マクガイン子爵の苦闘 ※コミカライズ一巻発売記念
ソニア王女には、いや、ニアには言えていないことがある。言えないことがある。
『お、お待ちあれ! そこのお嬢さん、お待ちになっていただきたい!』
大きな声を出しながら彼女を呼び止めたあの瞬間。
彼女の身体から立ち上っていた香りが鼻をくすぐった途端、何かが満たされたような感覚が俺の身体を走っただなんて。
更には。……渇望のような感覚が沸き上がっただなんて。
言えない。言えるわけがない。
それがどれだけ頭のおかしいことを言っているか、自分でも理解しているから。
「やっぱりこれが、運命ってやつなんでしょうか……」
「頭がおかしいとわかっていながら、それか。上司に対して良い度胸だな、お前は」
いつもの第三王子執務室、アルフォンス殿下の眼前で俺が溜息を吐きながら言えば、二つ名そのものな氷山の如き微笑みが返ってくる。
まあ、こういう反応が返ってくるだろうことがわかっているから言ってるところは確かにあるから、反論もしにくいのだが。
「いやほら、殿下だったらこういった不可解な現象についても何か知っているかもしれないじゃないですか」
「そんな変態じみた情動に関する知識が王族にあってどうする。
……いや、むしろあった方が良かったのか……?」
「あ~……もしかしたら、あの事件も防げた可能性が若干……?」
こんな端的な言い方でも伝わったらしく、アルフォンス殿下の表情が苦笑めいたものへと変わる。
かつて起こった大スキャンダル、第一王子失脚事件。
一目惚れなんてちゃちなもんじゃない勢いで男爵令嬢に惚れ込み、入れ込んだ第一王子がやらかした、一方的な婚約破棄騒動から始まった一連の騒動のことだ。
あの騒動における第一王子の言動は、明らかに異常だったそうなのだが。
「一般的なハニートラップへの対策は教育されていたけど、それだけじゃ足りなかったんだろうな。
異常な情動に対する知識や対応なんてものもあったらあるいは……なんて、今更考えても仕方のないことだけどさ」
一瞬だけ、殿下は寂しそうな顔を見せた。
直接お会いしたことはないが、まともだった時の第一王子はそれなりに良い兄貴だったんだとか。
であれば、一度懐に入れた相手にはそれなりに情を持つアルフォンス殿下が、今でも見捨てきれないのも仕方ないのかもしれない。
「まあ、だからお前の変態的な情動を研究させてもらうのも、ありはありか」
「どうしてそういう方向に着地しちゃうんですか?」
返してくれ、俺のおセンチ気分を。いや、殿下相手にいつまでもそんな気分を引きずっても仕方ないが。
「考え直してみれば、そういうサンプルケースを私が知っておくのも無駄じゃなさそうだし。
おまけに被験者は忠実なる部下。その情動が向く対象は婚約者殿だからアプローチをかけても問題もない、と、研究にこうも支障がないケースは珍しそうだしさ」
「俺の婚約生活には滅茶苦茶支障ありまくりなんですがね!?」
「そうかい?」
不思議そうに問われて、俺は言いよどむ。
ありまくる、よな……?
「婚約者殿の香りを嗅いで、好意が増すかを確認する。それがどれくらいの強さかも記録できるとなおよし。
そのためには物理的に距離を縮める必要があるわけだが、婚約者であれば何も問題はないだろう?」
「そ、それは……確かに?」
「ついでに、ヘタレなお前には距離を縮める良い口実になるだろうし」
「余計なお世話ってやつです、それは!」
反射的に言い返すが、しかしどうにも声に張りがない自覚がある。
わかってる。
『それ、ありじゃね?』って一瞬思っちまったんだよ!
そして、そんな俺の内心など、アルフォンス殿下は見透かしているようだった。
「ま、口実にするしないはともかく、どの道距離は縮めないといけないわけなんだし。
そうだな、たとえば社交ダンスの練習にでも誘うのはどうだ? これから必要になるのはなるんだし」
「あ~……やっぱ、そうですよねぇ」
こうやって具体的で的確な案を出してきたりするもんだから、反論も封じ込められてしまう。
なんせ戦争での武勲で子爵まで上がってきた俺には、まともな社交経験がない。
しかしこれからはそうもいかないわけで。なんなら社交界こそが主戦場になる時すらあるだろうから。
「仕方ない、ニアに練習をお願いしてみます」
そうだ、これは仕方なしなんだ。必要だからなんだ。
という自分でも言い訳だとわかっている建前を脳内で言い聞かせていると、アルフォンス殿下と目が合った。
「そうだな、仕方ないからな」
言うまでもなく、殿下の目は、何もかもを見透かしているかのようなものだった。
※ということで、2025年10月20日にコミカライズ一巻が発売になります!
詳細はこの後活動報告にてアップさせていただきます。
そして、コミカライズには特典SSがついてくるのですが……この短編はその前振りです。
この後アークとニアが社交ダンスの練習を始めるのですが、まさかの事態に!
続きは是非単行本特典にて!(ダイマ)




