3 エオストレ
どういうわけなのか、ヴァイスと女性は親し気に話している。知り合い、なのだろうか。
「そんなに怯えなくても大丈夫。知り合いなんだ。パンデミック前からの」
ヴァイスの横からちらりと顔を出して、女性を覗き見る。僕は、流行のファッションには詳しくないが、毎朝自動で送られてくるネットニュースによると、近頃はオレンジ色をワンポイントにした服がトレンドらしい。服の形だとか、小物はどんなのが流行っているのかだとかも一緒に乗っていた気はするが、全く覚えてはいなかった。
ただ、よく見てみると、女性はオレンジのラインが入ったタイをしていた。素人の僕から見ても、服の着こなしがお洒落なのだと分かる。正直、街中を行く女性のファッションの大半は理解出来ないものが多いが、彼女は違っていた。
「私、リタっていうの。貴方は?」
彼女──リタは、女性の子供に対してするように(フェイに対しては、例え、どれだけ身長差があったとしても、女性がそんな配慮をすることは基本的にはない)微かに膝を折って、僕と視線を合わせてきた。
「日旦、です」
「……ああ! じゃあ、貴方が噂の乙女なのね」
どんな噂なのかと、ヴァイスの顔を見るが、ヴァイスは気まずそうに顔を逸らして、追及を躱した。まあ、深く尋ねる気はない。どうせ、ろくな噂ではないのだ。
「あの……ヴァイス、さんとはどのような?」
「ん? ああ、別に。特別なことは何もないのよ。さっきそいつが言った通り、例のパンデミック前からの付き合いというだけでね。それにしても、ヴァイス、ねえ。相変わらずセンスのない偽名よね。今時、中学生でももっとマシな名前を考えるわよ」
ヴァイスは抗議の声を上げたが、リタはそれを無視すると、僕の手を引いて、店の奥へと連れて行ってくれた。ファッションには興味がない。それは本当だ。けれど、そんな僕でも、こうも煌びやかな服ばかり並んでいると気圧されてしまう。一見すると、とんでもなく過激に見える服もあるのだが、本当にあんな服を着こなせる人間がいるのだろうか?
微小機械による変化は、確かに女性の容貌にも影響を与え、それは大抵の場合、好ましい変化だったに違いない。低い鼻が高くなり、細い目が大きくなり、一重は二重になり、毛穴が引き締まり、皺が消え、ムダ毛が薄くなり──とはいえ。その変化は、旧男性を襲った変容よりは緩やかだ。容貌の劇的な変化は、精神的負荷になる。人工知能達が語った仕様によれば、女性に加えられた変化は、自己認識の矛盾許容を超えない程度に抑えられ過剰なストレスを感じないように配慮されているという。何故その配慮が旧男性に対しては一切存在していないのかは兎も角として。女性の容姿は、パンデミック前と比べれば、一様に向上したが、それでも、全員が全員、絶世の美女となったわけではない。
一歩間違えれば卑猥とも言えるようなショートパンツを、恐らくは怯えた視線で見ていた僕を、リタは苦笑して安心させるように抱き寄せてきた。
「私もああいうのは趣味じゃないけど。需要があるのよ。それにしても……その恰好って、ヴァイスがさせたわけじゃないわよね? 流石に。もしそうなら、私から叱っとくけれど……」
ヴァイスも要らぬ疑惑を掛けられて不憫だと思いつつ、然し、良く考えてみれば喜んでいたのだから同罪な気もする。僕が首を横に振ると、リタは安堵の息を吐いた。まあ、古くから知る友人が、園児服を着せたフェイを侍らせ堂々と同行させているのは、確かに気が気でないだろうが。
「姉さんに着せられて……。……。ヴァイスさんが喜ぶからって」
「お姉さん? というと、例の?」
苦笑するリタに、僕も苦笑で返して頷く。
「貴方も大変ね。ほら、こっちへ来て。子供用の服もあるの……あ、ごめんなさい。気を悪くしないでね」
「いえ。……でも、僕、その……あまりお金が。電子マネーは、セキュリティの都合であまりチャージしてなくて……現金も、その」
「心配しないで。ヴァイスの奴に払わせるから」
*
正直なところ。フェイとなってから、姉さんが僕に着せようとする少女趣味というか──僕はファッションには興味がないので、適切な言葉が思い浮かばないのだが、所謂、フェミニンというのだろうか? つまり、フリルが付いていて、と言っても、幼稚過ぎない(これは僕の細やかな抵抗の結果なのだが)そんな感じの服には色々と感じるものがあった。僕も反抗するのが面倒なので、姉さんが用意した服を流されるままに着ていたのだが、全く思うところがなかったというわけでもない。嫌悪はないにしても、好感は持てない。そんな感じだ。尤も、時折姉さんが持ち出してくるとんでもない服に比べれば大幅にマシだったので、我慢していたというのもある。言うまでもなく、園児服よりは、大抵の服の方がマシだ。
そんなわけなので、久しぶりに自分で着る服を選ぶ権利を得た僕は、質素な感じのシャツとズボンを手に取ったのだが、これがまた、絶望的に似合わなかった。考えてみればこの姿になって自分で服を選んだことはなく、男性だった時の感覚で選べばそうなるのは当然ではあるのだが。そもそも、外見の年齢も大幅に違うのだ。
見かねたリタが、僕の意を汲んで、服を選んでくれた。襟にフリルの付いたシャツと、ホットパンツ(と、言うらしい)。ホットパンツに関しては、正直脚を見せすぎだと思っていたら、気を利かせたリタが、丈の長いソックスを持ってきてくれた。ウサギの形を模したもので、長い耳のような飾りが付いていた。子供っぽい気もするが、仕方がない。事実として、子供のような容姿なのだ。〝らしい〟恰好をすることも重要なのだと先程、気が付いた。そうでないと、正直……見るに堪えない。それから、膝ほどまである裾の長い羽織も用意してくれた。袖のないパーカーのようなもので、これにもウサギを模したフードが付いている。
「うんうん。可愛いわ」
「……」
確かに。愛らしいとは思う。少なくとも園児服や、僕が犯した過ちよりは──服を買い与えられていない子供が仕方なく親の服を着ているような状態よりはマシだ。
「あら、気に入らない? 他の服を見繕う?」
「あ、いえ。そんなことは、ないんですけど。とっても、可愛いと思います。……ええ」
まあ、仕方がないというのは僕も分かっているのだ。僕だって最初は、もっと落ち着いた、大人びた、フォーマルな感じの服をリタにオーダーした。そして、リタもそれに出来る限り沿った服を持ってきてくれたのだが。やはり、似合わなかった。むしろ、背伸びした子供のような。入学式の子供のような。幼稚さが強調されるような結果になり、止めた。
もしかすると、姉さんは姉さんで気を使って服を選んでくれていたのかもしれない。ごめん、姉さん。姉さんの趣味だとばかり、思っていたよ。
「勿論、似合う似合わないなんて、気にしないで好きな服を選べばいいのよ? でも、ほら。やっぱり、一番気になるのは自分自身だから」
「似合い、ますか?」
「とっても似合ってるわ」
姿見に映っている姿は、なるほど、一見する可愛らしい。活発そうに見えるし、明るい印象を抱く。そう考えれば悪くないのかもしれない。僕の陰気さが少しは薄れるのなら。