後始末の始まり。あるいは終わりの始まり。
アルフォンス殿下の部屋に戻った時、殿下は何とも複雑な表情をしていた。
策が完璧にはまったというのに。
ファルロン伯爵は、物言いたげな顔をしていたが、何も言わなかった。
きっと何か察するところがあっただろうに。
改めて、俺は周囲に恵まれているなと実感した。
同時に、甘えてばかりもいられない、と思った。
「アーク、今日のところは戻ってくれて構わないよ」
むしろさっさと帰れ、とアルフォンス殿下が目だけで命じてくる。
つくづく、器が違うと思う。
奴は何を勘違いしてこっちに攻め込んできたんだかな、ほんと。
いやもう、奴のことはどうでもいいや。
「お気遣い、ありがとうございます。お言葉に甘えて、妻を休ませたく思います」
「あの、アーク様、私は大丈夫ですよ?」
俺が応じれば、ニアがおずおずと抗議してくる。
なんて健気なんだ。
だが、いや、だからこそ、彼女の気丈さに甘えるわけにはいかない。
「ニア。俺や殿下は、必ず兵士を必要なだけ休ませます。そうしなければ、十分に力を発揮出来ないから。休むことは、戦う者の義務なんです」
出来るだけ優しく。しかし、きっぱりと俺は言い切る。
今俺は、どんな顔をしてるんだろうか。
優しい顔を作りたくはあるんだが……出来ている自信がない。
愛しい人を傷つけられて、冷静でいられるわけながい。
けれど、それをニアに見せるわけにはいかない。
一番傷ついたであろう人なのだから。
「……わかり、ました……そう言われてしまっては……」
ニアは、それ以上続けられない。
理屈の上では、反論のしようもないから。
殿下やファルロン伯爵もいる前では、それ以上何も言えなかったんだろう。
だからこそ、早く彼女を連れて帰りたい。
ニアは、戦ってきた。戦い続けてきた。
もしかしたら、本人にその自覚がないままに。
そして、明確に対決したのが、今だった。
相手が、血を分けた実の兄というのが皮肉なことで。
わかってはいたが、結果は残酷だった。
奴の命運を閉ざしたことではない。
そんなことは決まり切っていた。
ニアが傷ついたのは……わかり切ったことではあったのだが。
だからと言って、傷ついたことは事実で、それが痛くないわけでもない。
これが、俺の身体が物理的に傷ついた程度であれば、いくらでも耐えられるんだが。
ニアの心が傷ついたとなれば、耐えられない。
であれば、本人であるニアの痛みは、どれほどのものか。
わからない。
わからないからこそ、出来るだけのことをしたい。
そして、これはきっと、杞憂じゃない。
ゆらりと揺れたニアの身体を、抱き支える。
「すみません殿下、やはり相当疲れてしまっているようです」
「うん、礼儀だなんだはいいから、早く連れ帰ってあげてくれ」
俺が言えば、殿下もすぐさま応じてくれる。
こういうところは流石だと思うのだが。
「……すまない」
小さく、呟くように殿下が口にした。
こういうところだ、とも思う。
人の心がわかる悪魔は。
人の心を持つ悪魔と、何が違うのだろう。
俺には、わからない。
殿下を見ていると、なおのことわからなくなる。
だから、殿下を恨んだりが出来ない。
そう出来れば、きっともう少しだけ楽になるんだろうに。
だから俺は、牙を振るう。
事が終われば、きっと少しだけ楽になる。
殿下も、ニアも。
俺に出来ることなんて、それくらいしかないから。
身体は、治る。
多少無茶をしたところで、俺の身体はそう簡単には傷つかない。致命的な傷は負わない。
人の心に比べれば、よっぽど。
そして。
だから俺は、笑う。
「何言ってんですか、こんなことで。これからもっと大きな仕事が控えてんですから」
敢えて、明るく、軽く。
これからが、本番だ。
シルヴァリオ王国を、落とす。
そのためには、きっとさらに多くの人命が失われることだろう。
もちろん、歓迎すべきことではない。
だが、シルヴァリオの迷走をそのままにしておくよりは、いくらかましだ。
そのはずだ。
何よりも。
そうしたらニアは、彼女を縛る何かから解放される。
いくらかの。あるいは、相当な心の傷と引き換えに。
それでも、解放されないよりはましな未来だと信じたい。
そんな未来にするのだと、心に誓っている。
「それでは、お言葉に甘えてさせていただきます」
そう言って俺は、ニアを支えながら部屋を後にした。
……殿下がどんな顔をしていたか、見なかった振りをして。
※完結巻でもある第二巻が6/7に発売されます!
それに向けて、今日から更新頻度高めでお送りしてまいります。
最後の数日は毎日更新予定ですので、是非ともお読みいただけたらと思います!
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