語り継がれる聖女伝説
「そういえば隊長、聞きましたか?」
シルヴァリオ王国の王城にて。
アルフォンス殿下から振られた戦後復興に関するあれこれと、伯爵にまで登ってしまったため追加された教育で疲労困憊だった俺は、疲れ切った顔をゲイルへと向ける。
「俺はもう隊長じゃないって何度言ったら」
「しかし、マクガイン伯爵と呼ばれても落ち着かないとおっしゃってたような記憶が」
「……いやまあ、そりゃそうなんだが」
困ったような顔で頭をかけば、小さく笑っているゲイルが目に入った。
元々理知的で落ち着いた雰囲気のある奴ではあったが、最近はぐっと貫禄のようなものが出てきているような気がする。
そういえば昔は生真面目で、冗談もさして言えなかったような。
「そういうお前は、随分と貴族が板についてきたじゃないか、次期バラクーダ伯爵様?」
「それこそやめてくださいよ、私には荷が重すぎて今にも潰れそうなんですから」
「嘘つけ、それが潰れそうな男の顔かよ」
なんて会話を交わしたわけだが。
うん。やっぱり前に比べて余裕とかが違うわ。
立場が人を作るってのはたまに聞くが、ゲイルの場合は特にそれが当てはまったらしい。
ゲイルが流石なのか、バラクーダ伯爵家の婿教育プログラムが凄いのか。
……仮に教育プログラムが優れているとして、それに付いていけるゲイルがやっぱ凄いってことになる気もするが。
ともあれ、ゲイルとこんな風に話せるのは、悪い気分じゃない。
以前は、どうしても上司と部下っていう壁があったからなぁ。
今も新興伯爵家当主と由緒ある伯爵家の後継ぎって形で一応身分の上下はあるっちゃあるが、前に比べたら大したこっちゃないし。
互いの合意があれば、多少の無礼やマナー違反は許される間柄。そう考えると距離が近くなったのも当たり前か。
しかし、立場だけでこうも落ち着くもんだろうか。
いや、もしかしたら。
「もしかしてあれか、エミリア嬢に支えられてるおかげで潰れていない、と」
「……それは、否定しませんが」
途端に顔を真っ赤にしつつも素直に認めるあたり、なんとも可愛げのある奴である。
エミリア嬢との交際も順調、戦後のあれこれが片付いたら結婚式を挙げる予定だとか。
もちろん俺もアルフォンス殿下も参列予定。
……殿下とバラクーダ伯爵が談笑してるとこには絶対近づかないでおこう……胃が痛くなる話をしそうな予感がして仕方ない。
いや、もしかしたら伯爵教育の一環とかいって引きずられていくかも知れんが……その時は諦めよう。
「それを言うなら、隊長だって……ああ、すみません、それで呼び止めたのでした」
「うん? そういやなんか用事だったか?」
他愛のない雑談でうっかり時間を浪費してしまったが、元はゲイルが俺に『聞きましたか』とか話しかけてきたんだった。
何事か、と話を振ってみれば、思わぬ答えが返ってきた。
「街中で、聖女様……ニア殿と隊長の似せ絵が売っているらしい、と」
「なんだと」
その瞬間、俺の両手はゲイルの両肩をがっしりと掴んでいた。
「ちょっ、隊長っ、痛っ、痛いですって! なんか爪みたいに刺さってくるんですけど!?」
冷静沈着なゲイルが珍しく慌てているが、こればかりは仕方ない。
俺の最優先事項は、言うまでもなくニアなのだから。
「詳しく話してもらおうか。俺は今、冷静さを欠こうとしている」
「とっくに失っているような!? わ、わかりました、っていうかそのつもりでっ」
こうして、傍からみたらコントのようなやり取りをしながら、俺はニアの似せ絵情報を手に入れたのだった。
「そういえば、随分と前にそんなお話がありましたね」
シルヴァリオ王城から少しだけ離れたところにある、宿舎として割り当てられた邸宅へと戻った俺から話を聞くなり、ニアは少し困ったような微笑を浮かべた。
こういうニアも可愛い。
いやそうじゃない。そうだけど今はその話をしている場合じゃない。
「俺もうっかりしていたんですが……していたんだが、聞いてるうちに思い出したわけで。
すぐに販売している商会にいって、とりあえず一通り買ってきたのがこれなんだ」
ついつい丁寧語が出そうになる俺が言い直しつつ戦利品を見せれば、その量にニアは目をぱちくりとさせた。
ちなみに彼女には見せていないが、この倍が俺の部屋に運び込まれている。いうまでもなく、保管用と布教用である。
「これは、また随分と大変な量に……複数種類の似せ絵だけでなく、これは本……いえ、絵物語、ですか」
「そこはアルフォンス殿下が一枚噛んだらしくて」
「ああ……聖女伝説布教のため、ですか」
相変わらず察しのいいニア。流石だ。
「流石ニア、打てば響くとはこのことだ」
「もう、相変わらずお上手なんですから」
つい思ったままを口にすれば、ニアがはにかんだように笑う。
前に比べれば随分と余裕をもって受け流されるようにはなったが、それでもまだ照れが残っているのが可愛い。
「可愛い」
「アーク!?」
「いや失敬、つい思ったことがそのまま出てしまって」
「そのまま、って……もう」
……慣れたように見えて、こういうストレートな言葉にはまだまだ弱いのが可愛い。
とか考えるようになったあたり、俺も悪い男になったなぁ。……いや、まだまだか。
某殿下の顔が浮かびそうになったのを必死に押しとどめ、俺は小さく咳ばらいを一つ。
それから俺達は、視線を似せ絵と絵物語に戻した。
「こちらは、結婚式の時の……こちらは、先日画家の方がいらしてスケッチしたポーズ、ですね」
ニアが示したのは、ニアと俺が描かれた絵。
街娘に扮していた時の姿をしたニアを黒い騎士服に身を包んだ俺が抱き寄せて守っているような構図。
「いや、画家ってのは凄いものだなと。本当に物語の一幕かと思う出来栄えだなと感心してしまい……しまったよ」
また丁寧語が出そうになったので、言い直す俺。
ちなみになんでこんなことになっているかというと、ニアが丁寧語じゃない方がいいなんて可愛いことを言い出したからだ。
なんでも、その方が俺との距離が近く感じるから、だとか。
そんな可愛いことを言われてしまったら、頑張って矯正したくなるってものじゃないか!
ということで、絶賛ため口へと矯正中なわけである。
ちなみにニアが丁寧語のままなのは、彼女がまだ照れ臭いというのと、俺がこれはこれで可愛いと思っているから無理強いしていないというのが理由だ。
我ながらキモイのはわかっているので、これに関してはスルーしていただきたい。
「それで、こちらの絵物語が……これは、私達の出会いが描かれているのですか」
「みたいですね。しかも……これは、最後まで読んでもらったらわかるか」
そう言って俺が促すと、ニアは本のページをめくっていく。
途中、表情が陰ったりしたのは、仕方ないところだろう。
そして、最後まで読んで、ニアは顔を上げた。
「あの……これの続きは……?」
「絶賛制作中だそうでして」
「こ、この量で、まだまだこんな序盤、なのですか……?」
ニアが驚くのも無理はない。
この絵物語で描かれているのは、俺達の出会い、そこからの物語の、本当に序盤も序盤。
それが、随分な量の絵で描かれているのだから、恐れ入る。
「まあ、しばらく待てば続きも出るそうだから、それまではこれをじっくり読んで待っていてもいいんじゃないかな」
「そう、ですね……思わず一気に読んでしまいましたから、今度はじっくりと」
そう言いながら生来の本好きであるニアはまた絵物語へと視線を落とした。
……こんな感じで真剣に本を読んでいるニアの横顔も好きだ、なんて言ったら流石に読書の邪魔だから言わないが。
後で二人きりの時に伝えるくらいなら許されるかも知れないが。
こうして、のんびりと趣味の読書が出来る。
ニアがやっと手に入れた穏やかな時間を、邪魔したくはない。
そんなことを考えながら、ふと思い出して置きっぱなしだった紅茶に手を伸ばす。
すっかり冷めてしまったそれは、何故だかそれでもやたら美味く感じたのだった。
※ということで。
『人質姫』、なんと、コミカライズ版が公開されます!!
いきなりの発表で申し訳ありませんが、公表されたのがつい先日でして!
しかも、5/2(金)、もう明日に公開でございます!!
詳細や公開先のリンクは活動報告にてお伝えさせていただきますので、そちらもご覧いただければ幸いです!!




