹴りが、魔族を吹っ飛ばした。
突然の乱入者に、魔族達は後方に跳躍して距離を取る。
「まったく、こんなに暴れちゃってさあ……やってくれるよ、本当に」
鈴が鳴るような声には聞き覚えがあった。
そいつは振り向くと、にっと笑ってみせる。
「大丈夫? アイリ」
「なん、で……?」
「うーん……なんとなく、かな。強いて言うなら随分騒がしいなーって思ってきてみたら案の定ってワケでね」
そうじゃない。なんで逃げなかったんだ。
こんな魔族がウヨウヨいる場所に来て、バカじゃないのか。
「――先に謝っておくよ、アイリ」
アイリに背を向け、ジャンクは言った。
「え?」
「その体で何が出来るって言ったけど、君は時間を稼いでくれた。君がいなかったらルルは殺されていたかも知れない……けど、この子は生きている。アイリも生きている。そして僕が……間に合った!」
ジャンクは見せつけるように左腕を掲げてみせる。装着されていたのは、タイプライターのキーボードのようなものが取り付けられたガントレット。
ジャンクは鼻歌交じりにキーボードを入力し、ガントレットの手の平に拳を叩き付け、叫んだ。
「|纏鎧〈てんがい〉!」
足下に魔方陣が出現し、火花を散らしながらジャンクの身体を覆うようにしてせり上がる。 魔方陣がジャンクの頭頂部を抜け、鮮やかな光と共に四散した時には、ジャンクの身体には赤と黒を基調とした鎧が装着されていた。
「魔導、鎧装……?」
ジャンクの魔導鎧装は、アイリ今まで見たことがないデザインだった。
魔導鎧装を使う人間の大半は、量産機をそのまま使うか、さらに自分に合うようにチューンナップを行うのが大半だ。
だがジャンクが着装した魔導鎧装は、それらとも違う。
遠慮無く言えば、とんでもなくぼろっちい。様々な鎧のジャンクパーツをツギハギしたような、極めて歪なデザインだ。
こんな鎧で戦場に出て来たら間違い無く正気を疑われるだろう。
「初めまして、名も知らぬ兄弟達! 僕の名はジャンク・ザ・リッパー……君達を引き裂き、殺す者だ」