準備は万端。
「奥方は大丈夫そうだったかい?」
「ええ、熱などもなく。ただ、やはり精神的な疲労はあったようです」
駐屯地にある殿下の部屋に戻れば、開口一番に聞かれたのがこれだ。
……ちょっと、安心する。
ニアも、殿下の内側に入れてもらえたんだなと実感出来たから。
これで、この鬼畜腹黒王子は、ニアも守る対象にしてくれることだろう。
そうなれば、もう俺に怖いものなどない。
「さ、じゃあ早速シルヴァリオを落としちゃいましょうか」
「気が早いよ、と言いたいところだけれど。恐らく今がチャンスだろうね」
ちょっと勢い込んで言ってみれば、止めるかと思っていたアルフォンス殿下が冗談めかしながらではあるものの、あっさりと頷いてきた。
なるほど、そうなのか。
「この一か月あまりで仕込みが終わったんですか?」
「ま、いくつかの偶然があってのこと、だけどね」
そう前置きをしながら、殿下は椅子の上で姿勢を正した。
それに釣られて俺も、同席しているファルロン伯爵も背筋を伸ばす。
「アーク。君から見て、シルヴァリオ攻略における最大の障害ってなんだい?」
「そりゃもちろん、アイゼンダルク卿でしょう。あの人が守る王都に攻め込むんなら、相当な損害を覚悟しなきゃいけません」
「……マクガイン卿が、そこまで言う相手、ですか……」
殿下に問われて、俺は即座に返す。
アイゼンダルク伯爵は、シルヴァリオ王国の騎士団長で、数少ないまともな上層部の人間。
一目見ただけで武人としての格が感じ取れて、俺が手合わせしたくなったくらいの人物だ。
シルヴァリオ王家に見切りをつけてはいるが、その彼が、有り余る金が注ぎ込まれて防衛設備も充実している王都を防衛しているとなれば、流石に大分きついものがあるんだが。
「うん、だよね。だから彼には、いなくなってもらった」
「はい?」
思わぬ言葉に俺はぎょっとしてしまい。
すぐに、思い返す。
彼は、こちら側に半ば取り込んでいるような状況でもある。
そんな彼を、殿下が軽々しく排除するわけがない。
そもそも、暗殺するにしても一苦労だろうし。
ということで俺が胡乱気な視線を向ければ、殿下は苦笑を見せた。
「これくらいの冗談じゃ動揺してくれないか」
「まあ、殿下との付き合いも長いですからね。で、どういうことですか?」
「彼は今、シルヴァリオ王都にいない。シルヴァリオの東部国境に移動しているんだ」
言われて、俺は脳裏に簡単な地図を思い浮かべる。
シルヴァリオ王国は、俺達の国ブリガンディアの東に位置している。
ということは、シルヴァリオ王国から見れば、西側国境でうちと接してるわけで。
その反対側、シルヴァリオ王国の東にあるのは……。
「ザンディア王国がちょっかい出してきましたか」
「理解が早くて助かるよ。そう、シルヴァリオが弱体化したところを、ザンディアが狙ってきたわけだ」
「なるほど、そうなるようにザンディアに情報流すなりして刺激した、と」
俺の言葉に返ってくるのは、氷の微笑。どうやら正解だったようだ。
いやもう、ほんと楽しそうだなこの人。
「一応停戦条約を結んだばかりのうちと、明確に軍事行動を起こしてきたザンディア王国。どっちを警戒するかは明白だよね」
「おまけにシルヴァリオ王国軍は先日の戦争で消耗しているから、国境を守備する戦力も心もとない。となるとアイゼンダルク卿を出すしかないわけですか」
俺が続ければ、そういうこと、と満足そうに頷くアルフォンス殿下。
そりゃ、最大の障害を一兵も損なわずに排除できたとなれば、ご機嫌にもなろうってもんだ。
とか考えてたんだが、甘かった。
「しかし、こちらから反攻するとなれば、我が国も守備が甘くなると見られて周辺国が動きかねないのが問題、だったはずですが」
と、ファルロン伯爵が苦笑交じりに言う。
本来であれば、迂闊な侵攻はシルヴァリオ王国の二の舞になりかねない。
もちろん、アルフォンス殿下はそんなことも織り込み済みだったわけだが。
「ところが、今日の戦果で覆された。ファルロン伯爵のおかげで、我が国の兵は倍の数も跳ね返すという実績が出来たわけだ。そんな強者揃いの国に、好き好んで攻め込む国があるわけないからねぇ」
楽し気に殿下が言えば、ファルロン伯爵は苦笑を返すしかない。
ここまで殿下の策略の内だったんだよな~と俺は思わず遠い目になる。
今回、野戦で見事な勝利を飾ったことで、ファルロン伯爵の評価は上がった。
俺はビグデンの街に被害を出すことなく防衛することが出来た。
アルフォンス殿下は、シルヴァリオ侵攻の口実を得ることが出来た。
そしてブリガンディア王国は強者揃いの評判によって簡単には攻め入ることが出来ない国、という評価を得た。
多分、俺が把握出来てないところにもプラスの効果が出ているんだろう。
国境の街の防衛、というたった一手だけで、これだ。ほんとにどんだけだよ、この人。
わかっちゃいたけど、攻めの時はほんっと輝くよな~……。
で、そうなってくると、だ。
「もしかして、街で派手に戦勝祝いしてるのも策の一つですか。入り込んでる間者に情報を持ち帰らせるための。この分だと、王都でも派手に宣伝してます?」
「おや、お前も大分わかってきたじゃないか。その通り、とっくに王都にも知らせてるよ」
さも当然とばかりに言う殿下。一応褒められてんのかな、これ。
言うまでもなく、王都は情報の宝庫。当然他国の間者も多数入り込んでいるし、多分伝書鳩だとかの高速でやり取りする手段も備えていることが多いはず。
そこで『倍の数相手に野戦でほとんど損害も出さずに勝利した』なんて情報を掴んだら、大慌てで本国に伝えることだろう。
また、伝えないわけにもいかない。伝書鳩などの手段で。
「……それもすぐに本国へ知らせなければいけないほどセンセーショナルな、しかしあくまで端的な情報を、ですか」
……殿下の顔を見るに、及第点をもらえる返答だったらしい。
それを聞いたファルロン伯爵の顔が、さらに驚きを深める。
「街から少し離れた地点での、一日どころか数時間で終わった野戦となれば戦況分析もろくに出来ないはず。であれば、シルヴァリオ軍がほとんど寄せ集めの傭兵で構成されていただとかも他国の間者はわかりませんからね……」
「まして傭兵達が、流行り病などもあって士気も下がり、状態も最悪だった、なんてことはわかるわけもなく」
「他国は『ブリガンディア王国軍が倍の数を揃えたシルヴァリオ王国軍を撃退した』という情報しか手に入れられないわけだ」
悪魔か。
ニコニコとご機嫌に笑うアルフォンス殿下を見ながら、そんなことを思う。
当然、そんな情報をもたらされた他国は、正規軍同士の戦闘だったと誤解することだろう。
まさか、傭兵主体の構成で来るとは普通は思わない。
というか、そもそも普通はこんな数を揃えないし、揃えられない。
まして先の敗戦からこんな短期間で再侵攻してくることは考えもしない。
「バルタザールの中途半端な有能さも組み込んだわけですか……」
「その点に関しては、君の奥方に感謝だね、ほんと」
うん。やっぱダメだわ、バルタザール。
素質はあったかも知れないが、生まれた時代が悪かった。
この人が隣国に居るのに、あの性格と環境じゃ大成できなかった、間違いなく。
と、ファルロン伯爵がこちらに何か問いたげな目を向けてきた。
……あ~……どこまで話したものか。
アルフォンス殿下と軽くアイコンタクトをして。
「マクガイン子爵夫人は、学者の娘でね。シルヴァリオ王国の事情にも色々通じているんだ」
そこまで言って、殿下は言葉を終わらせた。
明らかに説明が不足しているというのに。
つまり、これ以上は言えない、ということでもあり。
ファルロン伯爵にも、そのことは伝わったようだ。
「なるほど、そういうことでございましたか」
あっさりと顔色変えずに頷いて返すあたり、彼も宮廷生活で色々揉まれてるんだろうことが察せられる。
中間管理職は辛いよな……。
「今度一緒に飲みませんか、ファルロン伯爵」
「なんですか急に。いえ、お誘いにはありがたく応じますが」
面食らったように言うファルロン伯爵。そりゃそうか、脈絡がなさすぎた。
「ま、二人が親交を深めるのは、私にとってもメリットがあるから構わないけど」
「殿下、もうちょっと言い方というものが」
「その前に、まずはさくっとシルヴァリオ王国を落とさないとね」
「殿下、もうちょっと言い方というものが」
一国落とそうってのに、何軽く言ってんだ、この人。
いやまあ、もうほぼほぼ終わってるようなものなんだけどさ。
「二人とも、また明日からも働いてもらうけど、大丈夫だよね?」
そう問われて……いや、確認だな、これは。
ともかく、俺とファルロン伯爵は、揃って頷くしかなかった。
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