4 デルフィニウム
兎は、処女性の象徴だという。
「……まあ、ね。分かるよ。日旦くんの恰好は、うん。かわいい。うさぎさんね。似合ってるよ。うさぎさんは、忍耐。誠実さ。そして処女性の象徴で……うん。似合ってる。でもさ。なんで私まで? いや、百歩譲って同じような服なら兎も角……私のはなんか違うだろ?」
困惑した様子のヴァイスが着ているのは、所謂、バニースーツと呼ばれるもので、大胆に露出した脚を網目の荒いタイツで隠し、開かれた胸元から豊満な半球を零れさせていた。
「あんたにはそれがお似合いよ」
辛辣だ。
というか、僕も冗談でリタに言ってみただけなのだ。ヴァイスにも服を選んでみたら、と。そうしたら、リタは意外にもノリノリで──最初はリタも真剣に服を選んでいた。のだが、何度も何度もヴァイスはリタのチョイスに駄目出しをして、最終的にキレたリタに無理矢理あの服を着せられていた。
「日旦くんも何か言ってくれ……日旦くん?」
正直、似合っている。羨ましい。思わず溜息が漏れる。思わず、その肉付きの良い太腿に指を伸ばしてしまった。びくりと、身体が跳ねて、少女然とした悲鳴が上がる。リタが小馬鹿にしたように笑った。
「日旦くん?! なにするのっ?」
「あ、つい……」
「ふっ……だらしない脚を晒してるから悪いのよ」
晒させたのはリタなのだが、それについては深く追求しないでおこう。何やら言い合ってるリタとヴァイスから視線を外して、もう一度姿見に視線を向ける。
「……」
フードを被ってみる。フードに付いたウサギの耳には、何らかの芯材が入っており、指で整えると、ぴんと直立した。かわいい。その場で何度か飛び跳ねてみると、ゆらゆらとウサギの耳が揺れる。
「……あ」
ふと我に返ると、先程まで言い合っていた筈の二人が、何故か揃って此方を見ていた。によによとした不快な笑顔で。
*
「じゃあ、またね。日旦ちゃん。あ、通販もやってるから……というか、そっちがメインだから。良かったら利用して。さっき教えた通りに個人領域にログインして……」
親切にもリタは、この店の会員アカウントを僕の名義で作ってくれた。『デルフィニウム』。それがこの店の名前で、僕は知らなかったのだが、相当な有名店らしい。そして、この店の会員になるには、口にするのも憚られる値段が掛かる。良く考えてみれば、高給取りのエージェントが利用している店なのだから、当然と言えば当然なのかもしれないが。それをなんとリタは、無料でアカウントを作って会員にしてくれた。
「あの……お金……」
「いいのいいの。そもそも、会員と言っても、なんか特典があるわけじゃないから。この業界、見栄を張りたい馬鹿──失礼。ステータス重視の派手好きが多いから。そういったカモ──じゃなくて、上客を吹っ掛けるためのものだから。まあでも。役には立つと思うわよ」
そういってリタは僕の端末に無線で何らかのデータを送ってきた。徽章だ。会員の証。デルフィニウムの花を模しており、高度なプロテクトが掛かっていて、複製出来ないようになっている。
「識別名刺に付けておくといいわ。厄介なのを追い払えるから。……四騎士の弟だとか、エージェントだとか、そんなのよりは使いやすいでしょ?」
感謝の言葉に詰まっていると、つかつかと近寄ってきたリタに唐突に抱き寄せられた。正直、これが姉さんかそれこそヴァイスだったら、逃げ出しているところなのだが。不思議と嫌ではない。いやらしい手付きでもないし。むにむにする。
「ヴァイスとデートしてもつまらないわよ? 私とデートしない?」
「ちょっと!?」
リタとデート。悪くないかもしれない。優しくスマートにリードしてくれそうだ。ただ、気になることがある。
「あの……リタさんは……フェイのこと、どう思って、ます? その、良くしてもらって、こんなこと聞くのも、あれですけど」
「んー……そうね。なかなか難しい質問だわ。悪く思ってはいない。と言っても、フェイである貴方からすると信じられないわよね」
「ああ、いや。そんなことは。僕は、あんまり、そういう差別を受けたりしたことはあんまりなかったので。姉さんのこともありますし。出不精ですし……」
細い指先が髪を梳くのを感じながら、身体の力を抜いて、リタにもたれ掛かる。
「ふふ。まあ確かに。貴方は兎も角、お姉さんは有名だものね。……私にもね、いたの。〝兄〟が」
「お兄さん……あ」
「そう。今ではフェイだけどね。それで……兄さんは、政治家だったの。もう、それだけ言えば、兄さんがどうなったか、分かるでしょ?」
分かる。考えるまでもない。
「それで、お兄さんは……?」
「何時も部屋に引き篭もって、泣いてる。もう、何年も。……最近は、少しマシかな。私に会ってくれるし」
何と言えば良いのか分からずに言葉に詰まっていると、リタは苦笑して、僕の身体を軽く押すように、離した。
「私、昔は兄さんのこと嫌いだったの。兄さん、どちらかと言えば、なんていうのかな。保守的? な人で……私は子供で……理想主義者だった。ねえ、私からも聞いていい? 日旦ちゃんはさ。お姉さんのこと、どう思ってるの? ううん……そうじゃないか。私や〝女〟の人を、どう思ってる?」
女の人について、か。どうとも思ってないと。そう言ったら、彼女は怒るだろうか? それとも呆れるだろうか。正直に、良く分からないと、そう、言ったら。気を使ってると勘違いされるだろうか。大きな視野を持てと。活動家や宗教家(どの時代にも宗教家は存在する。社会的蓋然性によって)そして革命家は言いがちだ。僕はその手の言説は全て無視することにしている。何故なら、無価値だからだ。そして、無責任だから。
「姉さんに関して言えば。困った人だなと思っていますよ。リタさんについては──」
「リタ。リタって呼んで。ね?」
「──リタについて言うならば。親切な人だなと。優しい人だと思っています。けれど。〝女の人〟については。僕は何も言えませんし、正直に言うのであれば……どうとも思ってません」
○○一般。○○全般。○○という属性の為に。全ての○○の為に。
大きな視野なんて言葉は、目の前のものから視線を逸らす為の言い訳にしか使われない言葉だ。
「……そう」
リタはじっと僕を見詰めて、軽く肩を竦めた。怒らせてしまっただろうか。だが、リタは無言のまま僕を抱き寄せて、くるりとヴァイスの方へ向き直った。
「ヴァイス。この子、貰うわね」
「いや、あげないよ?」
ヴァイスのものになった覚えはないが。
*
リタと別れた僕達は、街中を当てもなく彷徨っていた。ヴァイスは情けないことに、ろくなデートプランもないらしい。いや、厳密に言えば、さっきまではあったのだ。この辺りで有名な画家の個展が開かれていて、そこに行く予定だったらしい。が、詳しい理由は不明だが突如中止になったという。道行く人々が漏らしていた噂では、なんでも絵画が盗まれたとか。本当かどうかは不明だが、盗まれるだけの価値があるというのなら、見てみたかった気はしなくもない。あまり、芸術には造詣が深いわけではないが。
とはいえ。不甲斐ないのはヴァイスで、プランが一つ潰れただけで、予定が全てなくなってしまうとは。
「まあ、でも。どちらにしろ、その恰好じゃ門前払いだったんじゃないですか?」
「リタが服を返してくれなかったから……」
バニースーツだ。良く似合っている。本当に。むちむちで。何故僕はヴァイスのようではないのだろう。ああ、理由は分かっている。
「……第一世代のフェイの外見が、フェイへと変化する前の精神状態と関係しているという説を、ヴァイスさんは知っていますか?」
「え? ああうん……知ってるけど……なんでそんなに胸を凝視しているの」
「……」
自信。自尊心。プライド。端的に言えば、自己の肯定が強いほど、成熟した外見に。逆に、自己否定が強いほど、幼く未熟な外見になるという。なるほど。確かに。僕は、そう自惚れ屋ではなかった。何せ、姉さんの弟だ。自分で言うのもなんだが無理もない。
そして、ヴァイスはさぞ、自惚れ屋だったに違いない。
「……傲慢な胸。傲慢な太腿……傲慢なお腹……」
「いや……あの……日旦くん……?」
思わず、溜息が漏れた。