王女の残り香
そうして、まずは王女の足取りを中心に調べたのだが……。
「王女殿下の馬車が、街道に続く門を出たことは間違いない、のですが……」
「これは、流石に、ちょっと、なぁ……」
門から出た、こちらに向かう意思はあった、と確認できた。
つまり、条約を守ろうとした意思は確認できた。それはいい、んだが。
「積み込まれた荷物……王女殿下の輿入れどころか、貴族令嬢の小旅行としてもどうなんだって感じですね、これ……」
「随行員も門番の言っていた通り、御者と侍女一名ずつ。以上。
何ですか、こちらの王家は意図的にソニア王女殿下を不慮の事故に遭わせたかったんですか?」
冷静に、冷静に。
そう自分に言い聞かせないと、言葉に毒が滲み怒りが漏れ出しそうになる。
あまりに、酷い。
たったこれだけの荷物しか持たされず、供も連れず。
道中で野垂れ死ねと言わんばかりのこれらの指示は、王妃のサイン入りで出されていた。
これらの調査結果を見せられたアイゼンダルク卿の顔が怒りと失望で歪んでいたのも当然だろう。
今回の輿入れに、彼は直接的には関係していない。
それでも責任を感じているのだろうし、こんな状況をのさばらせていた近衛の連中にも、それを知らなかった自分にも怒りを感じているのだろう。
「これでは、王女殿下には条約履行の意思はあったが、王家にはなかったのではという疑念が拭えません。
追加で調査させていただかねば、これで終わりとはとても言えない」
「ええ……こちらとしても、最大限協力致します。存分にお調べください」
このままでは条約不履行に問われる、と脅せば城内の根回しもしやすいし、この際に大掃除をしましょうとアイゼンダルク卿は笑みを浮かべた。
……俺でさえ肝が冷える、いい顔で。
やっぱこの人と一度手合わせしたいもんだが、それは全部が片付いた後だ。
何を差し置いても、ソニア王女殿下を見つけなければ。
まずは、馬車や王女殿下、御者や侍女の特徴を共有した上でゲイルをリーダーとするブリガンディア・シルヴァリオ両国の混成部隊が街道を追いかけていくよう手配。
彼女らの特徴だけでなく、出立した際の状況、万が一のことがあれば条約不履行で戦争が再開される恐れすらあることを共有したおかげか、彼らはこれ以上なく士気高く出立していった。
それを見送る間もなく俺は、団長の協力の下、ソニア王女殿下がどんな状況に置かれていたかを調べた。
調べなきゃ良かった。
いや、彼女の名誉のためには調べて良かったと頭ではわかってるんだが、感情が言うことを聞いてくれない。
「貴国では、これが王女殿下に対する扱いなのですか……?」
「いや、こんなことはあってはならないことです」
「しかし、実際に起こっていた。あってしまっていた」
ソニア王女の扱いは、酷いものだった。
三人の王子、三人の王女と子供の数が十分だったところで予定外に側妃が産んだ末の姫。
将来的に背負わされるであろう責任も軽い分、扱いが軽くなるということはあるかも知れない。
もしかしたら、最初ちょっと扱いが良くなかっただけ、だったのかも知れない。
だが、いつしか彼女は軽んじられていた。それも、家族からも使用人達からも。
例えば、彼女だけいつからか食事を同じくしていなかった。それだけでなく、内容も数段落とされ使用人のそれと大差ないものだった。
幼い少女が自室で一人、使用人と同じような食事を摂らされる。
一体、どんな気持ちだっただろうか。
そういった物理的なことだけでなく、精神的な領域でもそう。
付けられた教師達は、彼女に対して手抜きの授業をしていた。
適当に報告をしても咎められず、手を抜いても同じ給料、というのであれば徐々に手を抜き出す人間もいるだろう。
むしろ、そういう人間ばかりあてがわれていた節すらある。
そんな扱いを見ていた使用人達も、少しずつソニア王女の世話から手を抜き始めた。
そして、誰もそれを咎めなかった。
親である国王も、腹を痛めて産んだ側妃すらも。
……これは、男である俺の幻想が過分に入っていることは認める。
だが、理解出来なかったし、認めたくなかった。
側妃にとっては自身が産んだ第二王子が王位に就けるかどうかが一番重要で、政略上大した意味のないソニア殿下には興味がいかなかったらしい。
ふざけるな、と叫びそうになった。
いくら王族だと言っても、それでも人の親かと。
子供がいないどころか独身である俺ですらそう思ったのだ、既婚で子持ちのアイゼンダルク卿など、血管が何本か切れそうなほどに顔を真っ赤にしていた。
せめてこの人がソニア王女と直接関わる立場だったなら、と思わずには居られない。
そんな親の姿を見ていて、子供達、つまりソニア王女の兄姉が勘違いをするのも自然な流れ。
『この子はいじめても問題ない、何も言われない』と理解した時の子供の残酷さってのは、貴き身分であろうと変わらないらしい。
特に、王妃が産んで歳も近い第三王女は、側妃が産んだソニア王女に強く当たっていたようだ。
これで彼女が自分の立場に気付かないで居られるくらい愚鈍であれば、まだ幸いだったかも知れない。
だが、残念ながらそうではなかった。それどころか、逆だった。
「王女殿下は、本当に聡明な方で……いい加減に教えられたことでも、ご自分でお調べになってきちんと習得なさっていて……」
数少ない、ソニア王女付きだった侍女が涙ながらに言う。
ぞんざいな仕事の使用人が多かった中で、彼女やソニア王女殿下に付いていった侍女は誠心誠意彼女に仕えていたらしい。
彼女に言わせれば、ソニア王女はそれに値する姫だった、と。
「ご自身がお辛い立場でらしたというのに、常に穏やかで、私どもにもお優しく……微笑みと気遣いの絶えない方でございました」
そう聞いた時には、心から驚きと、敬意のようなものを覚えた。
恵まれている時に優しく出来る人間はそれなりにいる。腐っていく人間もいるが。
だが、辛いときに優しく出来る人間など、そうそういるものではない。
なのに、ソニア王女はしていたのだ、年端もいかぬ歳の頃から。
どれだけ心が清ければそんなことが出来るのか、と不思議に思ったのだが、それは調査が進むにつれてわかった。
聞けば聞く程、ソニア王女は穏やかで優しく、常に微笑んでいるようなお姫様だった。
そう、微笑みを絶やさないでいた。
心からの破顔は、一度もなしに。
それを理解した時、胸が痛かった。いや、今も痛い。
彼女は、一度でも心から幸せだと、楽しいと思えたことはあったのだろうか。
答えなど返ってくるわけもない問いが、俺の頭の中でぐるぐるとする。
確かに彼女は王族の生まれだ、国に奉仕するための存在だ。
貴族である俺だってそうだ、王族である彼女はより一層そうであることを求められるのは当然だろう。
だからって、これはない。
いくらなんでも、これはないんじゃないか?
彼女は、諦めていたのだ。己の幸せだとかそういったものを。
だから他人の為に微笑むことは出来ても、自分のために笑うことはしなかった。出来なかった。
そう思い至った時、俺は泣いた。
なんでだ、なんで、こんな年若い少女がそんな思いをしなきゃいけなかったんだ。
問うても、誰も答えを返してはくれない。
誰も答えを持っていないのだから。
思い知った程度な第三者の俺ですらそう思ったのだ、当事者であったソニア王女はどれほどの絶望を感じただろうか。
もう、誰にもわからない。王女付きだった侍女であっても。
それでも、きっと絶望しきってはいなかったのだろう。
「時折外に出られては、花や香草を持ち帰って、ご自分で香水を作られたりしていたのです。
こちらに残っているのが、それでして……」
そう言いながら侍女が示してくれたのは、香水の瓶としてはシンプルなもの。
ドレスや宝飾品もろくに購入出来なかった彼女の心の慰めが、自作の香水だった。
なのに、その香水すら一本二本程度しか持って行くことを許さなかった王妃や第三王女ってなんなんだよ。ほんとに人間か?
そんな扱いで王都の門を通ることになった彼女の気持ちは、どんなものだったのだろうか……最早知ることは出来ない。
重苦しい空気の中漂う、場違いな程に明るく爽やかな香りは、どうしようもなくもの悲しかった。