決着。聖女と黒狼大勝利!!
黒い靄、というには急速に拡散していく何か。
これは、まずい。
直感としか言えないものが、俺の脳裏を走る。
「全員下がれ! こいつに触れるな!」
ニアをかばいながらそう叫べば、よく鍛えられた特務大隊の騎士達はすぐさま大きく飛び退った。
……多分、全員なんとか回避は出来た、はず。
俺以外は。
「アーク様!? 大丈夫ですか!?」
ニアのこんな声は珍しいな。
そんな愚にもつかないことを思いながら、俺は唇の端を上げる。
残念ながら、ニアに見せている余裕はないが。
「大丈夫です、これくらい。……しかし、こいつは……」
ニアをかばって、黒い靄を大量に浴びた俺は……意識を、なんとか保っていた。
こいつは、多分呪いだとかそういった類のもの。
普通の人間が触れてはいけない何かだ。
そんなものが、第三王女の身体から溢れ出した。
「こいつは、ほんっとうに、おとぎ話に出てくる化け物か何かの類なんですかね!」
声を張り上げ、強引に意識を引き戻す。
大丈夫だ、俺の意識はちゃんとある。
一瞬、怒涛のように流れ込んできた怨嗟の声に飲み込まれそうになっちまったが。
そこを堪えたからか、俺の脚には力が入り、踏みとどまることが出来ている。
そして俺が壁になったからだろうか、ニアも俺の背後で立っている気配がする。
呼吸の具合から察するに、多分、俺よりは余裕のある状態で。
「……残念ながら、そうとしか考えられません。人の身体からあんな黒い靄が発生すること自体もおかしなことですし」
そこで、ニアは言葉を切る。
カツン、カツンと靴の音を響かせながら俺へと歩み寄り。
俺の背中に、触れた。
その途端、触れられた場所から何か温かいものが流れ込んでくるような感覚がする。
「ニ、ニア? これは、一体?」
「どうやら私も、おとぎ話に出てくる何か、だったみたいです」
困ったような、笑ってるような声。
思わず振り返れば、目に飛び込んでくる白い光。
「……女神様?」
何も考えずに俺が口にした言葉は、しかし事実を正確に言い当てたような気もする。
神聖な、としか思えない白い光を纏ったニアが、そこには立っていた。
「女神だなんて、恥ずかしいですよ?」
「いやしかし、俺の目には女神にしか見えないんですが」
こんな時に何を言ってるんだ俺は、とも思う。
だが、そうとしか思えないのもまた事実。
それくらい、白い光を纏ったニアは神々しかったのだから。
だからだろうか。
俺にはもう、第三王女オリヴィアが化け物だろうがなんだろうが、少しも怖いと思えなくなっていた。
「ナニヲ、ヒトヲ無視シテイチャツイテンノヨォォォォ!!」
第三王女のものに地を這うような低い何かが交じり合った、不気味なはずの声で第三王女だったはずの何かが叫びを上げる。
……うん。何故だろう、まるで心が揺らがない。
さらには、靄が塊となり、明確な攻撃意思を持ってこちらに突っ込んできたのに、それすらも羽虫が飛んできたような感覚で。
「邪魔すんなぁっ!!」
俺の拳が、闇のような色の塊を打ち払った。
単に殴りつけただけだってのに、俺の拳が光って唸り、靄の塊はあっさりと砕けて霧散していく。
間違いない、これはニアの力だ。
と同時に、脳裏に浮かんだのは結婚式の場面。
あの時、聖別されたワインを飲んだ時の感覚を思い出した。
「やっぱりニアは女神だったんですね。それか、聖女か」
「……ええと……」
俺がしみじみ呟けば、慎み深いニアは何とも曖昧で困ったような微笑みを浮かべるばかり。
まさか、『そうです私が聖女です』だなんて言えないだろ、ニアの性格からして。
俺は言うけどな! むしろ大声で宣伝するけどな!
ニアが恥ずかしがるだろうからやらないが!
「ナンデ? セイジョナンデ!? 儀式サセテナイハズナノニ!」
……なるほど、虐げていたのにも理由があったのか。
ニアが、いや、ソニア王女が聖女として認められるための儀式みたいなものがあったんだろう、こいつが壊したかったシナリオの中では。
だが、それは別の場所で、別の形で為されたわけだ。
「悪いがな、儀式ならとっくにやってんだよ」
「ナンデ!? 儀式ナンデ!?」
狼狽えまくる第三王女だった何か。
いや、靄が薄れてきて、元に戻ろうとしているようにも見える。
まあ、もうどっちでもいいや。
靄の塊だろうが女の姿だろうが、今の俺は容赦しないし。
「放り出されたニアが、偶然俺と出会って恋に落ちた」
ということにしておこう。
靄の中でもニアの傍を離れなかったローラがめっちゃ鋭い視線を向けてくるのが背中越しにも伝わってくるが。
こいつを悔しがらせるためだ、そこは勘弁してくれ!
「そんで色々あって俺と結婚したわけだが。その時の儀式がちょうどてめぇの言う儀式の代わりになったんだろうなぁ」
「ハァ!? ナンデ、ナンデアンタミタイナモブガ!?」
「モブ? ああ、舞台用語であったな、脇役以下の端役だったか。ざまぁねぇな、端役にシナリオを乗っ取られちまったわけだ」
そういや、シルヴァリオ王国とブリガンディア王国が信仰しているのは、同じ神。
であれば、こいつが言うところの儀式だって、別にシルヴァリオ国内でやる必要はなかったんだな、きっと。
ということは、だ。
「なんで、と聞いたな? 教えてやるよ」
俺は、一歩、二歩、と前に出た。
見える。
この靄の核とも言える何かが、どこにあるのか。
第三王女の、額の奥。つまり、脳の辺りだ。
そこまで分かった俺は駆け出し、一瞬で距離を詰める。
「儀式が行われたのも、彼女が俺と出会ったのも。全部、お前が、ソニア王女を、放り出したからだよ!」
「ア、イ、エ~~~!?」
ゆっくりと、数秒かけてやっとこいつの脳は理解したらしい。
その時にはもう、俺は第三王女の目の前に来ている。
そして、ニアの力を受けたからか、あの結婚式の時に授かった力か。
光放つ右手で、俺は第三王女オリヴィアの額を、鷲掴みにした。
「これで、終わりだ!」
力を籠めれば、放つ光が一層強くなっていく。
その光は、第三王女の額の、さらに奥。脳に巣食う何かへと、届いた。感覚で、わかった。
「イヤァ~~~ッ!!」
「グワァァァァァァ!!!」
響く、王女の悲鳴ともう一つ。何か名状しがたい存在の、断末魔。
黒い靄は完全に霧散、消失。
そのせいだろうか、それとも恐怖で意識を失ったか。
第三王女の身体から力が抜けたのを感じた俺は、手を離した。
別にあのまま掴んでてもいいんだが、そうしたらこいつの首の骨が抜けそうだからなぁ。
こいつには取り調べとお裁きが待ってるんだ、ここでおさらばとはいかせない。
まだ、終わりじゃないんだが。
ただ、それでも。
「終わりました、ね……」
ぽつりとつぶやくニアへと、俺は頷いて見せる。
一つの区切りはついた。
それだけは間違いないことなんだろう。
俺は、微妙に消化しきれなかった感情もろとも、大きく息を吐き出した。




