その撒き餌は牙を持つ
こうして無事ファルロン伯爵との打合せを終えた俺達は、恙なく領主の館へと戻ってきた。
一仕事終えた俺達は、軽く休憩でも、と茶話室へと移動。
「本当にニアがいてくれて助かりました」
お茶の準備がされたところで、俺はニアへと頭を下げた。
戻ってくるまでの時間で、俺の感情はすっかり折り合いが付いている。
この辺り、馬車と馬に分かれて移動していたのが功を奏した形と言えるだろう。
一人で馬に揺られていたおかげで、頭を冷やすことが出来たわけだ。
これがニアと同じ車内だったら、表情か声のどっちかで気付かれていた可能性は少なくない。
遺憾ながら、俺が恋愛沙汰に不慣れなことはバレていると思う。だが、嫉妬だなんだに振り回されて感情的なところを見せてしまうのはまた別問題じゃないだろうか。
いやしかし、寛大なニアならそうでもないのだろうか。
……こんなところも、いつか話し合えるようになるといいなぁ。
ってなことは馬上で考えていたこと。
今こうしてニアの前にいる時点では折り合いを付けているし、ニアの表情を見るに、多分制御は出来ているんだと思う。
「いえ、私は何も。ファルロン伯爵がこちらの話を聞いてくださる方だったからで……。でも、少しでもお役に立てたなら嬉しいです」
だから、ニアから返って来た答えにもこちらを気遣ったりといったところはない。
謙遜もしつつ、こちらの言うことを受け入れもする。こういう返しをされると、こっちとしても満足感があるんだよな……。
こういうやりとりが自然に出来る辺り、ニアの対人経験というものは豊富なのだろう。
一瞬ちらっと嫉妬が頭をよぎったが、流石に不特定多数相手だとそれもすぐに消え去る。
それよりも、この状況においては頼もしさの方が勝るし。
「むしろニアの出番はこれからなんですけどね。向かう先の町長ですとか相手の交渉は、特に最初はお任せすることになりますし」
「はい、それはもちろん。最初からそのつもりでしたしね」
答えるニアの口調に、揺らぎはない。当初の予定とはズレてしまったというのに。
こっちに来る前の計画では、俺が内政の安定を担当しつつニアが町々を巡って各地の長と連絡を取って、統治への協力を要請するはずだった。
だが、この状況でニア達だけを向かわせるのは正直危険である。
ということで、俺も一緒に出向くことにしたのだ。
そうすれば俺も安心だし、町長達にこちらの姿勢を一層強く示すことも出来る。
おまけに、それだけでは終わらない。
「……食いついてきますかね?」
「恐らくは。裏にいるのが第二王子であれば、少しでも早く手柄が欲しいはずですから。その、申し訳ないのですが……アーク様は、これ以上ない餌になるかと」
俺の問いに、ニアはこくりと頷いて見せた。
あちこちに出没する野盗に扮した連中。その裏にいるのは、恐らくシルヴァリオ王国第二王子、バルタザール。
第一王子を蹴落としたいこいつは、常に手柄を追い求めている。
そこに先の戦争で悪名を轟かせた俺を捕縛、あるいは討ち取る好機が巡ってきたらどう動くか。
おまけにそれが、領地奪還のためにこれ以上無いほど有効な手になるとなれば。
まず間違いなく、俺にちょっかいをかけてくるだろう。
「こっちが追いかけたら逃げるだけの連中も、俺が出歩いているとなれば話は別。向こうから仕掛けてきてくれれば、一人二人とっ捕まえるくらい大したことじゃないですからね」
「あちらがどれくらいの手勢を揃えているかにもよりますが……今までの情報から考えるに、最大で三十人ほどでしょう。特務大隊から派遣してもらえるであろう護衛騎士の数を考えると、危ない橋を渡ることにはなるのですが……」
気楽に応じる俺へと向けるニアの表情は、とても申し訳なさげだ。
それも当然で、恐らく派遣してもらえるのは十人前後。連中の数はその三倍。俺やトム、ローラもいるとはいえ、普通は厳しい状況である。
いくら鍛えられている騎士とはいえ、数を頼みに囲まれてはその力を発揮出来ない。普通は。
「まあ、そんなこともあろうかと特務大隊の連中は鍛えてきたわけですし」
「……言われてみれば、そうでしたね」
俺に言われて、思い出したかのようにニアが苦笑する。
多分彼女が思い出したのは、こっちに来る前に見せた朝稽古の風景。
俺が複数相手の戦い方も鍛えていたのは、こういう時のため。
当然、俺が隊長を務めていた中隊の連中も同じようなことはさせている。俺くらい出来るようになった奴はいないが、それでも普通の騎士よりはずっと一対多を経験しているはず。
特務大隊は少数精鋭で動くことも少なくないから、こういった訓練も必要となるのだ。
それが今回は活きることになりそうである。
「とはいえ、実際に連中の動きを見たわけじゃないんで、あまり軽く見てもまずいですが。旅団の面々を見るに実戦で鍛えられているようですから、見立てもそうズレてはいないでしょうし」
「そこはもう、信じるしかありませんね。本当はもっとじっくり調べてから動きたいのですが……あまりのんびりしていては、冬が来てしまいますし」
「ストンハントやディアマンカットの住民にも不信感を与えかねないですしね。急いで対応するとか言っておきながら動かなかったら、かえって不審を煽ってしまいそうだ」
「そうですね。彼らは新しい領主であるアーク様を見定めたい気持ちもあるでしょうから、言葉よりも行動で示さないと説得力がなくなってしまうでしょうし」
ニアの言葉に、俺も頷かざるを得ない。
前にも言ったが、住んでる住民にとっちゃ国がどうなるかなんて知ったこっちゃない。
町長や村長がどうなるか、精々その上の領主がどうなるかの方がよっぽど大事だ。
そこに、口だけは立派なことを言いながら腰が重くて動いてくれない領主が来たら、どんな目で見られるかなんて言うまでもない。
おまけに、そんなことをしたらニアの持つ人脈まで失われかねない。
人間、期待していないことが起きなかったからって何も思わないが、期待を裏切られたら根に持つものだからな。
「逆に、行動で示すことが出来れば大きい。特に、今みたいな状況であれば。ニアや俺に危害が加わる可能性がある代わりに、野盗連中を撲滅出来てシルヴァリオの策も挫けて、おまけに住民達の信頼も獲得出来るとくればやらない手はありません」
「得るものが大きい分、リスクも大きいのが申し訳ないのですが……」
指折り数える俺に、ニアが申し訳なさそうに言う。
そんなに気にすることないんだけどなぁ。
「俺からすれば、そんなにハイリスクでもないんですけどね。ニアのことだけが心配ですが」
「もう、少しはご自分のことも心配してください!」
珍しくニアがむくれたような表情になる。可愛い。いや違う。
いやしかし、そうか。つい俺基準で考えちまうから、いかんな。
「すみません、心配させてしまって。俺からすると、三倍の敵を相手にするくらいは割と普通にあったことなもんで、あまり気にならないんですよ」
「それはそれでどうかと思うのですが……本当に大変なお仕事だったのですね……」
めっちゃ同情した目で見られる。……いかん、これはこれでいいなとか思ってしまったら、人間として何かだめだろ、流石に。
「しかし、アルフォンス殿下がそのような差配をしていたとは、意外ですね。あの方でしたら、事を成すに十分な数を揃えてくるのだと思っていたのですが」
「ああ、なるほど。それは、確かにそうですよ?」
「……はい?」
ニアの所感に、あっさりと俺は頷いた。ほんとにあの人は、十分な数をちゃんと投入していく。たまにギリギリなこともあるけど。そういう時は大体俺が行かされてるんだけど。
だが、それを聞いたニアは、すぐには飲み込めなかったのか聞き返してきた。
まあ、気持ちはわからんでもない。
「だから、確かに十分な数を投入してたんですよ」
「……え?? あの、相手は三倍の数、だったんですよね……?」
「ええ。ですが、全部何とかしてきました。だから俺が今ここにいるわけですし」
「ぜ、全部……そうなのでしょうけれど、何と言うか、理解し難いものがありますね……?」
困惑しきりのニアだが、よくよく考えたらそれも当たり前のことで、兵法書なんかには、防御が堅い城や砦を攻める側は最低でも守備側の三倍の数を用意しろと書かれているほど。
つまり、それだけ有利な相手を倒すために用意するのが三倍という数。
そして、ニアは理解しているから驚いたんだろうが、特務大隊はアルフォンス殿下の策略を実行する言わば攻めの部隊だというのに相手の三分の一しかいなかったわけだ。
もちろん正面からの城攻めなんかを担当したことはなかった、というのはあるんだが。
野戦であっても、三倍の数で守ってる相手に突っ込んでいくのは無謀である。普通は。
だから、多分言葉でいくら説明しても理解し難いと思う。
「恐らく、これは実際に見てもらった方が早いんじゃないかと」
「そうですか、アーク様がそうおっしゃるなら」
そう俺が言えば、ニアはあっさりと頷いてくれた。
聡い彼女のことだ、俺が考えたことなんてお見通しなんじゃなかろうか。
少なくとも、ただの冗談とは思ってないようだ。
「でも、本当は実際に見ることにならない方がいいんですけどね」
そう言って、苦笑気味に笑ったのだから。
※投稿の間隔が空いてしまって申し訳ありません。
まさか一か月経つとは……。ここからは毎週更新出来るかと思いますので、またよろしくお願いいたします!




