The show must go on
こうして、俺がソニア王女に対して出来ることは終わった。
そんな俺の失意をよそに、交渉は進む。世界は回る。
結局、過失とはいえ相手国の条約不履行となったので、そこを足がかりにしてアルフォンス殿下は、元々の停戦条件で支配権を得ていた領地に加えて複数の地域を獲得。一部地域に対する関税優先権を手に入れた。
……シルヴァリオ側からしたらそれらの地域は大した意味がないように見えていたようだから、割とすんなり話は進んだ。
その地域の意味を教えられていた俺としては、ほんと恐ろしいなこの王子、と思わずには居られなかったんだが。
さらに、王家に対してはその個人資産からの賠償金を請求、払えない分はドレスやら宝飾品やらの差し押さえを実施。
ソニア王女の予算をちょろまかして随分と贅沢していた姉姫達からは特にこってり搾り取らせてもらったし、それでも足りなかったから今後毎年の予算から支払ってもらうことになる。
これで十年はまともにドレスを作る事も出来ないはずだ。
ほぼこっちの要求をそのまま通せた形だというのに、終戦直後の敵地で行われた交渉としては、例を見ないほど平穏に終わったと言って良いだろう。
もちろんそれは、騎士団長アイゼンダルク卿の密かな助力があったおかげだし、俺がかき集めた資料の力もあったと自負もする。
最後に美味しいところを持っていった形になっているアルフォンス殿下だって、事前に色々とシミュレーションしていたから、ああも完膚なきまでに言葉で叩き伏せることが出来たんだろうし。
だからこれは、俺達の勝利と言って良い。アイゼンダルク卿含めて。
戦略上の話をするなら、彼をこちら側に取り込めたのは極めて大きいだろう。
そしてそれは、俺の功績と言ってもいいかも知れない。
だが俺は、それを誇る気になんてなれやしない。
結局それは、いなくなったソニア王女殿下の功績と言うべきものなのだから。
なのに、ある意味で最大の功労者である彼女はもういない。
それが、俺の心にどうしようもない影を落とす。
そのせいか、どうにも溜息が増えたなと自覚した、諸々が片付いた頃。
「アーク、お前ここのところ働きづめだったろ? しばらく休め」
アルフォンス殿下が、俺に休みを取るよう勧めてきた。
それを聞いた俺は、もちろんこう答えた。
「え、明日は雪が降るんですか? それとも槍ですか? 殿下が俺に休みを取らせようだなんて」
「ほんとに槍を降らせてやろうか、この野郎」
俺が聞き返せば、殿下が王子にあるまじき言葉遣いでジト目を返してくる。
あ、まじなんだ。本気で俺を休ませようとしてるんだ。
そのことに、俺は心の底から驚いてしまう。
「え、殿下がそんな、部下を心配するようなこと言うなんて」
「待て、私はこれでも部下の限界を見極めた上で使ってるつもりだぞ?」
不本意だ、とばかりな殿下の顔を見て、俺は一層驚愕した。
あの殿下が、使い潰すつもりはなかったと言っている!?
いや、しかしだな。
「待ってください、それじゃまるで、俺がどんだけ酷使しても壊れないみたいじゃないですか?」
「実際壊れてないし、普通に笑ってたじゃないか」
あっさりと返って来る答えに、俺は肩を落としそうになる。
……いや、実際、なんだか肩が重い。
「だけど、今回ばかりは別だ。
敵地でずっと気を張っていたんだから、自分で思ってるよりもずっと疲れてるんだよ、お前は。
それでもそれだけ言い返せるのは流石だけどさ」
そう言ってくる殿下の声も顔も、いつになく優しい。
嘘だろ、殿下そんな顔出来たんだ。
じゃない。そんな顔させるくらいやばく見えるのか俺。
いや待てよ。
「お待ちください殿下、俺よりも先に」
「ああ、ゲイル達には既に特別休暇を与えてるよ。お前が休まなかったら、むしろ彼らもゆっくり休めないんじゃないかな」
「なんですと……」
俺が気に掛けたことになど、とっくに殿下は手を回していた。
こういうところが、傍若無人な無茶ぶり大王に見える彼の元から人が離れていかない所以なのだろう。
……俺含めて。
「はぁ……わかりました。お言葉に甘えて、しばらく休みをいただきます」
「うん、そうしなよ。というか、この場合はむしろ休むのが義務ですらある、かな」
俺が諦めて承諾すれば、にこやかにアルフォンス殿下は頷き。
ちらり、冷たい気配を漂わせる。
あ~……つまり、俺が休みから帰ってきたら、更なる無茶ぶりが待ってるってわけですね?
いやまあ確かに、この状況で対シルヴァリオに対して手を緩めるなんてのはあり得ないわけだが。
そして、王宮の中を闊歩して色々見聞きした俺が、その戦略から外されるなんてこともまた、あり得ないわけで。
休み明けからは、シルヴァリオ王国を完全に陥落させるまで俺がゆっくり休める日は来ないのだろう。
「休むのが義務だってんなら、もうちょい扱いを良くしてくれませんかね?」
「それは難しいなぁ。お前がもう少し使えない奴なら考えるんだけど」
……くっそ、ずるいなこの人。
こんなこと言われて、やらないわけにはいかないじゃないか。
「はいはい、そんじゃ殿下のご希望に沿えるパフォーマンスを発揮するために、しばらくお休みを頂きますよ」
「うん、そうしてくれ。……お前が休まなくてもちゃんと下の連中が休みを取ってるのはいいことなんだけど、やっぱり全体的には、ね」
「ああくっそ、我ながら信頼されてますねぇ!」
何て口調を荒くしてみせてるのだが、実際部下達がちゃんと休めているのはいいことだ。
こんな命がけの職場、ちょっとの疲労が致命的なことになりかねない。
だから俺はゲイルを含む部下達を積極的に休ませているし、多分あいつらもちゃんと休む時は休めているんだろう。
……で、そこに一人だけ、俺の目が届いてない人間がいたわけだ。
誰あろう、俺なんだが。
「お前は自分が無茶出来る分、部下に対して寛容だからね。
まあ、そのせいで自分の疲労には無頓着過ぎるのが玉に瑕なんだけど……今まで問題にならなかったのがおかしいくらいに。
ねえアーク、お前ほんとに人間?」
「失敬な! 俺はれっきとした人間ですよ! ……多分!」
言い切った。つもりだ。
確かにまあ、部下とか他の面々に比べて、追い込まれても身体が動くことが多いっちゃ多いんだが、それでも俺は人間だ。
疲れ果てれば倒れもする。……滅多にないが。
「人間だって言うなら、ちゃんと休むこと。普通の人間は、休まないとバテるものだから、ね?」
「うっ……わ、わかりました……」
自分の発言の揚げ足を取られれば、反論のしようもない。
元より、殿下に言われて、自分がまずいくらいに疲れてるらしいことも頭では理解した。……身体ではわかっていないが。
そんな状況で、抵抗しても意味はないのだろう、色んな意味で。
だから俺は、長めの特別休暇を取得した。
取得したのは、いいのだが。
さて、何をしたものか。
俺には、さっぱりわからなかった。
いや、以前はそれなりに遊んでたんだ、休みともなれば。
ダチと遊びに行ったり、飲んだり、たまには郊外に遠乗りに行ったり。
けれど、大人になって騎士団に入って、アルフォンス殿下の麾下に入ったと思ったら戦争が始まって。
俺の生活はすっかり軍人のそれとして染まりきっていて、そこから外れた行動がすぐには浮かばない。
もちろん、今までだって休暇はあった。
だが、文字通りの休暇……身体と心を休めているうちに終わるもので、つまりは次に何かするための休息時間でしかなかった。
それは、今俺が手にした色んな意味で自由な時間とはまるで違っていて。
俺は、どうにもそれを持て余していた。
「休み……何してたっけ?」
思い出そうとするも、何だか頭にもやが掛かったような状態で、思い出せない。
というか……休んでいていいのか? そんな問いかけが、ふとした瞬間に投げかけられる。
俺は、休んでいてもいいのか?
そんな資格はあるのか?
あの人は、もう二度と自由な時間を楽しめなくなったというのに。
もてあました時間で酒場に入って昼酒をかっくらっていたその時に、そんな問いが頭をよぎって。
俺は、愕然とした。
もしかしたら、普通の状態であれば絶対にしないであろう昼酒なんてものが良くなかったのかも知れない。
あるいは、だから俺の中の枷が外れたのかも知れない。
いずれにせよ、俺が塞ぎ込んでいた原因は、それだった。
多分俺は、世界で一番彼女に詳しい男だ。
流石に侍女達には負けるだろうが、男の中では一番と言って良いはず。
侍女達もそれぞれは知らない情報もあろうし、それを俺は知っている、とも思う。
そんなどうでもいいことを、誰にともなく張り合うくらいに俺はイカれていた。
それくらい、会ったこともない彼女に。幻のような、陽炎のような彼女に入れ込んでいた。
そのことにようやっと気が付いた。
……気付いたせいで、しばらく立ち上がれないくらい腰が抜けたのは勘弁して欲しい。
こんな経験、今までなかったのだから。
「嘘だろ、勘弁してくれよ……」
気付いたから、俺は頭を抱える。
何せ、こんな俺の感情をどうにか出来る術などないのだから。
きっと、始まりは同情だった。
それから、彼女を知る度に少しずつ深みにはまり込んでいった。
彼女の顔も知らないのに。
絵姿の一枚も残されていなかった彼女の顔なんて、俺は知らない。
そもそも彼女は、きっともう、この世にいない。
「彼女に会う術なんて、ないんだぞ?」
会ったこともないのに、きっとすれ違っただけでも彼女のことがわかる自信がある。
なのに、彼女に会う術はない。
未だに認めることは出来ていないが。
ごちゃごちゃと入り交じる思考を断ち切るように、俺は立ち上がった。
場末の酒場、平日昼間からやっているような店の酒なんざ、混ざり物たっぷりな質の悪いものと相場が決まっている。
悪酔いなのか、それとも俺の精神状態がやばいのか。
どちらでもいい。
どちらでも、いい。
どうでも、いい。
「釣りは要らねぇよ!」
飲んで食った分よりも大分多い硬貨を置いて、俺は外へと出た。
日差しが、眩しい。
「ああ……ちっくしょう……」
誰にとも無く零した罵倒。
きっとそれは、最終的には俺に向けたもの。
もしかしたら。
最初から、俺が王都まで迎えに行っていれば。
現実的でないたらればに頭を支配されながら、俺は重い足を引きずるようにしながら雑踏に紛れていった。
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