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6 白鳥


 頭の中が溶けていく感覚。熱と稲妻。甘い痺れ。指先が皮膚と肉に沈み込む感覚。


「っ……っ……ん」


 ヴァイスの膝の上で、僕は眩しい日差しを全身で浴びている。〝全身〟で。余すところなく。


「安心していいよ。光学的に、私達は誰にも認識されないから。なんなら熱源探知でも」


 傍から見たら、ベンチの上に脱ぎ捨てられた衣服だけが置かれているように見えるのだろうか。ベンチの上に、じっとりとした染みが突然湧き上がっているように見えるのか。いや、恐らくは、そうはならない。


「気になる? ほら、あっち。あの二人、こっちを見てる」


 言われて、僕は視線を上げた。女性二人が遠くから、不思議そうに此方を見ている。鼓動が跳ねて、思わず、身を捩る。下腹部の熱が、一層強く滾り、雫となって溢れた。


「大丈夫。彼女達には、私達のことは見えてないよ。見えてないけれど、確かに何かが在るとは感じてる。微小機械同士の感応だけは、遮断してないから」


「ち、近付いてきたら……っ」


「見つかっちゃうね」


 思わず浮かせた腰を、咎めるように勢いよく引き寄せられる。腹部の圧迫感に思わず声を上げそうになるのを、両手で慌てて抑えた。


「かわいいー……。私が女性だったらな。こんな偽物じゃなくて……」


「……これが、恋人らしいこと、ですか? 結構なことですね」


 精一杯の虚勢は、然し、慎ましい、可憐な微笑で一蹴された。白く長い指が、その持ち主とは対極にある、哀れなほどに平らな丘を、優しく、包み込む。先端に膨らむ蕾を指の腹で押し潰され、膝が震えた。


「それは、私の台詞だけどね。私に隠し事は出来ないよ。知っているでしょう?」


 知っている。白騎士は──彼の部隊は、情報戦を専門とする部隊だ。情報戦? 現代において、誰と、いや、何と? 言うまでもない。そう。彼は、人工知能と情報処理で張りえる唯一の人類と言ってもいい。ある側面においては凌駕さえしている。故に、彼は白騎士(勝利)──支配の名で呼ばれるのだ。


 答えよあれ、と彼が言うと、そこには答えがある。彼の能力の本質は、そのような演算であるとされる。答えを導き出すステップは必要がない。もしくはステップそのものが答えである。それはある意味において、最速の演算と言い換えることができるだろうか。


 フェイの思考など、その気になれば、彼は幾らでも覗き見ることができる。


「……」


 僕の沈黙にも、ヴァイスの指は止まらなかった。ああ、沈黙というのも無意味なのか。僕の思考はヴァイスに筒抜けなのだから。


「少し、びっくりしちゃったけど……私は構わないよ」


 何が構わないというのか。余計なお世話だ。ヴァイスの手を払い除け、立ち上がろうと、膝を伸ばす。


「いいの? 見えちゃうよ? 光学欺瞞は私の周囲にしか張ってない」


「っ……」


 ヴァイスの手が、優しく宥めるように、僕の手を引く。僕は、暫く無様な中腰の格好で抵抗をしていたが、最終的に、重力に引かれ、そのままヴァイスの膝に腰を下ろした。


 *


 騎士が剣を以て、門を叩く。騎士の名は勝利。即ち、支配。閉ざされた門へと剣の刃を差し込んで、強引に、押し開く。白い城壁には傷一つなく、然し、それ故に、その門は開かれる。傷のない外壁は、たった一度の抵抗もないということだから。


 *


 腹部の圧迫感と熱に、眩暈がする。きっとヴァイスの膝を酷く汚しているに違いない。脚が震える。腹部が震える。腰と、その下、周辺の全てが震える。内側も、外側も。力を抜こうとすればするほどに、痙攣と熱は激しくなり、意思に判して、力が籠る。


 苦悩の声を抑えて、背を丸めようとする僕に反して、ヴァイスは楽しそうだ。僕の頭を撫でながら、欺瞞の同情を口にする。


「無理しなくていいんだよ。……ね?」


「うるさ……い……」


 体を〝剣〟で貫かれているせいで、身を捩ることさえ、苦痛だった。そもそも、ヴァイスはなんて、こんなものを持ち歩いているだろうか。まさか、常日頃から所持しているのか。


「まさか! 畔羽に渡されて。正直、なんの冗談かと思ったけれど」


 姉さんの気が触れているのは何時ものことだとしても、それを律儀に持ってくるヴァイスもヴァイスだった。尤も、UNAFCのエージェントには、〝インベントリ〟と呼ばれる特殊な機材が与えられている。個人用の空間転移装置──の、実用版と言えるだろう。予め登録し、既定の場所に置いてある物体を、自身の手元に飛ばすことが出来る。エージェントが特殊任務の際に銃器を隠して携帯する為に使われるのが主だろうか。制限は多いが、便利そうではある。僕は使ったことがないので分からないが。因みに、インベントリとは目録のことだ。


 ということは、ヴァイスのインベントリには、アレが登録されているということになる。安全上インベントリの中身は、人工知能に管理されているのだが、気にならないのだろうか? 正直、正気か? と思うのだが、冷静に考えて、正気な人間は四騎士に選出されるわけもない。


「……こんなものを、インベントリに置いて、恥ずかしくないんですか?」


「日旦くんの為なら」


 殴りたい。血圧が上がったせいなのか、意識が朦朧としてきた。絶望的なまでに小ぶりな丘を、ヴァイスの指先がなぞる感覚だけが、鮮明に、曖昧模糊とした意識の中に浮かんでいる。甘く心地よい痺れが、身体を支配していた。ヴァイスの左腕が、僕の腹部を抱いて、皮膚の上から、その中に収まっているものを刺激する。滾る熱が雫となって、脚を伝わって地面に滴っていく。


「……んぁ……」


「ふふ。かわいい」


 *


 なだらかな丘に這う一筋の亀裂。その亀裂の先は冥府へと繋がっている。亀裂からは忘却の川の水が溢れ出し、白馬の足を濡らしていた。騎士は金枝を亀裂へと押し込み、冥府へ続く路を開くと、その最奥へと下っていく。


 *


 ヴァイスに手を引かれて、立ち上がる。頭がぼうっとして、上手く働かない。震える膝を抑えながら、なんとか、ヴァイスに付いていく。何人かの女性が、度々ヴァイスに近付いて声を掛けてくる。ヴァイスは、慣れた様子でそのナンパをやり過ごして、再び僕の手を引いて歩きだす。女性達からは、一体、どのように僕の姿が見えていたのだろう。或いは、見えていなかったのか。雫が地面に落ちていないといいが。


 母の腰に縋る幼子のような有様で、僕は懸命にヴァイスに付いて歩いた。時折、ヴァイスが僕の頭を撫でる。その度に、頭の中を直接触られているかのような。酷く凝っている筋肉を解されているかのような。そんな感覚に襲われて、身体に力が入らなくなってしまう。


 公園の端に、大きな湖がある。アヒルが三羽、そして、白鳥が一羽、泳いでいる。ヴァイスは転落防止柵の前で止まった。僕は何とか、柵に捕まってしゃがみ込む。


「どう? 満足した?」


「……」


 どういう意味か、とは問わない。藪蛇は御免被る。頭に伸ばされた手を払い除けて、ヴァイスに視線を向けると、ヴァイスは想像とは少しばかり違う表情をしていた。


「なんですか、その顔……というか、服……」


 ヴァイスは肩を竦めると、無言で手首をスナップした。ばさり、と。布が風にはためく音と共に虚空から衣服が現れる。


 正気か?


「あの……。インベントリに、入れたんですか? さっきの服。インベントリへの追加って、特殊な機材が必要、ですよね。持ち出し、禁止の……」


「四騎士の特権だよ」


 そうだとして。こんなことに使う為の特権でないことだけは確かだろう。ヴァイスは先程から、奇妙な表情をしていて、何を考えているのか、分からない。服を受け取り、辺りを見渡す。


「……」


 服を手渡されると、自分が今、裸であることを一層意識して、気分が乱れる。折角、少し、慣れていたのに。いや、慣れてはいけないのだが。戸惑っていると、ヴァイスの手が僕の腕を掴んだ。


「まだ、お散歩する?」


「……しません」


 いそいそと、服を着ていく。何故か下着がなかったが、そんなことを言っていられるような状況ではなかった。


「満足、した?」


「……」


 ヴァイスの視線には、沈黙を許さない何かがあった。僕は渋々、頷く。


「よかった。これくらいで、満足してくれて」

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