『彼女』は忘れていなかった
こうして俺達はストンハントの町を訪れたわけだが。
「おお……まさか、こうしてまたお会いできるとは……」
話を通してあったこともあるんだろうが、面会は滅茶苦茶スムーズに進んだ。
今俺達がいるのは、町長の家にある応接室的な部屋。
結構歳のいってる町長は一応准男爵の位にあるらしく、平民と貴族の間くらいの立ち位置。
財産もそれなりにあり、邸宅も立場に恥ずかしくないもの。
見たところ、本人もその立場に恥じない人物に見えるのだが……一点だけ、邸宅の手入れがあまり行き届いていないらしいのが気に掛かかったのでそれとなく聞いてみたところ、沈鬱な顔とともに返事が返ってきた。
「そうでしたか、あの後そんなことが……」
「はい、あれからますます地方のことなど目に入らなくなったようでございまして……」
神妙な表情で応じるニアへと、涙を滲ませながら痛切な声で訴える町長。
以前ニアがこの辺りを訪れて、第二王子が色々と手を打った。
もちろん、そうなるように裏でニアが動いたおかげではあるんだが。
ところが、例の戦争が始まった途端に中央からの支援はなくなり、戦場が近いこともあって領主は徴兵したり臨時徴税を行ったりと奪っていくばかり。
すっかり疲弊したところで今回の割譲が行われたのだ、町長からすれば捨てられたとしか思えなかったのも当然だろう。
「こうもされると、トカゲの尻尾にするから最後に収奪したのかとすら……」
「そんなことは……ない、とは言い難いのが申し訳ないと言いますか……」
慰めの言葉を口にしかけて、しかし言い淀むニア。
そんな彼女へと気遣わしげな目を向けながら、俺は密かに感心していた。
ニアが言い淀んだことには、二つの意味がある。
心優しい彼女ですら否定出来ないくらいに、シルヴァリオ王家とその傘下にある貴族はやはりダメなのだと印象づけること。
そんな中で、出来ないけれども彼女は慰めようとした、気遣っているとも伝えられた。
そうすると、どうなるか。
「おお……なんと、我らのために心を痛めてくださるとは……」
と、町長は感涙しきり。
これで彼は『シルヴァリオ王国から切り離されて良かった、ブリガンディア王国の方が少なくともましだ』と思ってくれることだろう。
後、ソニア王女は姿が変わっても心は変わっていないとも安心してくれたはず。
このやり取りそのものは、実は想定して用意していたりはするんだけどな。
多分ろくな扱いはされていなかっただろうと、ニアは予測していた。
その場合、シルヴァリオ王国や旧領主に対する恨み言の一つや二つ、出るはず。
それは、新しく領主となった俺達にとって好機になると踏んだわけだ。
そして、好機とあれば畳みかけるのが戦術の基本。
「いえ、割譲されるとあって、心配していたのです。……あ、心配と言えば。流行病の方は大丈夫ですか? もしかしたらと思って、医薬品の類いを持ってきたのですが」
「なんと! あ、ありがとうございます、まだ今年は流行していないのですが、これから寒さも厳しくなっていきますのに、備蓄に不安があったのでございます」
ニアが言えば、町長は一瞬驚きで目を見開き。それから、とうとう涙を流し始めた。
なんでも、この辺りには風土病ともいえるような流行病があるらしい。
かつては冬になると猛威を振るったそうだが、薬を使うことでかなり抑えることが出来るんだとか。
お察しの通り、その安定供給にもソニア王女が一役買ってたらしいんだが……今回の野盗騒動で、その薬が届きにくくなっていた。
で、今回の訪問に際してニアが乗っていた馬車に積んでいたのが、その医薬品なわけだ。
なんせ俺が座るはずだった場所が空いてるし、食料なんかと違って医薬品は町の人間全員分を積んでもそこまでの量にはならない。
これで訪問がもうちょっと遅くなっていたら食料も積んでいかないといけないところだったが、早めに動いたことで、今回は医薬品だけで済んだとも言える。
いずれにせよ、この町のことをソニア王女は忘れていなかったとアピールするにはこれ以上ない手土産になったことだろう。
「良かった、間に合ったようで。話を聞いて、薬のことが一番に心配になったのです」
「ああ……姫、いえ、子爵夫人様、なんと慈悲深いお言葉を……」
と、町長は椅子から立ち上がったと思えばひざまずき、ニアへと頭を垂れた。
……ちょ、ちょっと効果ありすぎたかもな~……?
いやまあ、今後を考えればありがたいくらいではあるんだが。
これで少なくともストンハントは、俺達の統治を心から受け入れてくれることだろう。
流石ニア。
策がばっちりはまった、というだけじゃない。
この策は、彼女が本当に心からストンハントのことを考えていたから出てきたものであり、彼女が心からそう思っていると声にも出ていたからこそはまったものだ。
計算と人情、両方が彼女の中で矛盾無く同居しているから、とも言える。
……どっかの王子と似てるなぁ、そういうとこは……割合は違うけども。
ともあれ、これで町長の心はばっちり掴めたことだろう。
なんて安心していたところで、ニアも立ち上がり、町長へと手を差し伸べた。
「顔を上げてください、町長。あなたがこの町をなんとか守っていたからこそ、こうして私達の手が間に合ったのです。それは、あなたが誇るべきことです」
「なんと……なんと、お優しい言葉を……」
ついに町長はボロボロと泣き始めた。これでトドメである。
とはいえ、実際よくやってたと思うんだよな。
王都からの支援も領主の庇護も不十分だった上に近くで戦争があったのに、町は何とか安定している。
邸宅の手入れが行き届いてないとは言ったが、逆に言えばその程度。
ここまで治安を維持出来ていたのは、どう考えても町長の手腕である。
そこも見てますよと言われたら、そりゃ町長も泣くよなぁ。
これもう、俺がいなくても良かったんじゃないかと思ったりしてたんだが。
「それに、私が慈悲深いだなんてとんでもない。私がこうしてここに来ることが出来たのは、全て夫であるマクガイン子爵が心を砕いてくださったからなのですから」
とか嬉しい言葉を放り込んでくれるニア。
い、一応この言葉をどこかで入れるのも、打合せ通りではあったんだ。
だが、こう……これまでにあったあれこれをじっくりと懐かしむような口調で頬を染めながら言われたら、破壊力が桁違いすぎるんだが……。
あ、俺達の背後でローラが砂糖と生姜を同時に口の中にぶち込まれたような顔してるのが気配でわかる。
いきなりニアから惚気のようなことを言われた町長はぽかんとした顔になり。
表情が固まったまま顔を俺の方に向けて。
しばしまじまじとこっちを見て。
「さ、左様でございましたか! あなた様が、あなた様がソッ、ひっ、こちらのお方を!」
色々察したのだろう、身体ごと向き直り、勢いよく、額を床に打ち付けかねない勢いで頭を下げ、ほとんど平伏といっていい姿勢になった。
多分、途中で言葉に詰まったのは、『ソニア王女』とか『姫様』とか言いかけたんだろうな。
さっき姫って言ったのは、貴族令嬢も領地じゃ姫とか言われたりするから、まあいいとして。
流石にソニア王女って呼ぶのは、いくら応接室的な部屋とはいえ、まずい。
それをわかっていたから、危ういところで言葉を飲み込んだんだろうなぁ。
うん、理性に関しても信頼して良さそうだ。
……とか冷静に考えてる俺も、大分貴族ってものに染まってきたような気がしないでもない。
「ああ、偶然というか縁があってな。それがこうしてこの町のためになったのなら、俺としても嬉しく思う。これからもよろしく頼むぞ?」
「はいっ、はいっ! もちろんでございます、この老骨に鞭を打ち、全てを捧げましてでも!」
俺が領主らしく悠然とした態度で答えれば、町長は平伏した姿勢のままそう答える。
くっ、やっぱこういうのにはまだ慣れんな……いや、慣れなくてもいいのかも知れないが。
「頭を上げてくれ。いや、座り直してもらおうか。この町のこれからについても話をしないといけないからな」
「はいっ、かしこまりましてございます!」
がばっと勢いよく頭を上げた町長が、いそいそと、しかし礼を失しない丁寧さで椅子に座り直す。うん、やっぱこの方が話をしやすいや。
「では、これからについてなんだが。まず、野盗対策として……」
気を取り直した俺は、ニアと決めていた、話し合うべきことについて町長に話し始めた。




