被害者不在の幕引き
ソニア王女のことを知れば知る程に深い水底へと沈み込んでいくような気持ちになりながら、数日。
次から次へと集まってくる物証に、俺は一つの確信を持っていた。
彼女は、ソニア王女は、自分を蔑ろにしていた王家へ、周囲の人間へやり返す機会を窺っていたのだ、と。
きっと、もう少しだけ周囲が彼女に優しければ、そんなことを考えずに済んだのだろう。
少ないながらも、彼女の味方はいた。
それが、もう少しだけ多ければ。彼女の尊厳を踏みにじらない程度の扱いをしていれば。
だが、そうはならなかった。
ならなかったんだ。
だからって、この話はここで終わりじゃない。
終わらせるわけがない。
けれど、悔しいが幕を引くのは俺じゃない。
「アルフォンス殿下、まさかご足労いただけますとは」
固めるべき証拠や証言が十分になったところで、俺の上司の上司である第三王子アルフォンス殿下がシルヴァリオ王都に到着した。
恐らく来るんだろうとは思っていたが、本当に来るとはなぁ……アルトゥル殿下や護衛騎士達の心的疲労には同情せざるを得ない。
多分俺以上にその心的疲労をわかる奴はいないだろうからな!
そして、そんな内心を顔に出さないことには長けてるつもりなんだが、多分殿下にはバレている。
もう、それはそれで仕方ない。この人相手に勝てるつもりでいる方が無駄な足掻きってもんだ。
それよりも今は、実利を優先すべきだろう。
「ご苦労だったね、アーク。これが、今まで集めた資料かい?」
殿下がここまでくる間、部下達を使って出来る限りの中間報告はしていた。
それらを踏まえて、今ここにある資料の意味を殿下は察してくれたのだろう。
だから俺は、ゆっくりと頷いた。
「はい、こちらのアイゼンダルク伯爵にご協力いただきまして集めた資料にございます。
……俺の意見は今は言いません。まずは先入観なしにご覧ください」
「なるほど、わかった」
アルフォンス殿下は軽い口調で頷き返してくると、すぐに資料へと目を通し始めた。
まずはざっと概要を掴むために流し読み。膨大な資料をあっという間に横断したと思えば、重要であろうポイントへと戻って精読を始める。
……つくづく恐ろしいのが、多分最初の斜め読みで概要をほぼ完璧に掴んでるだろうってこと。
殿下がじっくり読み直してるのは、俺としても重要だと思っていたところ。
それを、あんなざっくりした斜め読みで捉えてるんだから、ほんと恐ろしい。多分情報処理能力が俺とは根本的に違うんだろな。
そして、時間にして30分も経ってないかくらいで殿下が顔を上げた。
「アーク、既にこの資料が先入観まみれじゃないか?」
「否定はしませんが、肯定もしません。
言い逃れのしようがないくらいに酷い連中か、心から王女殿下に同情的な侍女や侍従のどちらかしかいませんでしたから」
「それはそれは……ってことは、この資料は大体鵜呑みにしていいってことか」
「俺が殿下相手に誤魔化しなんてするわけないでしょ、バレるに決まってんだから」
思わず、学友時代の気楽な口調が顔を覗かせてしまう。
いかんな、思ってたよりも気が張っていたらしい。
それが、殿下が来たことでちょっとばかり緩んでしまったんだろう。
「ま、アークは大体顔に出るからね。自分では隠してるつもりなんだろうけど」
そのせいか、殿下もちょっとばかり砕けた口調だ。
……あ~、くっそ。
それにちょっと安心しちまったあたり、俺はまだまだ未熟らしい。
資料を読んで、アルフォンス殿下がこんな顔をしている。
ってことは、相手はもう逃げようがないってことだ。
だからって、まだまだ敵地の中、むしろこれからが本番だ、気を抜いていい瞬間なんてない。
俺は、ゆっくりと息を吸って。
それから、体中の疲れや緩みを、吐く息に乗せて身体の外へと追いやる。
もちろんそれは観念的なもので、実際に効果があるわけじゃない。
だが、それで緩みかけた俺の身体は力を取り戻す。
そういう風に鍛えているからだ。
「わかりました。殿下に読まれるのはいいですが、シルヴァリオ側に見抜かれてはいけませんからね。
気合を入れ直させていただきます」
我ながら、キリッとした顔を作れたと思う。
そんな俺を、アルフォンス殿下はしばし見つめ。
「え、どうしたの、何か悪いものでも食った?」
「やる気出しただけでその言い草は、流石にないんじゃないですかね!?」
思わず声を上げてしまったんだが。
悔しいが、落ち着きを取り戻したのもまた事実だった。
そして、資料を読み込んだアルフォンス殿下は、流石の一言だった。
「以上のことから、貴国は邪険に扱っていた姫君を、これ幸いとばかりに我が国に押しつけようとしたと考えられます。
異議はありますか?」
するりと喉元にナイフを滑り込ませるような、静かに鋭い口調で問いただす殿下。
学生時代からの付き合いだから、彼が情にほだされたとかではないことはわかっている。
国を、条約を軽んじられた。そのことに憤っているのだ。
なんせ、邪魔者の厄介払いに使われたような形だからな。それも、向こうが敗戦国側だというのに。
ああ、ついでに色々と利用出来そうだってのもあるんだろう。
「異議がないのであれば、それはそれで結構。随分と舐められたものだと判断するだけのことです」
「お、お待ちあれ! 決して貴国のことを侮ったわけではないのです!」
慌てて隣国の国王が言い訳を口にする。
きっと、ソニア王女には尊大な態度で接していたであろう彼が。
その彼が俺と同い年であるアルフォンス殿下に下手に出ているのだ、ざまぁみろと思うかと思っていたのだが。
全然、そんなことはない。
むしろ、虚しい。
あれだけソニア王女をぞんざいに扱っていた国王が、王妃が、力関係が上であるアルフォンス殿下に対してはこうもへりくだるものかと、情けなくすらある。
こんな連中のために、ソニア殿下はその身を差し出し、道中で儚くなってしまったのか?
あまりの理不尽さに、腸が煮えくり返りそうな気持ちになる。
だが、そんな俺の感情……いや、感傷で物事を左右するわけにはいかない。
まして今や、第三王子殿下が出張ってきたのだから。
「では、何故他の王女でなく、十分な教育も身だしなみも与えていなかったソニア王女を私の婚姻相手にと申し出られたのか?
第二王女も第三王女も未婚でいらっしゃるというのに」
声の温度を急降下させながら、アルフォンス殿下は問いを重ねる。
ちなみに、年齢で言えば第二王女が三歳差、第三王女が五歳差と、よっぽど釣り合いが取れているのだから、あちらはぐうのの音も出ない。
あまりの酷さに深入りした結果、ソニア王女の部屋の惨状にまで至ったのは、俺だ。
侍女の部屋よりも狭い部屋、茶会だとかに使えそうなドレスが二着しか無かったクローゼット。
そのドレスも、明らかに十七歳となったソニア殿下に合うものではなかった。
調べて見れば、十三歳以降、彼女は夜会にもお茶会にも出ていない。
だが、予算は消化されていた。姉姫や使用人達のために。
つまり、横領が常習化していたのだ。
それ自体は国内事情だ、俺達がどうこう言う筋ではない。
感情は別として。
だが、そうやって蔑ろにして、まともなドレスの一着も持っていない王女をうちの第三王子の婚姻相手にふさわしいと送りつけたのならば話が変わってくる。
いや、送りつけるどころか行ってこいと放り出したのが実情だ、国としてはどれだけ馬鹿にしてるのかと憤る所である。
だから、こうして夫となるはずだったアルフォンス殿下が乗り込んできているのだが。
……何故だか、そう考えたところで、胸がチクリと痛んだ。
そんな俺の感傷など無関係に交渉は進む。
……交渉、というか一方的な言葉の暴力になっているような気がしなくもないが。
「更には、この携行した荷物の量と内容。
これはつまり、嫁入り道具は持たせない、必要なものは我が国で全て用意しろと言外に要求しているようなものですが、いかがか?」
「ち、違うのです、後から送ろうと……」
「ソニア殿下が出立されてから、はや一ヶ月を過ぎております。
ですが、その後から送ろうとしたという荷物は用意されていないようですが?
それとも、あのろくなものが残っていない部屋から送ろうとしていた、と?」
アルフォンス殿下の言葉に、また胸がうずく。
そう、調査をしていたうちに、もう一ヶ月が過ぎている。
これだけ時間が経ってしまっていて、ソニア王女が無事でいる可能性など毛ほどもないだろう。
というか、最早絶望的と言っていい。
ちなみに、手配していたはずの嫁入り道具予算は、侍従長だとかに使い込まれていた。
ここまで両国の関係を拗らせてしまったのだ、恐らく連中は軒並み極刑となることだろう。
「そうやって放り出された王女殿下の消息は、国境を前に途絶えております。
あなた方は、そんな致命的なことすら我が国が調査するまで知らなかったのですよ。
条約を真摯に履行しようとしていたとはとても言えない状況だと言わざるを得ません」
宣言するように響き渡る声を聞いて、俺は肩を落とす。
最悪の上に更に最悪なことに、行きしなに俺が見かけた荷馬車と思った馬車が、ソニア王女の乗っていた馬車だったと判明したのだ。
一ヶ月以上経っていれば痕跡だとかも風に飛ばされていたので碌な現場検証も出来ず、追跡することも出来ず……完全に手遅れだったのは間違いない。
もちろん、そのこと自体はとっくに知っていた。何しろ調査の指揮を執っていたのは俺なのだから。
だが、改めて公式の場で言われると、心に来る。
公式に、彼女の死が認められたようなものだから。
だからって、落胆しているわけにはいかない。
「これらの調査結果を基に、こちらとしてはそちらの不履行に対する賠償を請求させていただきます」
シルヴァリオ側が反発しそうな発言の瞬間、俺は最大限に警戒し。
……それは、徒労に終わった。
見れば、シルヴァリオ王国の騎士団長、アイゼンダルク卿がこちらへと小さく頷いて見せている。
きっと、軍部だとか実力行使出来る面々を掌握しきったから安心しろ、ということなのだろう。
終わった。
この国で、俺が出来ることは、終わった。
きっと、この国は前までよりも少しだけいい方向に行くのだろう。
それはもしかしたら、アルフォンス殿下の手腕によって呑み込まれるという形を取るのかも知れないが。
ただ、そこにソニア王女殿下はいない。
彼女だけが、いない。
そのことがどうにもやりきれなくて、しかし隙を見せるわけにはいかなくて。
俺は、ただ溜息を吐くしか出来なかった。
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