つかの間の、やっとつかめた、休息
「さ、奥様、こちらで横になってください」
「ありがとう、ローラ」
アークが退出した後。ローラはニアを着替えさせ、ベッドへと横たわらせていた。
そして、心の中で舌打ちをする。
何故ならば、アークの言う通り、ニアが疲れている様子だったからだ。
身体的なものではない。毎日毎日、ローラ達が心を込めてケアをしているのだから。
だから、その疲労は精神的なもの。
そして、不覚としか言えないのだが……ローラは、そのことに気づけなかった。
言うまでもなくなく、ローラとニアの付き合いは、アークとのそれよりも遥かに長い。
しかし、気づけなかった。あるいは、だからこそ。
ニアの強さを知っていたからこそ。常日頃一緒にいるからこそ。
距離が近いからこそ、ローラは気付けなかった。
そして。
結婚したというのに、いまだ床を同じくせずに一定の距離を保っているアークが、気づいた。
距離を保っているからこそ、だとしたら、なんと皮肉なことだろうか。
「……あのヘタレでも役に立つことがあるんですね」
「え? ローラ、何か言った?」
ぽそりと零してしまった、雇用主に対して不敬なセリフは、しかし今にも寝入ってしまいそうなニアの耳には入らなかったようだ。
そのことに、安堵してしまう。
何しろ今のニアは、すっかりアークにぞっこんのようなのだから。
親しき仲にも礼儀あり。いくらローラであっても、踏み越えてはいけないラインというものがあるはずだ。
気づかれないように時折飛び越えてはいるが。
「いえ、なんでもありません。奥様は安心してお休みください」
「ええ、ごめんなさい、そうさせてもらうわ」
ローラが言えば、ニアも素直に頷き。
それから、くすりと小さく笑った。
「奥様?」
「ううん、大したことじゃないの。……本当に、疲れてたんだなって思ってしまって。アーク様の言う通りに」
言葉の通り、ニアの瞼は今にも落ちそうで。
うとうとした様子を見るに、やはり本当に疲れていたのだろう。
それが表に出てきて、休むべきタイミングで休むことが出来ている。
彼女の雇用主であるアーク・マクガインのおかげで。
それが妬ましくもあり。……少しばかり。本当に少しばかり、嬉しくもある。
敬愛する主が、預けてもいいと思える相手と巡り会えたことは、どうやら事実であるようなのだから。とても残念なことに。遺憾ながら。
ニアのことに関してだけは頭の固いローラも、流石に認めざるを得なかった。
「旦那様のおっしゃる通り、ずっと頑張ってらしたんですもの、少しくらい休んだって罰は当たりませんよ」
むかつきますけど、という言葉を飲み込む。
もちろんむかついているのは、アークの言う通りだったことにだが。
そして、少しばかり自分にも。
本当は、ゆっくり休んで欲しいと思う。
ニアのこれまでを振り返れば、数年くらいゆっくりしてもいいくらいだ。
そして、あのベタ惚れ男はそれを許すだろう。
……ニアがどれだけ頑張ってきたかを、よく理解しているがゆえに。
それもまた、むかつくところではあるのだが。
しかし、そんな本音を口にすることは出来ない。
「そうね、少し休んで……次は、いよいよ、だもの」
ほぉ、と息を吐き出しながらニアが零せば、ローラも小さく頷く。
これが、ゆっくり休んでくださいと言えない理由。
休んではいられない。次こそが本番なのだから。
もう、引き返せないところに来た。逃げられないところに来た。
情勢、立場、その他もろもろ。
であれば、ニアは立ち上がり、戦うことだろう。
むしろ、戦わないことを恥じるだろう。一生気に病むだろう。
そうとわかっていて、止める言葉をローラは持たない。
「ついに、ここまで来てしまいましたね」
「そうね、ついに……来た、わね」
来てしまった、とニアは言わなかった。
きっと、とっくの昔に覚悟を決めていたのだろう。
それがいつなのかはわからないが……決定的だった出来事だけはわかる。
「それもこれも、アーク様のおかげね」
「……そう、ですね。旦那様のおかげです」
悔しいが。
アークとの出会いが決定的だったのは、ローラとて認めざるを得ない。
それが、運命的だったことも。
これでアークがニアをシルヴァリオ攻略のために利用するだけの男だったら、そんなことは思わなかったところだが。
そうではないのが、また憎たらしい。
「その旦那様が休めと言ってくれているのですから、今日はしっかり休みましょうね」
「そう、そうね……明日からもまた、忙しくなるもの」
きっと、今夜のうちにバルタザールの処遇は決まる。
さくっと殺ってしまうか、それとも生かしたまま利用するのか。
いずれにせよ、あのアルフォンスがこの機会を逃すつもりはないだろう。
「幸いにして兵力の損耗はほとんどなく、疲労も最低限。明日からでも反攻は開始出来るから」
「そこまでです、奥様。体を動かさなければいい、休んでいるということにはなりません」
明日から、どんな展開になるか。
あれこれ考えを巡らせ始めたニアを、ローラが制止する。
「それで熱でも出したらどうするんですか。……旦那様に心配してもらいたいとかお考えなら止めませんが」
「そ、そんなこと考えるわけないでしょう? ……でも、悪くないかも……?」
そんなことを言い出すニアを見て、ローラは思う。
重症だ、と。
こんな主は見たくなかった、と思わなくもないけれども。
こんなことを言える相手と巡り会えたことには、感謝したくもなる。
それこそ、ニアだって女の子なのだから。
あの日、アークが慌てて出て行った後、はにかみながら言っていたニアの顔を思い出す。
きっと、もうあの時にはこうなると決まっていたのだろう。
「はいはい、バカなことをおっしゃってないで、ちゃんと休んでください」
「は~い……」
ぺちんとニアの額を軽く撫でるように叩けば、ニアは抵抗もせずに目を閉じる。
さて、ちゃんと寝てくれるだろうか、とその顔をローラは見つめていたのだが。
「……ローラ」
「はい、奥様?」
「あなたも、ありがとう、ね。あなたがいなければ、ここまで来れなかったわ」
「奥様……」
不意を打たれて、ローラは言葉を失う。
そのわずかな間に、ニアの呼吸が規則的な寝息へと変わった。
やはり、よほど疲れていたのだろう。
そんな主の寝顔を、ローラはしばし見つめて。
「こちらのセリフです、それは」
少しばかり複雑な顔になりながらも、ローラは主を起こさないよう小さな声で呟き返したのだった。




