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語られない表舞台

 その傭兵は、焦っていた。

 彼が位置しているのは、シルヴァリオ軍の中でも比較的後ろの方であり、ブリガンディア軍の攻撃には晒されていない。

 にも拘わらず、彼は焦っていた。

 何故ならば、彼がほとんど身動きを取ることが出来ていないからだ。

 倍の兵数差でありながら、完全に食い止められているような状況。

 これは、彼のような傭兵にとってはあまり良いことではない。

 ただ戦列に並ぶだけでは最低限の日当しかもらえないのである。

 これが前線で戦闘に参加すれば、さらに敵の一人や二人討ち取れば、特別手当が出るところ。

 日当だけではこんなところまで来た甲斐もないし、今回の特別手当は特に厚いため、逃したくもない。


 もっとも、彼は最初、自分の配置を喜んでいた。

 シルヴァリオ軍は傭兵主体、対するブリガンディアは歩兵と弓兵、騎兵がバランスよく配置された正規軍。

 正面からぶつかり合えばシルヴァリオ軍の方が損耗が早く、しかしブリガンディア軍にも相応のダメージはいく。

 だから、彼の出番が来るころには程よくブリガンディア軍が弱っているはずであり、労せずして特別手当を手にすることが出来るはずだった。


 だというのに、戦列は遅々として進まない。

 これは、軍を進めることが出来ぬほどの準備をブリガンディア軍がしていた可能性が高い。

 更に今、騎士と思しき騎馬の集団が慌てて前に駆けていくのが見えた。

 前線への増援にしては数が少なかったから、恐らく督戦でもしないとどうにもならない状況になっているのだろう。

 であれば、彼が目論んでいたような稼ぎも期待できない可能性も高くなる。


「冗談じゃねぇぞ、こんなとこにまで来てろくに稼げないなんざ。お偉いさんは何をしてるんだっての」


 彼がぼやけば、周囲でも同じような声がいくつも漏れ聞こえる。

 傭兵稼業なんぞをして生き延びてきた連中とあって、利に聡い人間や戦場の空気を読める人間もそれなりに多い。

 それぞれに不安や不満を抱えているギスギスした空気の中、鬱憤を込めた視線を、彼は総大将であるバルタザールがいるはずの後方へ向けた。


「……あん?」


 見てはいけないもの、あるいは信じられないものを見てしまった傭兵は、間の抜けた声を出しながら幾度か目を瞬かせる。

 何度見返しても、それは同じで。


「は、旗が、なくなってる……?」


 小さな呟きだったのだが。その声は、何故か周囲の人間に拾われてしまった。


「うわっ、まじかよ!?」

「嘘だろ、いつのまに!?」


 耳にした幾人かが振り返ってみれば、言われた通りに旗がなく。

 そのことに動揺して同じように口走れば、さらにその周囲へと言葉が、続いて動揺が広がっていく。


 何故彼らがこうも動揺するのか。

 答えは簡単なことで、それは総大将であるバルタザールが討ち取られたか捕まったか、あるいは敗走したことを意味するからだ。

 前述のように、兵士達の士気が崩壊してしまえば部隊が機能しなくなってしまう。

 彼らの士気を下げない、むしろ高揚させるための手段として、総大将が健在であることを示す必要があり、そのために色とりどりの旗を多数掲げて『ここにいるぞ』と伝えているわけである。

 だからバルタザールの周囲にいた旗持ち達は己の仕事を全うしようとして最後まで踏みとどまり、アークも旗持ちだけは具体的な標的として挙げたわけだ。

 

 その旗が見えなくなった。下ろされた。

 それが意味するところにすぐ反応できなければ、傭兵のような商売をして生き延びることなど出来はしない。


「大将が、王子様がやられた!」

「いつの間に!? 何やってんだよ!?」


 好き勝手口々に声を上げる傭兵達。

 しかし、それで幾人かは気が付いた。


「さっきだ、さっき騎兵が前に行ったろ? あれが大将の直衛だったんだ!」

「自分から丸裸になったとこを襲われたってことか!? 何考えてんだ!?」

「何も考えてねぇんだろうよ!」


 聞き咎められれば不敬罪で打ち首になりそうな言い草だが、この混乱した状況でそんなことがあるわけもない。

 大した忠誠心のない傭兵達が指揮官である騎士達に告げ口をするわけもないし、そもそも騎士達も事態に気づいたのか混乱中でそれどころではない。

 というか、傭兵達自身がそれどころではない。


「どうすんだよ、これ!」

「ど、どうするって、決まってるだろ!?」

「だから、どうすんだよ!」


 動揺しきった声で聞かれた傭兵は、ひきつった顔で何とか笑みのような表情を作る。


「逃げるんだよぉぉぉぉ!!」


 そして、彼は駆け出し。

 一瞬だけ、周囲にいた他の傭兵達もその後姿を見送り。

 それから、彼に続くように、いや我先にと散り散りに逃げ出した。


 金に煩く忠誠心の欠片もない傭兵達だが、意外なことに雇い主を見限って逃げ出したり、裏切って敵側に寝返るということはあまりない。

 何故ならば、それをやると遠からず命を落とすことになるからだ。

 当たり前だが、一人逃げればその隣で戦っていた人間の命が危うくなる。

 下手をすればそこから部隊の崩壊が始まり、敗走を余儀なくされることすらありえる。

 当然手当ももらえず儲けはパァ、最悪命を落とすことになるわけで、傭兵達から非常に恨まれるわけだ。

 そうなれば、逃げ出した傭兵は見つかり次第落とし前をつけさせられる。

 それを避けるために身を隠せば戦に出ることも出来ず、先立つものがなくなって野垂れ死ぬ。

 いずれにせよ、そう長くは生きていられないだろう。

 

 しかしそれには例外があり、その一つが今の状況。

 明確に総大将がいた辺りが落とされた場合である。

 雇い主が討ち死にしたか捕虜になったか、逃げだしたか。

 いずれにせよまともな支払いが望めなくなったのだ、踏みとどまっても無駄死にである。

 彼らの辞書に、献身だとか自己犠牲なんて言葉はないのだから。


 だから彼らは逃げ出した。

 海を越えてやってきたせいで土地勘もない上に、一瞬で総大将を落としてしまうような相手が急に現れるような敵地で、流行り病に罹って調子の出ない身体を引きずりながら。

 割と絶望的な状況だ。


「ちくしょう、来るんじゃなかった、こんな国ぃぃぃ!!」


 叫んでも、後の祭りである。

 それでも彼らは、逃げるしかない。

 背後で、ブリガンディア軍が前進を開始した気配がする。

 侵攻してきた敵軍が背を向けて潰走を始めたのだ、追い打ちをかけて一人でも多く討ち取っておきたいところだろうから、当然と言えば当然だ。

 地獄のようなこの状況で、それでも生き延びるためには、逃げるしかないのだから。




「まさか、ここまで鮮やかに決まるとはな……」


 潰走するシルヴァリオ軍への追撃を命じたファーロン伯爵は、思わず嘆息を零す。

 遠く離れてはいたが、伯爵の位置からはアーク達がバルタザールのいる場所を急襲したのは見えていた。

 もちろん、そういう手筈であることも、打ち合わせで知っていた。

 だが、ここまでの短時間で落とすとは思ってもいなかった。


 確かに、バルタザールを守っていたであろう騎兵達が前に出張ってきたのはある。

 シルヴァリオ軍全体が、士気が低いだけでは説明のつかない動きの重さがあったのを見るに、バルタザールの周囲に残っていた歩兵達も戦闘力が落ちてはいたのだろう。

 様々な要因が噛み合い、そこを狙った『黒狼』が一嚙みで勝負をつけてしまった。

 これは、偶然上手くタイミングがあっただけ、ともいえなくはないのだが、どうにもそうは思えない。


「まるで、戦場の流れや呼吸が全て読めていたかのような動きだ」


 もしも騎兵が離れるより前に仕掛けていれば、こうも簡単にはいかなかっただろう。

 かといってもっと遅かったならば、騎兵が介入した最前線の被害は増大したはずである。

 あの瞬間が、最も被害が少なく効果的なタイミングだった。

 アークは、そのタイミングを逃すことなく、完璧に捉えてみせたのだ。

 

 ファーロン伯爵とて経験豊富な戦上手であり、今回の複雑な兵の運用を破綻なくこなしてみせた腕前は並大抵ではない。

 だが、アークの見せた戦場の流れを見分けて急所を嗅ぎつける嗅覚のようなものが彼にはないのもまた事実。


「……これが『黒狼』と呼ばれる男の嗅覚、か」


 ブルリと、小さくファーロン伯爵は身震いをした。血の臭いにも慣れている練達の騎士が。

 その牙が彼に向けられることは、きっとないだろうが。

 それでも、背筋が冷たくなる思いが拭えなかった。


 こうして、ブリガンディア領内へと侵攻してきたシルヴァリオ軍は、全滅と言っていい被害を受けて撃退された。

 総大将であるバルタザールは捕虜の身となり、その近侍や前線へと出てきた騎士達はほとんど討ち取られ、逃げ出した連中を含め、金に釣られた傭兵達が晒すこととなった屍は数千に及ぶ。

 対して、ブリガンディア軍は負傷者こそそれなりに出たものの死者は極めて微小。

 特にアークが率いた特務大隊の騎士と義勇兵の混成部隊は、死者なしという極めて異例の戦果を挙げたのだった。

※以前も少し触れたかと思いますが、2巻発売されます!

 発売予定は6/7となっておりますが、ご購入を考えてらっしゃる方は、ご予約されると確実かと思います!!

 どうかよろしくお願いいたします!

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― 新着の感想 ―
[一言]  ほんと、彼の側で良かったよね(笑)。
[良い点] ま、ここで死ぬ傭兵はどうせ遠からず別の場所で死ぬだろうから、前倒しになっただけだな しかし、本当にバカな王子だw
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