人質姫は、もういない
そして、その仮面はすぐ剥がれた。
いや、ニアとか身内しか見ていないような状況だったから、致命傷は避けられたと言えなくもない状況だが。
そんなことを考える余裕もなく、俺は聖女の控室に入って扉が閉じられた瞬間、その場で膝を突いてしまった。
もしかしたら、こうなることを予測してローラが色々指示していたのかも知れないが。
こう、案内してきた神官から背中を押されたような気がするし、扉の横に控えていたトムが今まで見てきた中で一番ってくらいの鋭い動きで扉を閉めたし。
なんてことは後から思い至ったことで、この時の俺にそんな余裕はなかったわけだが。
「あ、あの、アーク様、大丈夫ですか……?」
おずおずと、ニアが聞いてくる。
そんな姿すら、今の俺にはガンガンと効いてくる。
女神が、俺だけを見ている。
今の俺には、そうとしか思えなかった。
「ニア……綺麗だ……」
「あ、あの、アーク様、大丈夫ですか……?」
さっきと全く同じセリフを、全く違う調子で言ってくるニア。
さっきは純粋に心配したものだったが、今は多分に照れが入っている。
少し朱が入った頬、わずかに逸らされた瞳。そのどれもが愛らしい。
綺麗な上に愛らしいとか最早完璧な存在じゃないか。
頭の中でそんな思考が高速で流れた後、俺ははっと我に返った。
「だ、大丈夫です、ニア。すみません、あまりに綺麗で、混乱するくらい見惚れてしまいました」
「……今もまだ、混乱されているようですが……?」
思ったままのことを口にしただけなのに、ニアの顔はどんどん赤くなっていく。
可愛い。
いや、そうじゃない。冷静になれ、落ち着け俺。
「混乱していても俺が最初に思うことはニアが綺麗だということですね」
「あの、段々私まで混乱してきたように思うのですが……」
おかしい、混乱してませんよアピールために真顔を作って返事をしているというのに、ニアの顔は赤いままだ。
何を間違ったのか全くわからないまま、俺にはどうしようもなくなっていたのだが。
「はいはいそこまで。奥様も旦那様も、大事なお仕事をお忘れですか?」
パンパンと手を叩きながら割って入ってきた奴がいる。
もちろん、ローラだ。
いや、今この時この場においてはありがたかったかも知れないが。
なんせ、こう言われたことで俺は、今が儀式の前であることを何とか思い出せたのだから。
「すまん、そうだった。準備は……十二分に出来ていますね」
そう言いながら俺は、改めてニアの装いを見る。
まず飛び込んでくるのは、目にも鮮やかでありつつ清冽な、真っ白なドレスに身を包まれたニア。
全体としての印象に華美さはないのだが、職人たちが技巧を凝らしてくれたレースがふんだんに使われ、計算されつくしたドレープがあしらわれることで優美さと神秘的な雰囲気を演出している。
それを纏うのが、元々知的でありながら明るさと芯の強さも持つニア。
さらに今日は、普段よりもちょっと大人っぽいメイクまでされているのだから、地上に降りた女神と言っても過言ではないだろう。
「どう考えても言い過ぎですよ!?」
悲鳴のようなニアの声が響く。
……え。……やべ!?
「あの。……声に出てました……?」
「……はい、それはもう、はっきりと……」
ニアの返答に、俺まで真っ赤になってしまった。
口にしたのは全部本心だが、それを他人に聞かれてしまったのが凄まじく恥ずかしい。
「ニアにだけ聞いて欲しかった……」
「そこですか!?」
そこです、と返そうかと思ったが、やめておいた。
なんか出口の見えないやり取りになりそうだったから。
「ですから、そういうのは夜に寝所でお願いいたします」
冷たいローラの声が響く。
途端に、ニアが真っ赤になったまま固まった。
いや、俺も固まったような気がするが、それはそれとして。
そっか~……いやそうだよな、そろそろ腹を括るべきだよな。
「ローラ、お前ほんと出来る侍女だよな……」
「こんなに欠片も嬉しくないお褒めの言葉もそうそうないですね」
うわ、きっつ。
にべもない言いざまのローラに、俺は逆に少しばかり安心してしまう。
現代に復活した聖女と、救い出した英雄。
そんな持ち上げられ方をしている今、俺とニアに物申そうとしてくる人間はあまりいない。
いや、ズバズバ言ってくるアルフォンス殿下はいるが。……そう考えると、あの人も貴重な存在だよな……。
だが、使用人の立場でズバズバ言ってくれる存在は、正直ありがたい。
俺が正気でいるために。どこぞの馬鹿みたいに、手にした権威だかに溺れないために。
「これからもその調子で頼むよ。お前とトムなら、驕り高ぶって隙だらけになった俺の後頭部をぶん殴れるだろうし」
「さらっと俺まで巻き込まないでくれませんか!?」
悲鳴のような声でトムが叫ぶが、撤回は出来ない。
俺のことを物理的にぶん殴れる人間は貴重なんだ、これからも付き合ってもらわないといけないからな。
「殴っていいっていうお墨付きは中々ないと思うんだがなぁ」
「だから、殴りたくないっつってんですよ、わかってくださいよ!」
……なるほど。あ~、なるほど、これは効くなぁ。
「わかった。ああ、わかったよ。お前やローラの手を煩わせない俺でいてみせるさ」
多分それが、ニアや俺を支えてくれる彼ら彼女らに報いる唯一の方法なんだろう。
本当に、真っ当に恰好がついている主であること。
聖女の伴侶として、恥じるところのない英雄でいること。
言葉にすると凄まじくしんどいが、それを選んで背負ったのは俺なんだ、放り投げるわけにはいかないってもんだろう。
「行きましょう、ニア。皆が待っています」
背筋を伸ばし、顔を作る。
余裕と親愛をたたえた、英雄の顔を。
そうして俺は、ニアへと差し伸べた。
「はい、行きましょう。……アーク」
……そしてその顔は、すぐに砕かれそうになった。
いやまってくれ、手を取りながらそんなこと言うのは、いくらなんでも反則じゃないか!?
確かに、事前の打ち合わせでそういう話はあった。
あくまでも俺は聖女の伴侶、いわば従者みたいなもんだ。
だから公的にはニアの方が立場は上、だから公的な場所に出る時はニアが上になるっていう取り決めはしてたし、俺も納得していた。
だが、今このタイミングで呼び捨ては、こう、だめじゃないか!?
だが、こんなことを考えながら、俺は顔に出さない。出さないことが、俺の意地だ。
「豪華な披露宴は考えていましたが、こんな規模のお披露目は考えてなかったなぁ」
「ふふ、公費で出来て良かった、と考えましょう。これからも、きっと色々物入りですから」
「流石マクガイン家の頭脳、財布の紐はしっかり締めている、と」
こんなやり取りをしながら会場に出ていくことが出来たのは、きっと貴族が板につき始めてきたってことなんだろう。
シルヴァリオ王都にある大きな神殿の、広場。
神官の説教を信徒が聞くだとかの用途に使われるそこは、押しかけた人々の熱狂に包まれていた。
うん。
ほんっとうに王都中の人が集まってきたんじゃないかってくらいにぎゅうぎゅう詰めで。
ここまでくると、いっそ笑えてくるな、これ。
「なんだか、笑えてきます」
思ったことそのままに、俺の口が動いた。
いやほんと、もう笑うしかない。
「何か、おかしいですか?」
「おかしいというか、愉快というか」
ニアに答えながら、改めて観衆を見渡す。
数万という規模の、大群。戦場で鍛えられた俺の目は、その規模をある程度正確に把握していた。
百万人が住むと言われるシルヴァリオ王都。その半数に届きそうな勢いで、人々がここに集まってきている。
「これだけの人を前にして、俺がニアのもので、ニアが俺のものだって宣言出来るんですから。これ以上なく愉快じゃないですか?」
「……えっと、その」
何か吹っ切れた俺がそう言えば、ニアはもごもごと口ごもる。可愛い。
いやそうじゃない。
俺がこんなことを言ったのに、即座に否定されない。それがたまらなく嬉しい。
だが。これ以上ないと思ったのに、その上があった。
「……アーク」
「はい、なんですか?」
「……私を、あなたのものにしてくれますか?」
……本気で死ぬかと思った。
なんなら、この大観衆の前で、これで死ねるなら本望だとすら思った。
だが、死ぬわけにはいかない。
おとぎ話と違って、現実はめでたしめでたしで終わらない。
この後も、人生は続くのだから。
「もちろんです」
だから。
これからも人生が続くのだから。
ニアとの生活が続いていくのだから。
少しくらい欲張ってもいいよな? とか思ってしまった。
「ニアは、俺のものだ。絶対に、離さない」
そう宣言して、抱きしめる。
……ああ。ニアは、こんなに華奢だったんだな、と今更ながらに思う。
こんな細い身体で、今まで頑張ってきたんだな。戦ってきたんだなと思えば、胸の奥から熱いものがこみ上げてくる。
「……絶対に、離さないでください。私も、離しません。……あなたのものに、してください」
こんなことを言われて、俺の理性はよく耐えたと思う。
人前でなければ、こう、激情に身を任せるところだった。ほんっとうに危ない。
「もちろん。絶対に。……永遠に」
心の底からそう誓って。
手順も何もすっ飛ばして、俺はニアと唇を重ねた。
割れんばかりの大歓声が起きたらしいんだが、その時の俺には全く聞こえなかった。
俺は、ニアと生きていく。
これから更なる無茶ぶりが待っているんだろう。厳しい戦いが待っているんだろう。
だが、それがどうした!
俺は負けない。負けるはずがない。
「ニア、愛してる。心の底から、あなただけを」
最愛の人がこの腕の中にいるのだから。
「……はい。私も愛しています、アーク」
こうして、聖女の伝説はめでたしめでたしで幕を閉じ、それから、始まった。
やがて大陸全土を巻き込んでいく聖女の物語は……きっと、いつかどこかで語られるのだろう。
だがそれは、今ではない。今は、勘弁して欲しい。
今この時だけは、二人の幸せを感じていたいのだから。
そんなささやかな願いは、今この時は叶えられた。
このまま、ずっと叶えていくために。そのためなら、いくらでも俺は、全力を尽くしてやる。
『黒狼』の牙は、そのために振るわれていくのだ。
きっと、いつまでも鈍ることなく。
※これにて、『人質姫が、消息を絶った』は完結となります。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました!
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短編版がまさかの日間総合一位、から始まり、人生初の商業書籍化まで経験させていただいた、私にとってはなんとも記念碑的な作品となりましたこの作品、皆さま楽しんでいただけたでしょうか。
そうであれば、本当に嬉しいのですが……。
そして、ありがたいことに完結までをまとめた書籍化2巻も本日刊行となります!
……一部店舗様では、すでに入荷されているようですけれども。(笑)
こちらの2巻、web版に対して大幅に修正を加えております。
読み比べていただければおわかりいただけるかとは思いますが、糖分高めになっている、はず……?
こちら、お手に取っていただけたら幸いでございます!!
後は、コミカライズ企画に関してはまだ公表出来る情報がないのですが、動いています、とだけは!
公表出来る情報が出てきましたら、随時お知らせさせていただきますね。
また、今後は時折短編を投下することも考えておりますので、その際にはお読みいただけたら嬉しいです。
長々となってしまいましたが、改めまして、皆さまここまでお読みいただきありがとうございました!
それでは、また次作でお会い出来たらと心から願っております!!




