秘された『物語』
こうして、シルヴァリオ王都は陥落した。
王宮が占拠されたことで、ただでさえ滞りがちだった防衛側の指揮系統は完全に沈黙。
何が起こっているのか城壁を守っている兵士達が理解するよりも早く城門は開けられ、ブリガンディア軍がなだれ込んできてしまえばもうどうしようもない。
さらに国王から降伏する旨が伝達されれば、抵抗しようとする者は全くと言っていいほどいなかった。
一般兵士の忠誠心なんてそんなもんだ、普通は。
後は粛々と戦後処理をして、シルヴァリオ王国を併呑するだけ、のはずだったんだが。
「何してくれてんの、お前達は……」
いつか見たような姿勢で頭を抱えながら、アルフォンス殿下が呻くような声で言う。
ここは占拠したシルヴァリオ王宮内にある、殿下が執務室として接収した一室。
そこで、俺やニアなど主だった面々を前にして今後のことについて話をしよう、ということになってたわけだが。
「……外からも見えてしまってましたか」
「ああもう、ばっちりとな」
このやり取りで察してもらえるだろうか。
第三王女オリヴィアが発狂した時に出てきた黒い靄。
そして、それを打ち払った白い光。
事が起こったのは室内だったというのに、これらが王宮の外からも見えてしまっていたらしい。
「なんだってそんな、おとぎ話みたいなことになってるんだよ、本当に」
「俺だってわかりませんよ、本当に。唯一わかるかも知れなかった奴は、あれですし」
珍しく愚痴っぽい物言いをするアルフォンス殿下だが、俺にだって当然わからない。
そして、もしかしたらわかるかも知れない第三王女からは、聞き出せない。
奴は、聞き出せる状態にない。
謎の光を注ぎ込まれて気絶したシルヴァリオ王国第三王女オリヴィアだが、その後、いまだに目を覚ましていない。
医者曰く、呼吸もあり、生きてはいる。
だが、目に光を当てるなど、様々な刺激を与えても全く反応がない状態だ。
つまり、心だとか脳だとかが死んだ状態になっているっぽい。
「まあどうせ、最終的には幽閉か毒杯か斬首かだったから、そこはいいんだけどさ」
いいんかい。
とか心の中でツッコミを入れつつ、俺はちらりと横目でニアの顔を伺う。
……こんな話を聞かされても、彼女に動じた様子はない。
多分大丈夫だろうとは思っていたし、殿下もそう判断したから歯に衣着せずしゃべってるんだろうが。
本音のところはわからないが、今ニアが顔に出していないなら、今気遣うことではないのだろう、きっと。
だから殿下は、話を止めずに続ける。
「あれを目撃した人間や、彼らが流してしまった噂をどうにかする『物語』が欲しいわけなんだよ、こちらとしては」
「はぁ、『物語』ですか」
「そう、物語さ。目撃されたのは仕方ないし、噂が広がるのはどうしようもない。だが、無軌道に尾ひれが付いていくのはよろしくない。そのためには、ある程度こちらに都合のいい形で収まる器、つまり『物語』が必要になるわけさ」
なるほど、そういうことか、と納得してしまう。
無責任な噂話が好きな奴ってのはいるもんで、これはもう性分なんだから仕方がない。
だが、そのせいで要らん憶測だとか動揺だとかが生まれても困りもの。
そこに、人々が好みそうな『物語』で方向性をつけてやろうってわけだ。
「……そんなの、殿下だったら簡単じゃないですか? でまかせ、もとい即興で話を作るなんざ得意技じゃないですか」
「お前が私をどういう目で見ているかはよくわかったよ。それはともかく。他国の人間である私では、シルヴァリオの文化に根差したディテイルを持つ『物語』を提供出来るかに少々不安が残るんだよ」
珍しく控えめな態度を取るアルフォンス殿下。
確かに、同じ神を崇める隣り合った国、といっても文化というものはそれなりに違うもんだ。
特にこのシルヴァリオは、貿易によって潤ってきたからか庶民生活ですらブリガンディアと少々違うところがあるようだし。
となると、だ。
「つまり、ニアの出番なわけですか」
「それももちろん考えたんだけどね」
確認のつもりで言ったんだが、返ってきたのは予想外の返しだった。
てっきりそのつもりでニアも呼んだんだと思ってたんだが……アルフォンス殿下は、悪戯が成功したとばかりな顔でニヤニヤ笑ってやがる。
もとい、笑っていらっしゃる。危ない危ない、心の中を読まれたら危ないところだった。
「アーク?」
「いえ、なんでもありませんよ?」
……ほんとに危ないところだった気がしないでもないが。
それはともかく、どういうことなんだ?
と促すようにアルフォンス殿下に目を向ければ、あまりもったいぶるつもりはなかったらしく、殿下はすぐに口を開いた。
「君がいいネタを持ってるんじゃないかい? ローラ・アルバシャフ嬢」
殿下の言葉に、ニアの傍に控えていたローラへと全員の視線が集まる。
これだけの視線を受けてなお動じないこいつの神経は本当に大したもんだとも思うが。
同時に、別のことも頭をよぎった。
「今、アルバシャフとおっしゃいましたか? その家名、聞き覚えがあるんですが……昔、この辺りにあった王国とその王家の名前じゃ?」
「その通り。よかったよ、これでピンと来てなかったら話が進まないところだった」
なんて冗談めかして殿下は言ってるが、これで知らなかったらほんとにクビの危機だった気がするんだが。
俺や特務大隊の面々は、殿下の指示で工作活動を行うことも少なくない。
その場合、近隣の王家や主だった貴族の家名は必要最低限な知識の一つ。
その中には滅んだ王家も含まれる。というか、むしろそういう家こそ覚えていないといけないくらいだ。
そういう家を担ぎ出そうとしたり、復興を期して暗躍しようって奴もいるだろうし。
だから、殿下は俺がアルバシャフという家名を知っている前提で話したところもあるんだろう。
しかしそうなると、一つおかしなことがある。
「……なんで俺、ローラの家名を気にしてなかったんだ……?」
ソニア王女に仕える男爵家の人間であることは知っていた。
だが俺は、その家の名を知ろうとしなかった。俺の今までを考えれば、不自然なほどに。
視線をやれば、相変わらず表情の薄いローラ。その隣にいるニアも、戸惑ったような顔をしている。
「そこも含めて説明してもらえると嬉しいんだけどな」
アルフォンス殿下からも視線を向けられ、ローラは観念したかのように一つ息を吐き出した。
「直答をお許しいただけた、という解釈でよろしゅうございますか?」
「うん、もちろん。何なら、今後も君は私に対して直答してくれて構わないよ」
若干だが、ローラが面食らったような顔になった気がする。
王族にしちゃ珍しい態度だと思うが、平民出身のゲイルとも普通に話す人だからな、アルフォンス殿下。
男爵家出身のローラなんてこれくらいの扱いはある意味当然かも知れない。
ローラもローラですぐ立ち直ったらしく、表情はもう元に戻っていた。
「かしこまりました。まず、アルバシャフ王国がどのように成り立っていたか、皆様ご存じでしょうか」
そう問われ、全員が全員頷く。
俺でさえ知ってるんだ、ニアや殿下は言うまでもない。
アルバシャフ王国は、一種の宗教国家だったそうだ。
神への信仰が強かった時代に、神の声を聞くことが出来た男が現れて建てた国だという。
その後も預言者や聖女といった神から愛された人間が幾人も現れ、彼ら彼女らを保護することで王国は揺るぎない立場を手にしていた。
だが、時代が下るにつれて信仰心は弱くなり、預言者や聖女も現れない時期が多くなっていく。
そして最後に現れた聖女が身罷ってから十年ばかり経った頃に、シルヴァリオ王国に飲み込まれたはず。
「シルヴァリオ王国に男爵として組み込まれる際、アルバシャフの当主はまじないをかけたのだそうです。滅んだ王家として侮られることなく、ひっそりと暮らすために。それでいて、残された使命を果たすために」
「残された、使命?」
そこまで聞いて、俺の脳裏にひらめくものがあった。
目を向ければ、ニアも同じく思い至ったようである。
「ニア。あなたは、ローラの家名を知っていましたか? というか、知ろうと思いましたか?」
「……はい。出会った最初の時に、まず確認しました」
俺が問えば、ニアはこくりと頷いた。
アルバシャフ王家を知っているニアのところに、アルバシャフを家名として持つローラが侍女としてやってきたとなれば、そりゃ聞かないわけにはいかないだろう。
俺だって、雇用主としてローラの家名は確認しなければいけない事項であったはず。
なのに、気にもしなかった。ニアの侍女ということで信頼していたのもあるが、それでもおかしい。
「これがまじないの効果か。伝わるべき人間にだけ家名が伝わるように。あるいは、守護すべき存在がわかるように」
「その通りです。預言者や聖女であれば、まじないの効果を受けないのです」
だから俺は気付かず、ニアはローラの家名を知ろうとした。
そうなってくると、おかしなことが一つあるんだが。
その答えに至っている人が、一人いた。
「しかし、あくまでもまじないでしかなかった。強い意志を持って調べようとすれば調べられる程度の」
「かつての魔力は失われておりましたし、それで充分ではあったのです。うだつの上がらない男爵家を調べようとする人間などいませんでしたから」
アルフォンス殿下が問えば、ローラが肯定する。
お世辞にも、殿下は預言者だとか神職者なんてタイプではない。
そんな殿下がアルバシャフのまじないに打ち勝ったのは、その意志力によるものだったんだろう。
……そう考えると、ちょっと自分が情けなくもなるが。
「アーク様は、ローラも身内として受け入れてくださったからですよ」
そんなにわかりやすく顔に出ていただろうか、すかさずニアが慰めてくれる。
嬉しいような情けないような、複雑な気分だ。
しかし、ここまで聞くと色々納得も出来る。
「ローラがニアに色んな教育が出来たのも、元王家の人間としての教養だとかが受け継がれてきたからか? 謎にあちこち人脈があるのも」
「そうですね。別に王家復興の野心などがあったわけではないのですが、なくしてしまうのももったいないものですし」
「おかげでニアがブリガンディアにきても快適に暮らせていたんだから、そこは感謝しきりだが」
「奇遇ですね、そこばかりは私も感謝してしまいましたよ」
そう言いながら、ほんのりとした笑みを見せるローラ。
そのことに、少しばかり安心もしてしまう。
「そうか。……アルバシャフのことがわかったから、ニアが、ソニア王女が聖女だからってだけで仕えてたわけじゃないんだな」
「それが最初ではありましたが。それだけでは、ありませんでした」
ローラの顔を見ていればわかる。
仕えているうちにソニア王女のことを気に入り、なんとかしたいと思うようになっていったんだろうな。
ニアは、ソニア王女はそういう人だと、俺だってよく知っているんだから。
「ですから、姫様を踏みにじるような政略結婚なんてぶっ潰そうと思っていたわけですが」
その政略結婚の相手予定だったアルフォンス殿下を前にして、よくも言ったもんだな、こいつ。
いや、この場合は俺も政略結婚と言えばそうなるのか。
ニアがブリガンディアで身分を手に入れるためにした結婚なんだから。
複雑な顔になる俺。楽しそうにしているアルフォンス殿下。そして、ハラハラしているニア。
それぞれの顔へと視線を動かした後、ローラはまた一つ息を吐き出した。
「私の負けです。マクガイン子爵様なら、と思ってしまいました」
「ローラ……」
どこか寂し気に、少しさっぱりしたような顔でローラが言えば、ニアが驚きの顔になり。
それから、瞳を潤ませた。
育ての親、頼りになる姉のような存在であるローラからこんなことを言ってもらえたのだ、感極まったのかもしれない。
まあ、うん。俺といえば、なんだか達成感というか嬉しいというかな気持ちもありつつ、責任の重さのようなもんも感じているわけだが。
元々ニアを粗末に扱うつもりはなかったが、ますます、だなぁと。
「アルフォンス殿下がお求めの『物語』については、アルバシャフ王国の時代から伝わる聖女の逸話をアレンジするのがよろしいかと思います。今のシルヴァリオ国民にも馴染んでいるものがございますから」
「なるほど、アークがソニア王女、もといニア殿の伴侶としてふさわしくなかったら、その『物語』も提供しなかった、と」
殿下が楽し気に言えば、思わずぎょっとしたもんだが。
それにあっさりと頷いてみせるローラに更に度肝を抜かれてしまう。
まじかこいつ。そこまでか。
……いや、そこまでなんだな。そこまでニアを、ソニア王女を大事にしていたってことなんだな。
なのに、俺をニアの伴侶として認めてくれた。その信頼は裏切りたくないなと思う。
「じゃあ、その方向でいこうか。アーク、聖女様の伴侶役、しっかり頼むよ?」
「はい、お任せください」
俺の意思としても、取り巻く状況としても、この役は譲れなくなった。決して譲れないと思った。
だから俺は、殿下に問われて即座に、きっぱりと答えることが出来た。
ますます俺の名前は悪目立ちすることになっていくんだろうが、こうなったらどんとこいだ。
「ニア、あなたの伴侶を、俺に任せてくれますか?」
本当ならば『伴侶役』と表現すべきだったんだろうが、そうは言えなかった。言いたくなかった。
その気持ちは、ニアにも伝わったんだろう。
「はい、もちろんです。……私の伴侶は、アーク様以外にはいませんから」
そう言いながらニアは、これ以上ない笑顔で頷いてくれたのだった。




