届いたもの。
そのまま俺達は、祝勝の宴に参加することなく領主の館に戻った。
本来は宴にも顔を出す予定だったんだが、ちょっとそれどころじゃなくなったしな。
帰り道の馬車の中、普段よりもニアの口数は少なかった。
表情が、なんだか冴えなかった。
表に出てきた違和感は、そんなもんだった。
だが、心の奥底はどうなのか。
残念ながら、俺にはわからない。
「そんなに、心配していただくようなことはないんですよ?」
ローラに頼んで茶を用意してもらい、テーブルについたところでニアが言う。
だが俺は、珍しくその言葉を額面通りには受け取らなかった。
テーブルをはさんで向こうに見えるニアの瞳をじっと見つめれば、彼女も見返してきて。
ふ、と小さく笑った。
「アーク様は、いつもそう。私を見てくれる。見つけようとしてくる。それは、とても嬉しいことなんですね」
「これくらいでニアが嬉しくなってくれるなら、いくらでも見つめますよ」
目をそらすことなく、俺はそんなことを言う。
なんかキザっぽいが、心からそう思ってるんだし許してもらいたいところだ。
おかしかったのか、ニアが笑う、やはり、いつもと違って輝きというか張りのない表情で。
「そんなことを言ってくださるアーク様がいて、ローラやトムもいて。それで十分だと思っていたのですけれど」
そこまで言って、ニアが言葉を切った。
視線が、手元のカップに落ちる。
ゆらゆらと揺らぐ湯気の向こうに、何かを探そうとするかのように。
だから俺は、何も言わずに待つ。
考えがまとまれば、ニアから話を続けてくれるだろうから。
そして、思った通り、しばらくしてからニアが口を開く。
「それに、元々わかっていたことでした。あの人にとって、私が家族ではなかったことなんて。わかっては、いたんです」
そこまで言って、ニアはふぅ、と息を吐き出した。
「わかってはいたんですけれど……改めて突き付けられると、疲労感のようなものが襲ってきて……」
「ニア、それは……」
どう言ったものか。
冷遇してきた故国と決別し、名前と身分を捨てたニア。
シルヴァリオ王国攻略への協力も積極的で、いくつも策を立ててくれもした。
だが、やはり心の奥底では家族への情を捨てきれなかったのだろうか。
そう思った俺へと、ニアは小さく首を振ってみせた。
「いいえ、家族を破滅に追いやった罪悪感だとか、そういったものではないんです。ただ、疲れたというか……」
胸に手を当てながら、目を伏せるニア。
自分の内側と問答しているかのような沈黙が、しばし流れる。
そんな姿を見て、俺の脳裏にひらめくものがあった。
「……疲れていたことに気づいてなかったのかも知れませんね」
「気づいて、なかった?」
俺が言えば、ニアが少し驚いたような顔になる。
その顔を見て、俺は確信めいたものを感じた。
「ニアは、恐らくずっと気を張っていたんじゃないですか? 見知らぬ国に身分を捨ててやってきて、元居た国に仕返しをするために策を練って。いや、もしかしたらもっと前からだったのかも知れない」
推測を口にするたび、俺の中でパズルのピースがハマっていくような感覚がある。
考えてみれば、いくら優秀だからって十代の少女が地方のもめ事を解決するために出張ったり、王宮内でそうと気取られないように立ち回ったりしてたのに、気を張っていないわけがない。
「ニアは、気が抜けたんです。俺だって、散々暴れた後にふと気が抜けたら、急に疲れを自覚した、なんてことは今まで何度もありましたから」
きっと、疲れを自覚するわけにはいかなかったんだ、ニアは。
ずっと走り続けてきた。そうしなければいけなかったから。
彼女がそうしたかったから、というのもあっただろう。
多分、義務感だけで仕方なしにやっていたら、あんなにもストンゲイズ地方の人々から支持を集めることなんて出来やしない。
走り続けないといけない状況があった。
走り続けられる能力もあった。
そうする意思もあった。
けれど、彼女はまだ年若い少女だ。
だったら、どこかで息切れするのも当たり前だ。
俺は椅子から立ち上がり、ニアの傍に跪く。
「アーク様……?」
「今日、この戦で一つの大きな目標が達成されたんだ、気が抜けるのも当たり前。……そして、気を抜いてくれたのなら、俺は、嬉しい」
そう言いながら俺は、ニアの手を取った。
……小さな手だ。
普段が大人びているから忘れそうになるが、年相応に若く小さな白い手。
元王族の手としては少しばかり苦労が滲んでいる手ではあるけれども。
いや、そんな手だからこそなおのこと……愛おしい。
「嬉しい、ですか……?」
「ええ。ニアが、気を抜いてもいいと思えるようになったのなら。そしてそれが……俺の傍でなら。こんなに嬉しいことはないですよ」
肩ひじ張って必死に生きてきたニアが、俺の前でなら力を抜けるのだとしたら。
そんな風に心を委ねてくれているのなら。
男として、心が奮い立たないわけがないだろう。
必ず、ニアを守る。だから今は、ゆっくり休んで欲しい。
そんな気持ちを込めながら、ニアの手の甲に口づけを落とす。
「ニア」
「……はい」
「ここまで、よく頑張りました。あなたがここまで頑張ってきたから、今日、ほとんど被害も出さずにバルタザールを捕らえることが出来た。これは、ニアのお手柄です」
「私の、お手柄……」
「はい、そうです」
お手柄もお手柄、大手柄だ。
ただ、男連中相手ならそう言って盛り上げるところだが、今のニアを見ていたら、そうするのはちょっと違う気がする。
ニアが欲しい言葉はなんだろう。
そう考えて、俺の口から自然と言葉が紡がれる。
「だから、今は一息入れていいんです。休んでいいんです。後のことは俺や殿下に任せて、ゆっくりと」
何をしても認められることのなかったニア。
だから気を抜くことも、誰かに任せることも出来なかったのなら。
今はもう違うのだと、伝えたい。俺に任せて大丈夫だと思って欲しい。
能力的にも、信頼関係としても。
少しだけ、楽になって欲しい。
まだまだニアの戦いは続くけれど、今だけは。
そんな願いを込めながら告げた言葉。
それを聞いたニアはしばし沈黙したニアは。
ぽろりと、涙を一粒零した。
「いいのでしょうか……? 私は、皆様にお世話になってばかりなのに」
「当たり前でしょう。むしろいつもお世話になってるのは俺の方です。こんな時くらい恰好つけさせてくださいよ」
ちょっとおどけた感じで言ってみれば、少しだけニアが笑った気がする。
よかった、とちょっと安心した。
それがいけなかった。
「そんな、アーク様は、その……いつも恰好いい、ですよ?」
「んぐっ」
ニアの思わぬ言葉が、俺の心の柔らかい場所を的確に打ち抜いた。
だめだ抑えろ、いつもみたいに慌てふためくんじゃぁない。
それこそ今こそ恰好つける時だ、今この時、恰好をつけなくてどうする。やりきらなくてどうする。
顔に出さないよう気を付けながら、俺は自分を叱咤する。
「……そう言ってもらえたら、俺としても甲斐があります。もっと恰好いいと思ってもらえるようにしないと」
「それは、ちょっと困るかも知れません。これ以上恰好よくなられてしまうと、私の心臓がおかしくなっちゃいます」
「んぐぐっ」
やばい。
心臓が止まるかと思った。
なんて破壊力だ……いつもより少し儚げな表情がギャップとなって、ただでさえ高い破壊力を何倍にも引き上げているっ!
くっ、このままでは、俺の心臓の方がもたないっ!!
「そんなことになったら、俺の方が困ってしまいますよ。だから、今日のところはゆっくりと休んでください、ね?」
「……はい、お言葉に甘えます」
ニアが柔らかく微笑めば、俺の心臓が跳ね上がる。
いかん、威力が天井知らずになっている、このままじゃ本格的に俺の方がやばい!
動揺しまくる内心を、必死に抑え込む。
俺は大人の紳士、大人の紳士。自分にそう言い聞かせながら。
「よかった、安心しました。……じゃあ俺は、ちょっと殿下達と打ち合わせしてきますから」
「はい、いってらっしゃいませ。……あの、アーク様」
立ち上がり、ニアの世話をローラに頼もうと思ったところで呼び止められる。
どうしたのかとニアを見つめれば、彼女がふわりと笑う。
「私、あなたに見つけてもらえて、よかった。あなたの傍にいられて、よかった」
「ニ、ニア?」
まってくれ、今そんなこと言われたらまずい、色々とまずい!
だが、まさかそんな情けない本音を口にするわけにもいかず。
当然、止まることなく、ニアは言葉を続けていく。
「きっと、あなたに見つけてもらえたのは、運命だったんだなって。今、はっきりとわかりました。……私、とても幸せです」
「んぐぐぐっ」
呼吸が止まった。
……なんとか心臓は耐えてくれた。
だがギリギリだ、これ以上はもたない!
幸せだが、心臓がこれ以上はもたない!!
「ありがとう、ニア。でもね、俺だって幸せですよ」
「……ふふ、嬉しい。幸せって、こういうことなんですね」
そう言って、また微笑むニア。
ああ。
だめだ、もう限界だ。
「そうですね、きっと。……その幸せを守るためにも、いってきます」
「はい、いってらっしゃいませ、アーク様。お帰りを、お待ちしています」
お互い笑顔で挨拶を交わし、俺はニアの部屋を出た。
それから、数歩歩いて。
唐突に自分の顔面を鷲掴みにした。
途端、ぶわっと涙が溢れてきた。
ニアが、幸せだと言った。
言ってくれた。
言えるようになってくれた。
それが、たまらなく嬉しい。
ちょっとだけ、俺と一緒にいることにそう感じてくれたことを喜ぶのは許して欲しい。
俺にだってそれくらいのエゴはある。
だが、そんなことが些細なくらいに、嬉しい。ひたすらに、嬉しい。
感情が声に変換されそうなのを必死に堪えても嗚咽が漏れてしまうが、何とか、声にはならないように踏みとどまる。
ニアに聞かれたら恥ずかしい。
それに、彼女だったら俺のことを心配しかねない。
こんなことで心配させるのは、申し訳ない。
そんなことになったら、それこそ恰好がつかない。
俺は、少しでも恰好よくありたいんだ。
「……はい、旦那様」
そう言いながら、どこからともなく現れたトムが濡れて冷えた手拭いを渡してきてくれたので、ありがたく受け取って目を拭う。
熱を帯びてきた目に、冷たい手拭いが心地いい。
そうしていたら、少しだけ落ち着いてきた。
「……ありがとうトム。気が利くな」
「いえいえ、これくらいなんでもないです」
礼を言えば、トムはそれだけ返してきて、余計なことは言わない。
やっぱ出来る奴だし良い奴だな、こいつは。
トムがいてくれて、色んな面で本当に助かっているなと今更ながらに実感する。
「トム、お前が……いや、お前達がいてくれて、本当に良かったと思うよ」
「なんですか旦那様、藪から棒に」
呆れたような声が返ってくるが、本当にそう思う。
今こうしてサポートしてくれるトム。
休ませないといけないニアを安心して預けられるローラ。
それだけじゃない、今この屋敷にいる使用人達、全員がそれぞれに信じられる面々だ。
本当に、幸運なことだと思う。
だから。
この幸運は手放せない。
守らないといけない。
「悪いが、先ぶれを頼む。今から、駐屯地に戻ると」
「かしこまりました!」
返事をしたかと思えば、トムはすぐに身をひるがえし、外へと向かう。
さて。
俺はこの顔を何とかしてから戻らなければ。
情けない顔してたら、殿下からどれだけからかわれるかわかったもんじゃない。
何より、そんな顔じゃ決められない。
バルタザールを、どうするかなんて。
「そう簡単に楽になれると思うなよ……?」
ぼそりと、思わずそんなことを呟いてしまう。
身勝手な理由で散々に騒乱をばら撒き、挙句に再侵攻までしてきて、洒落にならない被害も撒き散らしやがった主犯。
こっちの被害は軽微だが、それでも死者はいる。
まして雇われ傭兵達など、どれだけ死んだことか。
そんな奴に、かける情けなどない。
だが。
そんな裁きを、決断を、ニアにさせるわけにはいかない。
そんな場にいさせるわけにはいかない。
手を汚すのは俺の仕事、やらせるのは殿下の仕事だ。
「覚悟しやがれ?」
最後にそう呟いた俺は、身だしなみを整えるために一度自室へと戻った。




