彼女は、ここにいる。
「やあ二人ともよく来てくれたね。特にアーク、お疲れ様」
駐屯地に着くと、すぐに殿下の部屋へと通された。
元々は旅団を視察に来た王国騎士団の偉いさんが泊まる想定で作られた客間らしく、ファルロン伯爵が使ってる部屋のすぐ近くで、何かあった時にはすぐに彼が駆け付けられる場所。
当然護衛の騎士も多く、窓の作りなどもしっかりしている。
これならば第三王子であるアルフォンス殿下の部屋としても使えるだろう。
残念ながら、領主の館にはここまでの客間はないし。
強いて言えば俺の部屋に寝泊まりしてもらうというのが安全面だけで言えば上ではあるが。
それは流石に勘弁だし、殿下も同様だろう。
いやまあ、王都にいた頃に部屋飲みしてそのまま雑魚寝したこともあるが、あの時とは色々と状況も立場も違うわけだし。
「ありがとうございます、労いのお言葉、痛み入ります」
俺が姿勢を正して騎士の礼を取りながら返答すれば、ニアがそれに合わせて頭を下げる。
本来ならニアにも言葉をかけてくれたわけだから彼女も返すべきなんだが、一応戦時下といえばそうなので略式の返し方で済ませた形だ。
殿下ならこれで十分通じるし。
「それに、一番の骨折りはファルロン伯爵と旅団の皆さんでしょう。俺は美味しいところをいただいただけです」
そう言ってから、殿下の隣に立っていたファルロン伯爵へと向き直り、敬礼をした。
すると一瞬だけファルロン伯爵は驚いた顔になり、すぐに答礼を返してくる。
そんなに意外だったかな? 俺としてはまじで感謝してるんだが。
「痛み入ります。しかし、我々が十全に戦えたのはマクガイン卿と奥方の策と仕込みあってのものです。お陰様で、こちらの損害も極めて軽微でしたし」
「そうですか、それは何よりでした」
ファルロン伯爵からの返答に、俺は心の底からほっとする。
貴族としてはあまり褒められたものじゃないが、今くらいはいいだろう。
街への被害や今後のシルヴァリオ攻略への影響を考えて、短期決戦という博打に出たのはこっちの都合。
その博打に乗ったのは旅団の判断だから、その被害は自己責任、という考え方も出来なくはないんだが、俺は嫌だ。
むしろ、街の被害を減らしたいという甘っちょろい考えに賛同してくれた上に身体を張ってくれたんだ、どれだけ感謝してもしきれない。
だから、彼らの被害が最低限でしかなかったのは、俺にとって本当に喜ばしいことなのだ。もちろん、ニアにとっても。
「戦死者や負傷者への補償はきちんとするつもりだから、安心してくれ」
「はい、ありがとうございます。もとより国のために命を張るのが使命ではございますが、彼らも甲斐があったと思ってくれることでしょう」
アルフォンス殿下が言えば、ファルロン伯爵もゆっくりと頭を下げる。
彼らがそれを喜ぶかは、あの世に行って聞くしかないからわかりようもないが。
それでも、少なくとも残された遺族の心はいくらか慰められることだろう。
それしか出来ないのが歯がゆくもあるが……同時に、割り切らないといけないこともわかる。
一つの命に引きずられてより多くの命を危険に晒す、なんてのは戦場ではよくあること。
上の立場になればなるほど、そんな事態を引き起こすわけにはいかない。
そのことをアルフォンス殿下もファルロン伯爵もよくわかっているし、俺もそれに慣れないといけない立場だ。
まだまだ、それこそ至らないところだが。
そして、アルフォンス殿下の考えはそんなところにすらない。
「彼らには金銭面だけでなく名誉も補償される。なにしろ倍を越える敵を見事に撃退した英雄の一員なんだ、十分に面目も施されることだろう」
「それくらいしかしてやれぬのが心苦しくもありますが……武人としての誉となりましょう」
「そしてもちろん、彼らを率いた君の名声も、ね」
殿下が軽く笑いながら言えば、ファルロン伯爵は若干複雑そうな笑顔で答えた。
今回の戦闘においては、概況として『ファルロン伯爵率いる旅団が、ほとんど損害を出さずに倍の数で侵攻してきたシルヴァリオ軍を撃退、第二王子バルタザールを捕縛せしめた』と報告されることだろう。
これに関しては俺も同意しているし、納得もする。
何度も言うが、正面切って身体を張ってくれたのは、ファルロン伯爵率いる旅団なのだから。
もちろん、詳細の方では俺が五百人ばかりの人数を率いてバルタザールを急襲したことなども書かれることになる。
だが、恐らくそんなことは話題にされない。
先の戦争で俺の二つ名がやたらと有名になってしまった反面、王国騎士団が存在感を示せなかったのは前にも述べた。
そこにこのファルロン伯爵の大手柄だ、騎士団はこれを盛大に喧伝したいところだろう。
であれば、この概況を元に論功行賞を実施したいはず。
そして、それはアルフォンス殿下としても望むところなのだ。
「これで、以前にお約束いただいた通り私の名が上がる、というわけですか」
「もちろんそれもあるけどね。約束を破っても、いいことなんてありはしない。特に、君みたいに有能な人物相手だと、ね」
「殿下、からかわないでいただきたく」
「冗談じゃないんだけどねぇ。それに、こっちにとってもいい話なんだよ」
アルフォンス殿下からの率直な誉め言葉に恐縮するファルロン伯爵。
だが、この腹黒氷山がそれだけなわけがない。
「これで、ブリガンディアの兵は『黒狼』に限らず一騎当千、倍の数すら容易く退ける強者揃いと周辺諸国に印象付けることが出来た。こんな国に攻め込んでこようだなんて命知らずは、当面現れないだろうね」
「そうなれば、うちがシルヴァリオ併呑のために大軍を動員したとしても、兵の数が手薄になったと狙ってくる恐れもなくなる、と。どうせ殿下のことだから、噂を流す手筈も整えてるんでしょ?」
「流石、私のことをよくわかってるね、アーク」
呆れたように俺が言えば、悪戯が成功したとばかりの笑みを見せるアルフォンス殿下。
いや、これ全然悪戯とかそんな規模じゃないんですがね?
ほら、ファルロン伯爵なんか呆気にとられた顔してるし。ニアは苦笑してるだけだけど。
そしてこれが、殿下がこんな博打を許可してくれた裏だったりもする。
噂話に耳を傾ける奴が、兵の構成だなんだを細かく聞くわけがない。
だから、『統率の取れていない傭兵頼みのシルヴァリオ軍一万二千が、万全の備えをしていた六千のブリガンディア軍に撃退された』なんてことは人々の口には上らない。
『懲りずに再侵攻してきたシルヴァリオ軍一万二千を、六千のブリガンディア軍が大した被害もなく撃退した』って話の方が盛り上がるし、あちこちの酒場で酒飲み達が我が事のように話してくれることだろう。
酔っぱらいの頭でもそれくらいは覚えてられる、ってのもあるが。
そしてそれは、我が国に入り込んでいる他国の間諜も耳にするはず。
「なるほど、それもあってファルロン伯爵の功績とするわけですね。公式に発表されるのはもちろん、仮に王宮に忍び込めるような腕の間諜がいたとして、論功行賞会議で話される内容と合致するわけですから疑うはずもありません」
「その通り。この戦で快勝し、ファルロン伯爵がその立役者として表彰されることで、我が国は数万の守備兵を得るのと同じ効果が得られるわけだ」
ニアが納得半分感心半分な顔で頷けば、アルフォンス殿下が得意げな顔で笑う。
……なんか嫌な予感がする。
まさかニア、殿下のやり口を学んで吸収してたりしないよな?
こういっちゃなんだが、ニアには多分そっちの素質もあると思うだけに、こう、怖いものがあるんだが。
とか考えてると、殿下が急に俺へとジト目を向けてきた。
「アーク、何か失礼なことを考えてないかい?」
「いえいえ、何も。普通のことは考えていましたが」
「ふぅん。お前が私の普通をそういう風に考えてるとはね」
そんなことを言いながら口の端を上げるアルフォンス殿下。
やべ、これって俺の考えてたこと見透かされてないか?
いやいや、多分これは殿下の揺さぶりだ、顔に出すな。
ここまで、一秒にも満たない時間で思考した俺は、にこやかな顔をキープすることに成功した。
「……なるほど、アークも成長しているな」
「何のことでしょう?」
誤魔化したことまで見透かされた気がするが、乗らない乗らない。
ここを凌げば、話は変えられるはずだ。
「それより。この策が意味を持つためには、シルヴァリオ王国へ侵攻する大義名分が必要になりますよね? そのためにニアを呼んだのでは?」
俺が言えば、アルフォンス殿下が一瞬だけ驚いたような顔になった。
なんかそれだけで達成感があるから、不思議なもんだ。
「その通りだ。本当に成長してるな、アーク。やはり所帯を持つというのは人を変えるものなのかねぇ」
だったら殿下も、とかからかおうかと思ったが、やめた。
もしも触れちゃまずい過去の人間関係でも刺激した日には、この場に居合わせてしまったニアとファルロン伯爵が可哀そうだから。
「ニアのおかげで日々成長している実感はありますよ」
「言うようになったねぇ、お前も」
「お陰様で。で、やはり?」
重ねて問えば、殿下がゆっくりと頷く。
それから、視線をニアへと向けた。
「マクガイン子爵夫人。君に頼みたいことがあるんだ」
「はい、何なりとお申し付けください」
殿下の言葉に、予想していたのか、ニアは淀むことなく頭を下げながら答えた。




