釣果と、釣り人達の嘆息
「ロブから報告がありました。物の見事に食いついたようです」
「まじですか~……こうもあっさりって……」
ストンゲイズにある領主邸の執務室で、俺はニアから報告を受けていた。
あまりに予想通り過ぎて、若干肩透かしのようなものを感じながら。
あ、ちなみにロブっていうのが庭師のおっちゃんな。
「ここまで見事に嵌まってしまうと、演技の可能性を疑ってしまうのですが……」
「まあ、そんなもんです。気持ちはわかりますが」
上手くいきすぎて逆に不安になっているニアへと、俺は肩を竦めて返す。
何やら問いたげな視線を向けられたので、俺は補足説明することにした。
「自分が攻める側だと思っている人間は、攻められることを考えていないもんです。同じように、相手を嵌めようと思ってる人間は嵌められることを考えていない。今回のバルタザール達も例外ではなかったってことでしょう」
「なるほど……言われてみれば、彼の性格から考えるに自分に都合のいい情報は嬉々として鵜呑みにする可能性の方が高いでしょうし」
納得したように幾度か頷いていたニアだが、すぐにはっとした顔になる。
「いえ、納得はしましたが、ここで気を緩めるのは違いますね。今度は私達がその心理に陥ることになりかねません」
……こういうところが、第二王子バルタザールとの器の違いなんだろうなぁ、などと感心してしまう。
何しろ、俺も注意を促そうと思っていたところだから。つっても、受け売りだけど。
「俺にこのことを教えてくれたアルフォンス殿下も、まさにそれを言ってましたよ。相手の隙を見つけた、と思った時が一番危ないのは組み手でも言えることですし」
「相手の誘いである可能性もある、そのことを忘れてはいけないということですね」
「そういうことです。なんで、向こうの動きには引き続き注意はしつつ。しかし、嵌まろうとしてくれるなら誘導はしていくって感じで」
「そうですね、変に躊躇って何もしないのもいけませんし」
殿下の名前を出したら一層信憑性があがったのか、どこかすっきりした顔のニア。
ほんと、策略を駆使することに関してアルフォンス殿下の言うことに間違いはない。
あの人、俺と同い年のはずなんだけどなぁ……やっぱ貴族社会の最上位で揉まれてきた人だから、今まで見てきたものも違うんだろうなぁ。
ともあれ、これで基本方針は定まったわけだが。
「それにしても、シルヴァリオ王宮内部の情報なんてよく手に入りましたね?」
と、気になったところをニアに聞いてみた。
ニアが持ってきた報告だから間違いはないと思うんだが、出所の確認はしておかないとどれくらいの確度があるものかわからないからな。
そのことはニアもわかっているのか、気を悪くした様子もなく答えてくれる。
「ええ、ロブの昔の同僚から情報をもらったらしくて」
「ロブの、昔の同僚」
さらりと答えるニアに、思わずオウム返しする俺。
一瞬、沈黙してしまった俺は、良い機会だからと聞いてみることにした。
「ロブは、庭師ですよね?」
「はい、庭師です」
「お庭番ではなく?」
「ふふ、お庭番は東方の国が使っているという密偵のことじゃないですか」
コロコロと鈴が鳴るような声で笑いながら返してくるニア。
知っていること自体は、ニアだから不思議じゃないんだが。
間髪入れないあたり……俺が聞いてくるのを見越してたんじゃないかって思わなくもない。
「流石ニア、お庭番のことを知ってるんですね」
「アーク様もご存じなのは、流石だと思いますよ?」
「いえいえ、そんなそんな。で、ロブはお庭番じゃなくて庭師、と」
「はい。彼は、庭師なんです」
……ふむ。何かを強調するかのように『彼は』と区切ってニアは言った。
そのことに、多分意味があるんだろう。
かつてはともかく、今の彼は、庭師であることを望んでいる。そういうことだろうか。
そういや膝を悪くしてるっていうし、お庭番みたいな裏方仕事がもう出来なくなったってことも関係しているのかも知れない。
であれば、詮索するのも悪いな。ニアにも、ロブにも。
「わかりました、ロブは庭師。ただ、彼のツテから得られる情報は確か、ということで」
「ええ、そう思っていただいて大丈夫です」
俺がそれ以上の追及を切り上げれば、ニアは少しだけほっとした様子を見せた。
多分、ロブとの間に約束か何かあるんだろう。
そもそも、裏方仕事をやってた人間だったとしたら、そんな彼が平穏な生活を手に入れようと思えば色々大変なこともあったんじゃなかろうか。
そんな彼が、元同僚から情報を仕入れるなんていう危ない橋を渡ってくれてるってことは、ニアへの忠誠心もそうだが、ここでの暮らしを気に入ってくれているのもあるかも知れない。
そうならいいんだが。
もしそうなら、雇い主としては彼の事情も含めて守ってやりたいところだし。
「しかしそうなると、確かな情報がそういうツテからもらえるくらいシルヴァリオ王家は見限られ始めてるってことになるんですかね」
「王家、というよりは第二王子が、という方がより正確かと。彼が今の地位にいて権力を握っていることは、シルヴァリオ王国のためにならない、と判断されたのでしょう」
「……なるほど、『王家』ではなく『王国』のためにならない、と」
確認するために言えば、ニアはにっこりと笑っている。つまり、そういうことなんだろう。
「もしかしてシルヴァリオの密偵とかを束ねてるのって、騎士団だったりします?」
「騎士団配下の密偵も、いますね」
「あ~、そりゃそうか。ってことは、アイゼンダルク卿の影響を受けてる密偵もいる、と」
これで合点がいった。
ソニア王女失踪の件でシルヴァリオ王家を見限ったシルヴァリオ王国騎士団長アイゼンダルク卿は、密かに王家から距離を置き始めている。
まだ表立って動きを起こしてはいないが、同じく王家から心が離れた貴族達を水面下で纏めているのだとか。
当然、お膝元である騎士団は彼のことだから真っ先に掌握していることだろうし……その麾下の密偵であれば、信頼も出来るだろう。
というか、だからロブも情報をもらいやすかったのかもな。
「じゃあ、後は向こうの動向を見ながら迎撃の準備をするだけ、か。って言っても、多分かなり無理して早めに仕掛けてくるとは思いますが。一か月かからんくらいかな」
何しろバルタザールは第一王子エルマーに気付かれる前に侵攻を開始しないといけない。
軍需物資の調達は手を組んでいるゴートゥックがやるだろうからバレにくいとしても、それでも誤魔化せるのは一か月がいいところ。
また、こちらが把握している傭兵の集まり具合などから考えても、一か月かからんくらいで侵攻を開始できなくはない数が集まりそうな状況だ。
「アーク様の見立てではそうなりますか。迎撃準備は間に合いそうですか?」
「ええ、もちろん」
いかに博識なニアといえども、軍事関連はそこまで詳しくない。
なので俺の見立てを信じてくれるわけだが、その信頼が実に嬉しい。
裏切りたくない、この信頼。
「向こうが集められそうなのは、傭兵を中心とした一万程の数。それに対してこちらはファルロン伯爵が率いる旅団が騎士と歩兵を合わせて五千。ビグデンの街を活用して迎撃すれば、防衛には問題がありません」
地方都市であっても、いや、むしろ地方都市だからこそ、街にはある程度以上の規模を持つ防壁が備えられている。
この辺りの中心都市であるビグデンも例外ではなく、そこに一か月かけて手を加えれば、ちょっとした籠城戦に耐えられるくらいの防衛施設にすることは十分可能である。
俗に、籠城戦の攻撃側には、守備側の三倍から五倍の兵力が必要と言われる。安全に勝ちたいなら十倍用意しろ、なんてことも言われるくらい、守備側は有利だ。
おまけに、向こうの主力は傭兵達。
開けた場所での戦闘においては数を揃えられると脅威になる連中だが、籠城戦に用いるのは正直あまりお勧めできない。
籠城戦においては、忠誠心と根気、更に攻撃側は度胸が要求されることになるが、傭兵はそのいずれも持ち合わせていないことが多い。
上手いこと煽れば、『度胸を見せてやる!』とか言って突っ込んでくれる奴もいるんだが、そこまで単純な奴はそう多くない。長生きできないので。
攻撃側の雇い主としてはどんどん突っ込んでもらってどんどん死んでもらいたいところなんだろうが、雇われる傭兵側はもちろん死にたくないわけで、そこが上手く噛み合わない。
前払いでドカンと何倍もの金を積めば訳ありな奴は覚悟を決めてくれるんだろうが、話を聞くにバルタザールがそこまでポンと出すような器量を持っているとも思えない。
攻城戦で傭兵が役に立つのは、それこそ十倍の数を揃えて城を囲い込み、時間を掛けてじわじわ防御側を消耗させていく戦法の時くらいだろうか。
言うまでもなく今回は時間との勝負な上に、向こうはそこまでの数を揃えられていない。
であれば、籠城すればこっちに負けはない、のだが。
「……その場合は、住民達の負担が大きくなりますよね……?」
「そこが大きな問題ではあります。早めに察知出来れば、ストンハントとディアマンカットに避難してもらうことも出来なくはないですが……現実的とは言い難いですね」
思案げなニアに、残念ながら俺は頷くしかない。
あまり規模の大きくない街とはいえ住民は数千人はいる。
その規模の民間人を安全かつ的確に避難させるには、それ相応の人手が必要となる。
当然、防衛を担う旅団からそんな人数を出すわけにはいかない。
「また、絶対に籠城、と言い張れない程度の数っていうのが悩ましいんですよ」
俺の言葉に、ニアも小さく頷いて返してくる。
さっきも言ったが、攻撃側は三倍から五倍の数が必要となるが、逆に言えばそれだけの差がなければ籠城しないケースもそれなりにあったりする。
特に相手が傭兵ばかりだと、ただの数合わせでしかない場合もあるので防御側も打って出る判断をすることが少なくない。
傭兵達は戦争に出ることを生業としているが、だからといって全員がストイックに鍛練を積んでいるわけでもなく、その質はてんでバラバラである。
例えば俺でも舌を巻く使い手がいることもあるし、なんで出てきたと聞きたくなる質の奴もいたりした。そういう奴は大体、聞いても答えられない身体になるわけだが。
そして、戦場ではよっぽど突出した個人がいない限り、部隊の強さはその中で最も弱い人間の影響を強く受けて決まってくる。
おまけに彼らは集団戦の訓練を受けていないから、指揮官の指示に対する反応は極めて鈍い。
だから傭兵部隊を小難しい戦術に組み込むことは出来ず、攻撃側なら『突っ込め』、防御側なら『その場で踏ん張って戦え』くらいしか指示が出来ない。
そのため、彼らは歩兵に対して数を頼みに突っ込ませるとそれなりの効果を発揮するが、騎馬部隊がその機動力で攪乱すれば、一気に足並みが乱れて戦闘能力を大きく損なってしまう。
「ファルロン伯爵の能力と部隊の練度を見る限り、打って出るという判断も十分可能です。ただし、その場合はハイリスク・ハイリターンになってしまいますが」
「やはり、そうなりますよね……」
ニアの言葉に、勢いがなくなってくる。
俺にとっては当たり前のことだが、心優しい彼女からすれば野戦に打って出て騎士や兵士達が防壁なしに戦う危険に晒されるのは、とても心苦しいことなのだろう。
これだけしっかりしていても彼女はまだまだ年若いのだから、それは仕方が無い。
かといって住民達を籠城戦という危険に巻き込むのも同様に避けたいところ。
であれば、どうすればいいのか。
「なので、野戦で圧勝してしまうような仕掛けをしておきたいところでして」
「仕掛け、ですか? それは、一体……」
俺の言葉に、ニアが驚く。
そこへ俺は、向けられた視線へと、出来る限り頼もしく見えそうな笑顔を作ってみせた。
だってなぁ、驚くだけじゃなくって、期待みたいなもんも見えたもんだからさ。
応えなきゃ、男じゃないってもんだろ?
「実は、この前から考えていたんですが……」
だから俺は、密かに温めていたアイディアを、ニアに披露したのだった。




