撒かれた餌と
ニアがアークへと策を語って、翌日。
「あっはははは! いやいいね、これは面白い!」
ブリガンディア王国第三王子アルフォンスの執務室で、愉快そうな笑い声が響いていた。
いきなり笑い出した主に、周囲で仕事をしていた文官も武官も、ギョッとした顔でアルフォンスを見て。それから、幾人かは手で胃の辺りを押さえた。
彼がこんな顔をする時は、大体面倒なことになると決まっている。そのことをわかっていない人間はここにはいないし、そのせいで胃痛を患っている人間は少なくない。
だが同時に、彼の無茶ぶりによって重要事項が片付くことがほとんどであることも知っているから、逃げることも拒否することも出来ない。
それだけの職業倫理、あるいは責任感があるからこそ、彼らはここで働いているのだから。
「殿下、どうなさいました。それに、それは……」
一人の文官が、思い切って声を掛ける。
彼はまだ、物理的、あるいは肉体的無茶ぶりをされないだけ武官達よりもましであるため、こういった時には最初に声を掛けることがおおい。
精神的にはもちろん負担が大きいため、武官達は後で労ったり酒を奢ったりだとかしてはいるのだが、それに見合うかどうかと言われれば、首を傾げざるを得ない。
どの道、聞かなければいけないことではあるのだが。
「うん、実はアークから急ぎの連絡があってね。こういう策を打ちたいんだがいいか、ってさ。いや~、あのアークが策を提案してくるってだけでも楽しいのに、その案がまた面白くてさ!」
「お、面白い、ですか……マクガイン卿が、そんな案を?」
そう言いながらアルフォンスはヒラリと手にした紙切れを見せた。
急ぎの連絡の時に使う伝書鳩が運ぶそれを見た文官は、首を傾げる。
彼の知るアーク・マクガインという男は、理解力もあり頭の回転も良いが、言われたことを実直に遂行するタイプで、自分から献策してくることはあまりなかった。
また、アルフォンスと冗談を言い合ったりするところは幾度か見ているが、基本的に真面目で堅実なタイプなので、面白い策を考えつくとも思えない。
「……それは、本当にマクガイン卿からの献策ですか?」
その発言を聞いて、アルフォンスはまた噴き出した。
彼を良く知る人間であれば、疑うのも無理はないところかも知れないが。
しばらく笑ったと、アルフォンスはもう一度紙切れを見せる。
「間違いないよ、これはあいつの筆跡だ。ついでに、異常事態時の符丁も入ってないから、誰かに捕まって無理矢理書かされたとかそういうこともない。多分、奥方の発案じゃないかな」
「ああ、先日結婚された奥方ですか。……殿下がそうお認めになる程の人物だと」
「うん、直接会って確認したけど、彼女も中々のものだよ。現地の事情もよく知ってるみたいだから、こういう策を考えついても不思議じゃない」
「そこまでおっしゃいますか……であれば、私から申し上げることは何もございません」
自信たっぷりに言われて、文官もそれ以上異を唱えない。
学生時代からアークを知るアルフォンスが言うのだ、確かなのだろう。
であれば、後は動くだけだ。
「詳細を書いた書面は早馬で送るそうだから、明日か明後日には到着するんじゃないかな。それに合わせて『彼ら』を送り込むようにしたいんだけど」
「それだけであれば全く問題はありませんが。『彼ら』だけ、ですか?」
アルフォンスの指示に、文官が確認を取り。アルフォンスはまた愉快そうな顔をする。
一を聞いてそれ以外を察する。彼の周囲には気の利く人間が多い。
いや、そうでなければ近くに置かれない、とも言うが。
「『彼ら』だけじゃ道中が危険だし、護衛をつけないとだね。動かせる小隊をリストアップしておいてもらおうか。それから、必要な物資の運搬準備も手配しておいて」
「かしこまりました、すぐに準備いたします」
アルフォンスの指示に文官が頷き、それを聞いていた武官がすぐにリストの準備を始める。
別の文官は、物資の確認のためか運搬の手配のためか、執務室を出て行った。
すぐに動き出した部下達を見ながら、アルフォンスが立ち上がる。
「じゃ、私は念のため兄上から許可をもらってくるよ」
その顔には、とてもとても楽しげで……どこか危険な香りのする笑みが浮かんでいた。
それから、一週間ほど経った、シルヴァリオ王国の王宮にある一室にて。
「おい、その話は本当か!?」
「はい、間違いございません!」
偉そうにふんぞり返って座っていた若い男が、勢いを付けて立ち上がった。
その眼前で揉み手をしていた中年男性もまた、それに合わせて勢いよく応じる。
若い男は、この国の王族に見られる金色の髪に縁取られた神経質そうな顔を喜色に歪ませた。
「まさか、あの土地に鉱山が眠っていたとは……道理でわざわざ欲しがったわけだ。これは大手柄だぞ、ゴートゥック!」
「ありがとうございます! 私も、報告に戻って来た者から話を聞いた時には半信半疑でございましたが、調べたところ鉱山技師らしき者がストンゲイズに来ておりまして!」
「うむ、追跡調査までするとは抜かりがないな!」
「それもこれも、日頃のご指導ご鞭撻のおかげでございます、バルタザール殿下!」
中年の男……商人ゴートゥックがへつらえば、若い男、第二王子バルタザールは満足げな顔で幾度も頷いてみせた。
これがそんな話を聞いてきた、だけであればゴートゥックももう少し慎重になったところだろうが、希少な鉱山技師がいると聞いて、信じてしまった。
この鉱山技師達が、アルフォンスの言っていた『彼ら』なのだが……もちろん彼らにそんなことを知る由などない。
おかげでストンゲイズ方面の工作がどうなったかの確認など頭から飛んでおり、ゴートゥックはそのことに安堵しつつも一切顔に出さないでいる。
ここは、王宮の中でも奥まった場所にあり、二人が密談をするのによく使っている部屋。
人払いもしているとあって、二人は抑えることなく欲に塗れた顔で笑っている。
「これであの土地を奪い返せば、王位争いでリードを奪えるだけでなく、領有権まで主張出来るだろう。そうすれば、後は鉱山開発で利益がガッポガッポというわけだ!」
「その通りでございます! 鉄や石炭でも十分でございますが、これで銀や金など出てきた日にはどれだけの利益になることか!」
「その利益があれば更に兵を雇うことが出来る。そうすればあの憎たらしいブリガンディアに攻め込むことも出来る! ああ、これが神の配剤というものだな!」
ご機嫌なバルタザールは妄想にも近い未来図を描くが、窘める人間などここにはいない。
むしろゴートゥックなど一緒になって煽っているくらいなのだから始末に負えないところだ。
「この鉱山の話、もちろん誰にも話しておらんよな?」
「もちろんでございます。このような話、次代の王であり英明なるバルタザール殿下以外には出来ませんとも」
「うむ、殊勝な心がけである! 領土を取り戻した暁には、鉱山から出る金も銀もお前に取り扱わせてやろうではないか!」
持ち上げられて良い気分になったバルタザールは、もう手に入れたかのごとく金銀の流通について気前良くゴートゥックに約束などしている。
口約束でしかないというのに、応じるゴートゥックもまた下卑た笑みを返した。
「ありがとうございます! 流石バルタザール様、器の大きさが違いますなぁ!」
「はっはっは、そうであろうそうであろう!」
「そんなバルタザール様の器には物足りないかも知れませんが、上がった儲けはいつものようにさせていただきます。ですから、どうぞご贔屓にしていただければ……」
「くくっ、ゴートゥック、そちも悪よのぉ」
笑うバルタザールの顔に、王族たる気品は欠片もない。
巡ってきた好機という餌に、そうと気付かずよだれを垂らす獣のごとき顔。
そして、同族であるゴートゥックもまた同様である。
「しかしそうなると、他の者に気付かれる前に制圧してしまわねばならんな」
「はい、おっしゃる通りかと。ご安心ください、此度は十分な兵糧も用意してございます!」
「うむ、心強い! ならば急ぎ兵を整えて攻め込まねば!」
ゴートゥックの言葉に頷いたバルタザールは、力強く頷くと急ぎ足で部屋を出て、出兵の準備を始めた。
それも、第一王子である兄や、いまだ健在である父、国王にろくな相談もせず。
相談すれば、鉱山のことがバレる。あるいは言いくるめられて止められると判断してのことであり、その予想自体は当たっている。
ただ、彼は根本的に勘違いをしていた。
その勘違いを正されることなく彼は突っ走り始めたのだ。
破滅へと向かって。




