ガールズトーク
休憩も終わり、移動再開となってニアはローラと共に馬車に戻った。
扉が閉まった途端、ニアは俯くようにしながら両手で顔を覆う。
「……姫様?」
「どうしましょう、ローラ。アーク様が可愛すぎるわ……」
感情がこらえきれなかったのか、絞り出すように言うニア。
それを聞いたローラの脳裏には、同時に二つの思考が走った。
『あの男のどこが?』と、『いえ、可愛いのは姫様ですが』の二つである。
だが、訓練された侍女である彼女は、それらの感情を全く顔に出さない。
そのせいで『スン……』としか表現の出来ない真顔になってしまってはいるが。
「どうしようも何も、あんな感じで振り回して差し上げればよろしいのではないかと」
ローラがニアへと言うにしては随分と感情のこもらない棒読みな声。
いや、最近ではこういう物言いも増えてしまっている。
言うまでもなく、ニアがローラに対してこんな風に相談のような惚気のようなことを言い出した時の応対する際にこんな声になってしまうのだが、その頻度は確実に増えているからだ。
「大丈夫かしら、振り回してしまって嫌がられたりとかしないかしら」
「間違いなくあり得ません。というかむしろ、振り回されてると思っていないのではないかと」
『あのヘタレは』という言葉は、流石に胸の内にしまう。
いくらローラであっても、名目上の雇用主にして書類上はニアの夫となっているアークを直接的に貶めるような発言は出来ない。しない程度の理性は残っている。
それでも言いたくなってしまうのも、また仕方のないところだろう。
手塩にかけた姫様をかっさらわれたのもムカつくが、その姫様相手に十分なアプローチが出来ていない現状にも不満がある。侍女心は複雑なのである。
「どう見ても、旦那様は姫様からのアプローチを喜んでいらっしゃいます。
ただ、どう受け取ればいいかがわかっていらっしゃらないだけで。
経験不足が露呈しているだけですから、姫様が気に病む必要はありません。
むしろゴリゴリに押して主導権を握るのも一つの手かと」
「ゴ、ゴリゴリに……流石ローラね、参考になるわ……」
ゴクリ、とニアは思わず生唾を飲み込む。
この時代、この辺りの貴族社会において、女性は男性のリードに任せるものとされている。
だが実際は裏で夫人が実権を握っている夫婦などよくあることで、『表向きは夫を立てて家では尻に敷いている方が上手くいく』とまで言う淑女の仮面を被った女傑もいるほどだ。
社交界経験がほとんどないニアはローラからの伝聞でしか知らないが、案外そういう家の方がよく回っているケースも少なくないのだとか。
ローラの助言は、そういう上手くいっている家を参考にしろ、ということなのだろう。多分。
そんなことを考えていたニアは、ふと気になったことを口にした。
「それにしても意外ね、こんなにも不慣れだなんて。アーク様だったら随分ともてそうに見えるのだけれど」
『え?』と言いそうになったローラは、己の理性を総動員して、口にするのをとどめた。
それから、自覚している色眼鏡を外してアークについて考えてみたが、いまいち頷けない。
「……旦那様の場合、恐らくお人柄を知られる前に避けられていたのではないかと」
「え? でも、あんなに素敵なお顔立ちなのに……」
『あばたもえくぼ』という言葉がローラの脳裏に浮かび、すぐにそれを打ち消す。
冷静になって考えてみれば、否定は出来ないのだ。
「確かに旦那様のお顔立ちは整っていますが、それを打ち消してしまうだけの条件がありましたからね。そもそも、社交界に顔を出す暇も無い激務だったようですし」
「それは、確かに……いくらお顔が良くても、見ないことにはわからないし」
「でしょう? そうなると、社交界での旦那様は『男爵家の三男で、休む暇もなく第三王子殿下からこき使われている、いつ死ぬかわからない特務大隊の騎士』でしかないわけです」
「ず、随分な言われようね、それ……でも、否定出来る要素がないわ……」
人目がないからと容赦のないローラの言い草に、しかしニアも言い返せない。
実際、結婚前のアークはローラの言う通り。
彼がその立場から抜け出せたのは、皮肉なことに彼女達の故国との戦争で上げた武功によって昇進したから、とあって、ニアとしても複雑なものがなくはない。
「社会的な評判がそれな上、実際の旦那様を見た人間からの評価は『人間とは思えない武力』だとか『見上げるような長身と、それに見合う膂力』とかだと思いますよ、多分」
「な、なるほど……アーク様を間近で見る機会のある人は、騎士とかそれ関係の方ばかり……その方からすれば褒め言葉なのに、令嬢からすれば恐怖の対象にすらなりかねないわ」
今のニアからすれば、それらは全て『頼りがいがある』に変換される。
だがしかし、普通の貴族令嬢、それも上昇志向のある令嬢からすれば、それらは何のメリットにもなりはしない。むしろ家庭内暴力が危惧されて、デメリットですらあるだろう。
令嬢達からすれば、貴族社会を上手いこと渡り、家に利益をもたらす能力が大事なのだから。
「そういえばお義父様もおっしゃっていたわね、子爵に任じられた後、アーク様に見合い話が大量に舞い込んできたと」
「『こき使われている騎士』から『第三王子殿下の信頼厚い、領地を与えられること確実で籠絡しやすそうな青二才の子爵』になったわけですから、それは群がることでしょうね」
「おまけに今後の展開次第では当代で伯爵にまで登ることすら十分見込めるものね……」
ローラが解説したことは、もちろんニアもわかっている。
わかるからこそ、不満にも思う。
政略的な面で判断されるのは、貴族である以上仕方ないにしても、だ。
「皆、アーク様の本当の魅力をわかってないわ。いえ、私だけが知っていればいいことだから、知られなくて良かったとも思うのだけれど……でも、なんだか不満だわ」
「……まあ、姫様がおっしゃることもわからなくはないですが。実際のところ、人前で見せるのは中々難しいところばかりだと思いますよ?」
「それは、そうなのだけれど……」
はふ、と溜息を零すニアから視線を外し、ローラは外へと目をやった。
進行方向に背を向けて座っているローラからはよく見える、出発時から変わらず、ぴったりと馬車の右斜め後ろに随伴しているアーク。
野盗などが馬車を襲う時、御者や護衛の目が届きにくく、馬車の扉にも接近しやすいということで狙うことが多い方角。つまり、一番危険な場所。
最も腕利きの護衛を配することが多いそこに、彼は自らその身を置いている。
もちろん本来は領主となる子爵がそんなところに居るなど、とんでもないことなのだが……彼の能力が、皆に否やを言わせなかった。
広い視野、後ろへ目を配っているのに馬は同じペースで直進させているという卓越した馬術。
これで剣を抜けば護衛騎士の誰よりも強いのだから、文句の言いようもない。
その腕前と心意気は、ローラも認めなくはないのだが……それを社交界で披露できるかと言われれば、難しいと言わざるを得ない。精々、武勇伝として語るくらいだろうか。
「後は、人前で堂々といちゃついて、一途な溺愛ぶりを見せつけるくらいでしょうか」
「い、いちゃつくだなんて! そ、そんなこと出来ないわ!?」
ローラの言葉にぱっと顔をあげ、頬を染めるニア。
『ああ可愛い』『ああムカつく』という二つの感情がローラの中で同時に沸き上がる。
言うまでもなく、後者はアークに向けたものだ。とんだとばっちりである。
ムカつくが、ローラは時折こうしてニアにちょっかいを出さずにはいられない。
可愛いからである。そして、こんなニアを見られるのは、ローラだけの特権だからでもある。
同時にアークに対する嫉妬心のようなものが湧かなくもないが、それを差し引いてでも見る価値があるとローラは思っているため止められないのだ。
「溺愛、は否定しないのですね?」
「はうっ!? だ、だってそれは……私も、その、わかってるつもりだし……?」
ローラが追撃すれば、頬を染めたまま上目遣いで見てくるニア。
『ああ可愛い』『ああムカつく』という二つの感情が、再びローラを襲う。
そして、少しばかり優越感も感じてしまう。もちろん、アークに対して。
こんなにも可愛い姿を、まだまだニアはアークに対して見せられない。
彼女もまた、そういったことには不慣れなのだから。
「それを表立って見せられるように、今から教育していくのもありですよ?」
「きょ、教育だなんて……いいのかしら、そんなの」
『調教』という言葉を飲み込んで言えば、ニアからの反応に拒絶の色は薄い。
彼女も、それはそれでありなようだ。
『……姫様が大人になっていく……』と寂しいような嫉妬するような感情を覚えなくもないが、それが彼女の幸せに繋がるのならば仕方ないのだろう。
こうして、少々歪んだ忠義者であるローラからのレクチャーは、人知れず馬車の中で行われていくのであった。
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すみません、宣伝が多くて申し訳ないのですが、最初の一ヶ月が勝負らしいので……。
12月は『肉と酒を好む英雄は、娶らされた姫に触れられない』の方も発売予定でございまして、そちらと合わせての特典もございますから、そこまでは宣伝することになるかと思われます!




