終わらせる者が、立ち上がる
「流石はファルロン伯爵、完璧な戦運びだな~」
少し離れた場所から見ていた俺は、感心のつぶやきを零した。
歩兵を一度前に出して馬防柵を展開するという工作作業を完了し、すぐさま後退させる。
口で言うのは簡単だが、それを数千人の兵士を使役して完遂させるのはかなりの離れ業だ。
……しかしそれを、ファルロン伯爵は鮮やかにやってのけた。
「これで俺たちが下手こいたら、恥ずかしくて伯爵に顔向け出来ないぞ」
「いやまったくです。どうしてくれるんですか隊長、ハードル上がっちまいましたよ?」
「隊長言うな、子爵と呼べ。……いや、今は隊長か?」
隣に立つ騎士の軽口に応じながら、俺は苦笑を漏らす。
こいつは、アルフォンス殿下直属である特務大隊の所属。俺が中隊長やってたころの部下だ。
で、アルフォンス殿下が今回の戦のために派遣してくれた騎士の一人でもある。
つまり、派遣されたのは一人ではない。
「隊長でいいんじゃないですかね? 団長って柄でもないでしょうし、規模も違うし」
「ま、そりゃそうか。あんまり数が多くても手に負えんしなぁ」
軽口に答えながら振り返った俺の目に飛び込んでくるのは、こいつ同様に鎧をまとった騎士が十名。
それから、その背後に居並ぶ表情の硬い兵士達が五百人ばかり。
支給された槍と盾以外は体つきも装備もバラバラな彼らは、ブリガンディア軍の兵士ではない。
「てことで、諸君らも俺のことは隊長と呼んでくれ」
「いやとんでもないことでございますよ領主様!?」
俺が軽く言えば、兵士達の一番前に立っている男が悲鳴のような声を上げる。
うん、まあ。兵士達の中ではリーダー格の彼だが、身分は平民。それも、今の返答でわかる通り、我が領の領民だ。
そんな彼、いや、彼らからすれば、俺を隊長だなどと呼ぶのは恐れ多いことなのだろう。
その証拠に、彼の後ろに並んでいる兵士達も死にそうな顔色でうんうんと頷いている。
彼らもまたうちの領民なのだから、仕方ないことなんだろう。
だが、今この時ばかりは慣れてもらわんといかんし。さて、どうしたもんか。
「そうだよなぁ、諸君らからすれば、俺は領主様だよなぁ」
俺が納得したような声音で言えば、兵士達はうんうんと頷いて返してくる。
やっぱそれが本音だよな。
それはそれで、良い領民達だなとは思うわけだが。
その心を別方向に向けてもらわないといけなくもあるんだよな。
「だが、今だけはそのことを忘れて欲しい。何故ならば!」
声の圧を一段階上げた後、言葉を切って兵士達を見渡す。
……全員、一様に驚いた顔をして言葉一つ発することが出来ないでいる。
だが、一秒か二秒か。
俺が間を取れば、少し驚きが緩んだ気配。
そして、目の表情が少しだけ変わる。
俺の言葉を待っているような、そんな色。
そこを逃さず、俺は口を開いた。
「今この場は、瞬きの間に命を失う戦場であり! 諸君らは、そうと知ってなお駆け付けた義勇兵だからだ!」
俺が一層声を張れば、兵士達……義勇兵達の背筋が伸びる。
彼らは、職業軍人ではない。
俺とニアが訪れたストンハントとディアマンカット、そしてストンゲイズから募った義勇兵なのだ。
「傾聴!」
俺の号令に、全員が姿勢を正して立つ。
これは、この一か月で施した訓練の成果。
そして、成果と言えるものはこれくらい。
集団として彼らが実行出来るものは、俺の号令に対して即座に反応し、姿勢を正して立つことだけ。
だが、それだけで十分だ。
俺の声に即座に反応できる、それだけでも十分なのだ。
「今この時、この場において、俺は領主ではない! 一人の指揮官として俺は諸君らを率いて先陣を切る! そんなことが出来るのは、諸君らがいるからだ!」
動揺していた義勇兵達の瞳の揺れが、収まっていく。
瞳に、顔に、力が戻ってくる。
その様子を見ながら、俺は気付いていないふりで言葉を重ねた。
「諸君らは、聖女ニアが認めた勇士である! 故に俺は諸君らに背中を預ける! 預けるに値すると認めたからだ!」
ニアの名前を出せば、義勇兵達の目の色が変わった。
彼らは、ソニア王女の功績を知っている。
そして、領主夫人ニアがソニア王女の親友であり、この地方のことを託された聖女であると説明を受けている。
とんだ詭弁だ。
だが、彼らには意味があった。
彼らは受けた恩義をそのままに出来ない心の持ち主であり、生まれ育った故郷を守りたいと思える人間だからだ。
そしてこれは、俺に言い聞かせる意味もある。
冷静に考えれば、一か月かそこらの訓練を受けた程度の民兵なんて信頼出来るわけがない。
中には以前兵士として従軍していた奴もいるんだが、半数は体力だけの素人。
戦力として数えることなんて普通は出来ないし、背中を預けて戦うなんて御免こうむりたいところだ。
普通ならば。
だが、今はその普通でないことを押し通さなければいけない。
そして、それが出来ると確信している。
彼らの目の色が、はっきりと変わったからだ。
……俺個人の感情としては心苦しくもあるのだが。そうと言っていられる状況でもないのだから、俺は感情を押し殺す。
「俺が死ぬ時は諸君らが死ぬ時であり、諸君らが死ぬ時は俺が死ぬ時である! であれば、領主だ平民だのつまらん遠慮は不要、いや、有害でしかない!」
小難しい理屈をこねることも考えたが、やめた。
多分、シンプルな方が伝わりやすい。
理屈で理解してもらう場面でもない。
ただ一つのことが伝わればいい。
「俺達は、仲間だ! 力を合わせ、ともに侵略者を打ち払う仲間なのだ!」
大事なのはただ一点。今は、それでいい。
熱が上がってくる。
義勇兵達の精神が高揚してきた証、熱としか表現出来ないものが俺にまで届いてくる。
こうなれば後一押しだ。
「思い出せ! 諸君らは何故立ち上がったのか! 守りたい人がいるのだろう! 守りたい町があるのだろう!」
短く、言葉を切っていく。
言葉が届き、彼らが思いだす時間を稼ぐために。
守りたいものを背負った時、そして、その重みを自覚している時、人間は思いもよらぬ力を発揮するものだ。
「諸君らが守りたいものを、俺も守りたい! 俺たちは、仲間だ!!」
「うおおおおお!!!」
ひと際強く俺が声を張り上げれば、それに呼応して怒号のような声が巻き起こる。
……実は、最初に声を上げた奴は仕込みだ。
だが、それに呼応して声を上げた彼らは、仕込みでもなんでもない。
彼らは、心から湧き上がる熱に押されて声を上げた。
ここまでくれば後は進むだけ。
彼らの心は炭のようなもので、簡単には火が点かないが、一度点いてしまえばそう簡単には消えない。
心の奥底に燃料を秘めていたからこそ、彼らは義勇兵として志願してきたのだから。
「相変わらず、焚きつけるのが上手でいらっしゃる」
「からかうな、こんなもん何の自慢にもなりゃしねぇよ」
俺の傍にいた騎士が、義勇兵達に聞こえないような声でからかってくるのを、俺は苦笑しながらかわす。
実際、多分アルフォンス殿下の方が上手く焚きつけるだろうし。俺なんてまだまだだ。
だがこの場に殿下は居ないし、そもそも居てもらっちゃこまる。
だったら、俺がやるしかないってだけの話だ。この場の責任者は俺なのだから。
「……何人生き残りますかな」
縁起でもないことを聞いてきやがる。
しかし、指揮官として頭に置いておかなきゃいけないことでもある。
戦になれば、死人が出る。当たり前のことだ。
だから俺は。
「全員さ」
そう言って、笑った。
驚く部下へと、笑ってみせる。
きっと、狼そっくりの獰猛な顔で。
「一人だって死なせやしない。お前らも含めて。お前らもあいつらも、こんなくだらん戦で死んでいい奴らじゃねぇよ」
もちろん俺だって死ぬつもりはない。
あいつらに俺は殺せない。
「久しぶりに見せてやるよ、本気の『黒狼』を」
そう告げて、俺は牙を剥いた。




