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13 ジェフティ

 *


 全てが一瞬で片付いた。楽園の剣が形成した力場は、瞬時に熾天使へと到達し、歪んだ空間に弾かれ、散逸し、然し、まるで壁の内側から刃が再形成されるかのような奇妙な現象を以て、その胴体を貫いた。唖然とした表情のまま、熾天使は崩れ落ち、膝を突く。僕は思わず、やった、と息を吐いた。だが、流石と言うべきなのか、或いは、同じ天使であるが故の油断のなさなのか、サグメは崩れ落ちた熾天使に容赦なく追撃の蹴りを放ち、その身体を弾け飛ばした。上下に分かれた熾天使が、僕の前に滑るように、飛んでくる。


「……やはり……、シェ、オール……お前は……死ぬべきだ」


「……それは、どういう?」


「お前は、光を、破壊するもの。いや、……冥、府そのもの……。凍てつく、暗闇、お前は……全ての秩序を、破壊した」


 僕は思わず顔を顰めた。何が言いたいのか、良く分からない。


「お前は……現実を何だと思っている?」


 現実? 哲学的な意味だろうか? 相変わらず高位の天使との会話は要領を得ない。


「──今、目の前にある現象。それとも天使にとっては違うのか? 或いは、人工知能達にとっては」


 或いは、未来を見通せる人工知能、そして高位の天使にとっては、今と言う概念自体薄いのか。だが、熾天使は僕の問いに顔を歪ませて、耳障りな笑い声を上げた。


「今なんてものは存在しない。未来は所詮、虚像に過ぎん。……在るのは、過去だけだ……そして、お前は……全ての過去を支配出来る……」


 そこまでだった。熾天使は語るだけ語って、沈黙した。身勝手なことだ。言うだけ言って。不意に肩を叩かれ、振り返るとヴァイスが神妙な顔をして立っていた。


「お疲れ様」


 どこか他人事の言葉に、少し腹が立つ。とはいえ。ヴァイスがいなければどうしようもならなかった事態なのは確かだ。僕は渋々、頭を下げた。


「熾天使に何か言われた?」


「え?」


 思わず聞き返すと、ヴァイスは暫くじっと僕の顔を見詰めてきた。だが結局何も言わずに肩を竦めて、首を振る。


「いいや。気にしなくていいよ。ガブリエルでもあるまいし」


 *


 それから。ヴァイスとサグメがそれぞれの組織に諸々の始末が終わったことを連絡して、数十分の内に、マイクロマシンと保全天使達による町の再生と避難した人たちの再誘導が始まった。通常なら一日ほどは掛かる修復作業だが、現場に到着した天使曰く、人工知能達がかなりの演算リソースを割いたらしく、ほんの数時間で瓦礫の山が、おおよそ元通りの町に復元される予定だという。何故、と聞いても天使は困ったように首を傾げるだけだった。まあ、人工知能達の内面を推察しようとしても意味はない。


 ──復元。


「……」


 理論上。僕の力を一言で表すのなら。そういうことになるのだろうか。人工知能達も、僕のことをそう呼んでいたことがある。この世界は、変化によって形作られている。変化には方向が存在している。その方向へと向かうように物事を、法則を、世界を牽引するような引力が。


 ──貴方はその引力を振り切ることが出来る。


 かつてアリスは僕にそう言った。


 ──この宇宙には、絶対的な引力が存在しています。物事の変化、その方向性を定める引力が。その引力こそが現世の法です。もし仮に。死後の世界というものがあるのなら。それは、その引力の振り切った先でしか在り得ない。日旦。貴方は──


「……光を破壊するもの(Persephone)冥府(Sheol)。或いは、再誕の娘(Sitdjehuti)


 仰々しい徒名ばかりが増えていく。実際のところ。僕にそんな大それた力はない。さっきのことだって、ヴァイスが微小機械に干渉して、場を安定させ、かつての実験場と環境を同じように調整してくれたからに過ぎない。


 もしも。僕にそんな力があるのなら。この壊れた町を一瞬で復元出来る筈だ。かつて似たような質問をアリスにしたとき、アリスは、理論上は可能だと言っていた。理論上は。然し、現実は理論ではない。


 ふと。瓦礫の中に、手足の千切れたクマのぬいぐるみを見つけた。上に載っていた瓦礫を退かし、手に取る。持ち主に置いていかれたのだろうか。


「……」


 なんとなく。本当に、特に理由もないのだが。僕は、ぬいぐるみに手を当てて、意識を集中させた。目を閉じると、頭の中に、このぬいぐるみの“あるべき姿”が浮かんでくる。少女に抱かれたクマのぬいぐるみ。大切にされていたのだろう。汚れはない。気が付くと、腕の中でクマのぬいぐるみは、“完全な形”に復元されていた。


 このぬいぐるみには、何の“因果”もない。だから、容易に復元することが出来る。それは、逆を言えば、このぬいぐるみを少女が持っていようが、持っていなかろうが、少女の人生には、大した差は出ないということだ。


 或いは、それは、寂しいことなのだろうか。


 4


 家に帰っても姉さんが居ない。正直に言えば、そのことに安堵しているのは事実だった。今は仕事でロンドンにいるらしい。姉さんが帰って来る前に、姉さんのご機嫌を取る方法を考えておかないといけない。


「……あのー、日旦くん?」


 ソファに座ったヴァイスが、居心地悪そうにしている。まあ、無理もない。いきなり、気に掛けている相手に家に招かれれば、誰だってそうなる。尤も、ヴァイスが何故僕なんかに執着しているのか。その理由は依然として不明だ。


「ヴァイスさんは、姉さんが帰ってきたときのスケープゴートです」 


 僕の言葉に、ヴァイスは納得と忌避の感情が入り混じった複雑そうな表情で溜息を吐いた。


「畔羽……怒ってるだろうなぁ……」


「でしょうね。なので、ヴァイスさんには少しでも怒りの矛先を自分に向けてくれるように努力してもらわないと……」


「はぁ……まあ、確かに。日旦くんを危険な目に遇わせたのは事実だから仕方ないね」


 ……。そう素直に受け入れられると、此方としてはやりにくい。別に、ヴァイスには何の非もないのだ。そこは、理不尽だ、とでも言い返してもらわないと困る。僕の複雑そうな表情から何を読み取ったのか、ヴァイスは苦笑して、肩を竦めた。


「いいや。実際、熾天使が出てくるとは思ってなかったから。油断してた。実際、それ以下の天使なら、簡単に制圧出来たしね。いざとなれば、私がどうとでもすればいい、と。そう思ってたのは事実だよ」


 白騎士は全能である。但し、それが常に人類に優しいとは限らない。神と人の差があるとすれば、能力の有無ではなく、そこなのだろう。


 あの場で熾天使をどうにかすること自体は、ヴァイスにとっては、それこそ朝飯前だった筈だ。但し、その結果は恐らく壊滅的なものになる。


「姉さん……。僕が力を使うの、嫌がりますからね」


 姉さんの過保護には困ったものだ。思わず溜息が漏れる。まるで、僕の溜息に同意するかのように、湯沸かし器から蒸気が噴き出した。カップに湯を注ぎ、安物のティーバッグを入れる。滲み出る赤色に、ふと、思う。姉さんは、イギリスか。イギリスと言えば。


「ヴァイスさんは……イギリス人……なんですよね?」


 外見からは、正直良く分からない。フェイの人種的特徴というのは、変化前から引き継ぐ場合と、引き継がない場合がある。ヴァイスの場合は後者であるらしい。とはいえ、日本人ぽくはない美貌ではあるのだが。そもそも、僕はあまり、外国の人の顔立ちを判別出来るような知識はない。


「ん? うん。まあね」


「イギリス……というより、欧州でのフェイは、どんな扱いなんです?」


「イギリスが欧州かはともかく。……うーん。日本とそんなに変わらない、かな。ああ、でも、デモ関係はやっぱり日本より過激ではある」


「ああ……」


 なんとなく、想像は出来る。


「とはいっても、やっぱり島国だからね。大陸諸国よりは、マシな状況かな。あっちは、大変そうだから。まあ、赤騎士は、楽しそうだけど……」


 赤騎士。どういう人物なのかは、詳しくは知らないが。姉さんやアリスの話を聞くに、とんでもない人物なのは伝わってくる。他の組織との軋轢も凄いらしく、そのとばっちりを受けて良く姉さんが愚痴っている。


「……思ったのですが」


「ん?」


「あの熾天使のことです。彼は言っていました。組織は必ずしも一枚岩とは限らない、と。この組織というのは……何処なのでしょう?」


「……ふむ。確かに」


「僕たちは、丁度“ミッドサマー”のことを調べていたので、どうしてもそこと結びつけようとしてしまいますが……必ずしもそうとは限らないですよね。まして、たかだがテロ組織が、熾天使を味方に付けている、というのも変です」


「とはいえ、全くの無関係だというのも考えにくいと思うけど。……一枚岩じゃない、か。うん。日旦くんが気になるのなら、ちょっと整理してみようか」


 ヴァイスはそういうと立ち上がり、中空に無数の仮想窓を開いて浮かべた。それぞれにヴァイスが調べたであろう情報が纏められている。


「先ずは、ミッドサマーについて。彼らは、革命軍を自称する謂わば活動家組織。まあ、現代ではありふれたものだけど……。彼らの勢力は単なる活動家にしては、些か大きすぎる。天使を従えていたり、多数のウィザードも在籍している」


「組織の長は、クレール・クパブル、でしたっけ」


「うん。まあ、これも偽名だろうけど。フランス人らしい。そして、重要なのは、彼らは、特異点を隠れ蓑として利用している」


「然し……どうやって? そもそも、特異点とは……その、利用だとか、活用だとか……そんな融通の利くものなのですか?」


 特異点。人工知能達の演算を阻害する、なんらかの特殊な可能性を持つもの。アリスの話では、それは物であったり、人物であったり、あるいは、日時や時間の可能性さえあるという。だが、人工知能達は、それらを忌避している。理由は言うまでもない。


「分からない。何らかの特殊な技術があるのかもしれないし、特殊な物品、あるいは、人物が居るのかもしれない。クレール・クパブルという人物自身が、特異点という可能性もある。宗教組織の教祖のように崇められているという話だから。何らかの……少なくとも構成員を魅了するだけの力があるのは確かだろうね。ただ……」


「ただ……?」


「これは喫茶店でも話したけれど、特異点については思い当たる節があるんだ。マクスウェルという人工知能なんだけれど」


 そういえば、そんなことを話していた気もする。が、その時は尿意が限界で正直、全然覚えていない。思わず視線を逸らす僕に、ヴァイスはからかうように小さく笑った。


「先にトイレ、行っておく?」


「……結構です」


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