想定される困難
さて、なんでまた早朝からこんな訓練をしているのか気になった人もいるんじゃなかろうか。もしかしたら、わかっている人もいるかも知れないが。
簡単に言えば、与えられた領地へ出発する日が近づいているから、だ。
ニアとの婚姻に絡む手続きも終わり、特務大隊での引き継ぎも何とか目処が立った。
となると、急いで移動しなければ、という話になる。
なにしろ与えられた領地は先日の戦争で獲得した土地。
こちらに対する住民の不安や反感もあるだろうから、いつまでも領主不在でいいわけがない。
おまけに治安維持という名目で一個旅団を派遣しているわけだが、彼らによって現地を安定させていたのが、いつの間にやら支配に変わっていた……なんてことになってもよろしくない。
もちろんあのアルフォンス殿下がそんな不心得者を旅団長になんてさせるわけがないんだが、王都から離れて自分がその土地の責任者となった途端、なんてこともないわけじゃないからな。
ということであと数日で移動開始なわけだが、その前に一度ローラとトムの腕を確認しておきたかった、というのが訓練をした理由の一つ。
最初に会った時から『できる』と思ってはいたんだが、確認しとかないと心配だからな。
もっとも、実際確かめてみたら予想以上。二人とも剣を使っての近接戦闘なら並みの騎士よりよっぽど強い上に、組み合わせがいい。
正面から打ち合える体力と根性のあるトムが引きつけて、駆け引きや搦め手の上手いローラが隙を突いて仕留めにかかる、とかやられたら、凌げる人間はほとんどいないだろう。
これだけの腕があれば、ニアの護衛役を安心して任せられるというものだ。
なにしろ向こうに行けば俺は多忙が予想され、いつもニアの側に居られるとは限らない。
その点、この二人なら側にいないことの方が少ないほど。特に外出時。
もちろんニアは子爵夫人なんだから護衛も付ける予定ではあるんだが……駐屯する旅団から借りることになっているんで、どんな奴がくるかわかってないんだよな。
正直、旅団側がこっちをどう思ってるのか計りかねてるところもあるし。
なので、腕がわからん相手を頼りにするよりはってことで、二人の腕を確認したわけだ。
あともう一つは、二人の感覚を研ぎ直すっていう意味もある。
普段からニアの周囲を警戒してくれてるんで、不審者だとかを見つけるのは問題ないと思う。
ただ、ちょっとここ最近は平和なこともあって、いざ戦闘となった時の防御勘、反撃タイミングの嗅ぎ分け方が鈍ってないかっていう懸念が少しばかりあった。
なので、ああして二対一の戦闘訓練なんてやってみたわけだ。
実際、訓練開始時よりも後半の方が反応良くなってったし。
あ、二人の名誉のために言っておくと、開始時でも十分強かったけどな。最初の一撃で決まる、なんてことはなかったし。
とはいえ、多分もうちょい鋭く出来ると思うんだよなぁ。
「ということで、明日以降もやってくからな」
「ま、まじっすか……いや、やりますけども」
俺が宣告すれば、トムは顔を引きつらせながらも頷く。
別に俺が脅しをかけたわけじゃないぞ? こう見えてトムはちゃんと上下関係をわきまえているから、俺の言うことに従ってるだけのこと。理不尽な命令ってわけでもないしな。
「心配するな。身体に疲れが残って移動に差し障りが出たら本末転倒だし、時間は短めだ」
「……ありがたいように聞こえますけど、騙されませんからね? 身体に、とか、時間は、とか気になる言い方してるの気付いてますからね?」
「そこに気付くとは流石だな。まあつまり量より質、死なない怪我しないギリギリを探る感じでやってくことになるわけだから、神経は疲弊すると思うぞ」
「笑顔でさらっと怖いこと言うのやめてくれませんかねぇ!?」
思わずといった感じで声を上げるトム。うむ、元気でいいことだ。
なんて思いながらちらっとニアの方を見れば、彼女は小さく頷いてから口を開いた。
「大丈夫、トムならできます。それに、あちらに行ったらトムに守ってもらう場面が増えると思うから、まだこちらに居る間にトムの頼りになるところを見られたら、私も安心だわ」
「姫様……わっかりました、この不肖トム、頑張りまっす!!」
ニアが微笑みながら言えば、トムはピンと背筋を伸ばしながら良い声で返事をした。
呼称が奥様から姫様に戻ってるが、ここで言うのも野暮ってものだろう。
しかし、やはり使用人達の人心掌握についてはニアに任せた方がいいな。
いずれは俺もこのくらいにならんといかんのだろうが、今この時点においては積み重ねてきた時間が違いすぎるし仕方がない。
それでも前に比べたらずっと打ち解けてるし、前進はしているはずだ。
「あ、もちろん言うまでもないけれど、ローラも頼りにしてるからね?」
「ええ、もちろんわかっております。姫様の御身はお任せください」
ちゃんとローラにも言葉を掛けるあたり抜かりがない。流石ニア。
……まあ、思わずって感じだったトムに比べて、ローラはわざと『姫様』呼びしたように思うんだが気にしないようにしておこう。あんまり突くと怖い気がするし。
ローラのニアに対する忠誠心に疑いはない、それが確かならそれでいい。
「向こうに行ったら忙しくなるし、俺とニアで二手に分かれないといけないことも多いだろうから、ほんと二人は頼りにしてるよ」
と、俺からも言っておこう。こういう積み重ねが大事だってのは、アルフォンス殿下見てて学んできたし。だから無茶ぶりが多くてもあの人は慕われてるんだと思う。
「そうですね、アーク様は旅団との打ち合わせも多いでしょうし、私は顔見知りのところへ挨拶回りに行かないといけないですし」
少々悩ましげにニアが言う。これが、二手に分かれないといけない理由だ。
俺達の領地となったストンゲイズ地方。正確に言えばストンゲイズ、ストンハント、ディアマンカットの三地方を合わせた地域になるのだが、以前エミリア嬢とクイズバトルをした時にわかったように、ニアはこの地域を訪れたことがあった。
で、その時に諸問題を解決しようと奔走したため、地域住民や村長、町長からの印象もいいとあって、統治への協力をニアがお願いしにいこうとしているわけだ。
もっとも、ソニア王女は現在失踪、生死不明となっているため、表立って正体を明かすわけにはいかないのだが……そこはニアの会話術と人徳に頼ることになる。
……それなら安心だ、と思ってしまうのは、流石ニアと言わざるを得ない。
「出来れば、俺も同行した方がいいんでしょうが……『黒狼』が来る、っていきなり言われたら、向こうも緊張するなり警戒するなり、なんなら恐怖するなりしかねないですからねぇ」
悲しいが、容易に予測出来る事態である。
そもそも俺が領主として任じられたのも、俺の悪名とも言えるこの二つ名を住民が恐れ、大人しく従うことを期待したところが大きい。
っていうか、多分それ狙ってアルフォンス殿下が噂を流布させた節があるし。
そんな俺がいきなり乗り込んだら、住民がビビってただ服従するだけになる可能性がある。
短期的な統治ならそれでもいいんだが、長期的に考えたら恐怖による統治は反発を招くし、反乱の火種にもなりかねない。
この三地方はじっくり開発したい地域だから、それは避けたいわけだ。
そこで、既に信頼のあるソニア王女が密かに戻ってきたと伝えることにより、地域住民との信頼関係構築をスムーズに行おうというのが狙いである。
「アーク様の人となりを理解してもらえば、住民達も安心してくれるとは思うのですが……噂が先に立っていますから、最初から偏見を持って接する人は少なくないでしょうし」
「そこはまあ仕方ないですよ、それを利用してきたところもありますから。
むしろ、そのフォローをニアにお願いするのが心苦しいくらいなんですが」
ニアが申し訳なさそうに言ってくれるが、正直これは当然のことだとも思っている。
『黒狼』の名で相手を恐れさせて士気を挫いてきたのなら、占領統治の段階でも恐れられるのは当然の結果。その後の施策や態度で理解してもらうしかない。
その施策も、恐怖ばかりが先にあると拒否反応が出てくるかも知れない。
そうならないために、まず受け入れてもらう土壌をニアに作ってもらおうとしているわけだが、適任であるとわかってはいるけれど心苦しい。
後単純に、ニアと離れるのが寂しいというのもある。
あるが、それは顔に出さない。出してはいけない。絶対にだ。
そう決意して、意識的にきりっとした顔を作っていたのだが。
「あら、むしろ私は、アーク様のお手伝いが出来て嬉しいですよ?
今までお世話になっていた分をやっとお返し出来るのですから、頑張りませんと」
何て可愛いことを、こう、両手を持ち上げるガッツポーズのような格好をしつつ言ってくれるもんだから、一気に俺の顔は崩れてしまった。そりゃもう、雪崩のような勢いで。
だめだ、うちの奥さんが可愛すぎる……。
ちなみに、侍女やメイド達の大半はほんわかした顔をしている。
ローラはいつものごとく、砂糖と生姜を同時に口に突っ込まれたような顔をしているが。
ともあれ。こうしてニアもやる気を見せてくれているのだから、俺も頑張らんと。
俺は改めてそう決意したのだった。
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また、紀伊國屋電子書籍様でも電子書籍が購入出来るみたいですので、そちらもご一考ください!
それから、書籍版は後半結構加筆修正がございます。違いを楽しんでいただくためにも、是非よろしければ!




