氷山、動く
※アーク視点ではなく、別の場所での三人称視点になります、ご注意ください。
一方その頃。
「ふむ、アーク本人が出る、か……」
ブリガンディア王都にある王城、その中にある第三王子の執務室。
アーク・マクガインの上司の上司にあたる第三王子アルフォンス・ザーク・ブリガンディアは、アークからの手紙に目を落としながら僅かに目を伏せる。
金髪碧眼ですらりとした細身の美形である彼がそんな表情を見せれば、それを目にした令嬢など黄色い悲鳴を上げてしまいかねないが、生憎というか何と言うか、ここには彼をよく知る男性文官や護衛騎士しかいないため、誰もそんな反応は示さない。
それどころか、幾人かは背中に冷や汗を垂らしている程。
彼らは知っている。
アルフォンスがこの表情で思案している時は、大体無茶振りか大事か、その両方かが待っていると。
いや、アルフォンスは今、アークの名を口にした。
アークは今、輿入れしてくるシルヴァリオ王国第四王女を迎えるため国境近くの都市に行っている。
その彼が、一体どこに出るというのか?
残念と言うべきか何と言うべきか、ここに居る面々はアルフォンスのお眼鏡に適った人員であり、察しはいい。とても。
彼らは察した。これは両方コースだ、と。
そこまで彼らが考えた、アルフォンスの方も方針がまとまったらしい。
「すまないが、兄上のところへ訪問の先触れに行ってくれ。大至急だと」
「は、はいっ、かしこまりました!」
一人の文官が指名され、びしっと背筋を伸ばして返事をした後、走らないように気をつけながらも出来る限りの早足で出て行く。
兄上、つまり第二王子アルトゥルの元へ、大至急。
これはもう、面倒で無茶な大事が待っていること確定である。
ちなみに、第一王子アードルフは諸般の事情により政務に携わっていないため、誰も彼については触れない。アンタッチャブル事項なのだ。
「それから、護衛として精鋭を十人選抜。ちょっと長旅になるだろうから、馬と旅装も整えておくように」
「は、はいっ! 急ぎ準備いたします!」
そう答える騎士の顔には冷や汗が浮いている。
この状況で、今から向かう先など一つしかない。
そう、つい先頃まで戦をしていた敵地、シルヴァリオ王国だ。
更に、こんな状況であれば必ず同行させられるアークは、既にそのシルヴァリオ王国に入っている、らしい。
となれば、彼らこそが同行すべき人員となってくる。
「うわ、これ胃薬用意しとかないと……」
「今更か、だから常備しとけって言っただろ?」
などと小声で護衛騎士達が言い合っているのを聞き流しながら、アルフォンスは第二王子の執務室へと向かう。
彼の顔を見れば、扉の前に立っていた護衛騎士がすぐさま室内へとお伺いを立て、アルフォンスが扉の前に立つ一瞬前に開いて中へと通す。
一連の動きはまるで淀みがなく、彼がよく鍛えられ、周囲も良く見えていることを示していた。
『流石、兄上の護衛騎士だけはある』と内心で評しながら、微笑みを絶やさすにアルフォンスは室内へと踏み入れる。
「お忙しいところ失礼いたします、兄上。火急の用件があり、まかり越しました」
「やあアルフォンス。常に先手を打つ君が急ぎということは、余程の大事かい?」
迎えた第二王子アルトゥルは、全体の造作は似ているもののアルフォンスに比べれば柔和な顔立ちで、表情も穏やかなもの。
アルフォンスが氷のような鋭く冷たい麗しさだとすれば、アルトゥルは春の日差しのように明るく穏やかな輝きと言えるかも知れない。
そんな、似ているようで真逆のような兄の前へと進み出たアルフォンスは、アークからの手紙を差し出した。
「シルヴァリオの第四王女を迎えに行ったアークからの報告です。
彼一人では収めきれない事態になりそうなので、私が直接乗り込もうかと」
「いきなりだね!? ……いや、君がそう言うということは、大事になりそうだ、と?」
突然の発言に、一瞬狼狽えたアルトゥルだが、すぐに表情を取り繕う。
彼とて王族、この辺りは心得たもの。それから、差し出された手紙を受け取り、その中身に目を走らせ始めた。
「はい、アーク・マクガイン子爵も、彼一人で全ての収拾を付けられるとはとても思えないと書いています。
こういう時の彼の勘は、当たります」
「……誰かさんに鍛えられて、危機を察知する能力は特に磨かれているから、かい?」
「さて、彼は元々だったと思いますよ? その後少しは伸びたかも知れませんが」
アルトゥルが苦笑しながら言えば、アルフォンスは崩れることのない微笑みで返す。
アルフォンスの後ろで護衛騎士が何か言いたげな顔をしているが、彼は沈黙を守っているしアルフォンスも何も触れない。
であれば、アルトゥルとしてもスルーするのが賢明なのだろう。
「ま、彼の危機察知能力がどこに由来するかはまた今度議論するとして。
……今のシルヴァリオに君が乗り込む、というのは正直賛成し難いのだけれど」
「でしょうね、終戦直後で政情が落ち着いていないところに、王女の嫁入り先予定の王子がやってくるわけですから、短絡的な考えをする人間も出てくるかも知れない。
単純に憎い敵国の王族だというのもありますし、他にも例えば、『姫を連れていかせないために嫁入り先をなくす』だとか」
「当然わかっているとは思っていたけど、それを踏まえてなお、君が直接行くメリットがある、と?」
アルトゥルが問えば、アルフォンスはゆっくりと頷いた。いつもの微笑みのまま……いや、若干温度の下がったそれで。
「はい、もちろん。まず、短絡的な人間は恐らくそんなにいない、というのもありますが」
「というと? ……ああ、通行予定の街道が主戦場だった地域から遠いから?」
「一つはそれですね。そのためもあって戦場を設定しましたし」
シルヴァリオ王国は国王直属である国軍の規模があまり大きくなく、戦争となると周辺の貴族から兵を動員する形を取っている。
そのため、戦争における遺族は、主戦場付近の町や村に多く生じることになる。
これが王都同士を結ぶ街道沿いで起こってしまえば戦後のやり取りに障害が生じると考えたアルフォンスが、戦場が離れていくよう誘導していったのだ。
なお、このために前線で無茶ぶりをさせられたのがアークであり、結果、彼は三桁斬りの戦果と子爵位を手にすることになったのだが……彼がそれを喜んでいるかはわからない。
ともあれ、そう言った状況であれば街道沿いでブリガンディアの王族を仇と狙う人間は少ないはずだ。
……逆に、逃げ出した兵は故郷の人々に会わす顔がなくなった為、そこから離れた街道の辺りでたむろってしまっているのだが。
そんな連中であれば、完全武装した騎士の集団を襲うような根性はないだろう。
「もう一つが、ソニア王女殿下のためにそこまでする人間は、さほどいないのではないか、と」
「……どういうことかな?」
「ええ、それと言うのもですね……兄上、私は第四王女ソニア殿下のことをほとんど聞いたことがないのですが、兄上はいかがですか?」
「うん? ……確かに、聞いたことがない、な……?」
問われて、アルトゥルは首を傾げる。
戦争に至るような緊張状態にあったとはいえ国交は断絶しておらず、王族の情報だってそれなりに入ってきていたのだが、確かにソニア王女の評判だとかはほとんど聞いたことがない。
これが意味するところとは。
「あまり目立たない性格なのか、扱いが悪いのか……少なくとも社交界の花だとかではないし、であれば彼女に懸想する者もほとんどいないことでしょう。
彼女を国外に出したくない、と惜しむ人間も。
向こうから輿入れを条件の賠償金減額を言ってきたのですから、王家の大事な箱入り娘という線もないですし」
「頷きたい内容ではないけれど、否定も出来ないね……何しろ、手持ちに材料が全く無い。
もしそうなら、そんな立場のソニア王女をこちらに輿入れさせるとはどういう了見だ、という話になるけれど」
と、そこまで言ってアルトゥルは、はっとした顔になってアルフォンスを見る。
そこには、それはもう素敵な微笑みを浮かべるアルフォンスがいた。その背後に立つ護衛騎士の顔が引きつる程の、いい笑顔で。
『微笑む氷山』
そんな弟の異名が脳裏をよぎり、思わずアルトゥルはゴクリと喉を鳴らしてしまう。
「ええ、その通りです。そして王女が期日通りに到着していないこの状況で、もしもこちらの推測通りであれば……さらにむしり取るチャンスではありませんか」
「それは、そうだけど。しかし、そこまで狙うなら、確かにマクガイン卿一人では荷が重すぎるな。
……まさか、ここまで狙っていたのかい?」
「まさか、いくら私だってこんな状況は予測出来ませんよ。
ソニア王女が輿入れすると決まって調べ出してからは、色々画策を始めましたが」
「で、その収穫のために乗り込もう、というわけかい。……私個人の感情としては行かせたくないけれど、王族としては止められないというのが正直なところだよ」
そこまで言うと、アルトゥルはふぅ、と溜息を零した。
現在、第一王子関連のトラブルのせいで国王も寝込んでおり、アルトゥルとアルフォンスで国を回しているような状態。
兄であるアルトゥルは事実上の国王代理として判断しなければならず、その視点で言えば、アルフォンスを行かせることは間違いではない。
むしろ、再びの戦争によって浪費される金や資材、何より兵員のことを考えれば、行かせるべきですらあるかも知れないのだから。
「ご心配ありがとうございます、兄上。ですが、私とて勝算があってのことですから」
「わかってる、それはよくわかってる。
……君が敢えて外に出て事を為そうとしていることも」
物言いたげなアルトゥルへと、アルフォンスは微笑みを返すばかり。
第一王子失脚の影響で、降って湧いた王位継承問題。
王位に就くつもりのないアルフォンスは、戦争を含む外交、外向きの仕事に積極的に取り組んでいた。
内部を安定させ維持することに長けたアルトゥルと、外向きに策略を駆使するのが得意なアルフォンス。
実際の能力、性格的にもそうなのだが、それをより一層強く印象づけるために。
そしてそのことをアルトゥルも理解しているのだが、国のことを考えれば止めることも出来ないでいる。
今回も、やはりそうで。
アルトゥルは、もう一度ため息を吐く。
「わかった、そういうことならば了承しよう。
だが、シルヴァリオ王都に入ったら出来るだけ早くマクガイン卿と合流すること。
それから、彼の側を離れず、油断しないこと。これが条件だ」
「もちろんです、兄上。というか、今回のこれはあいつ頼みなところがありますからね」
頷きながら、アルフォンスは微笑みの温度を変えた。
「何しろアークときたら、仲間を守るとなったら世界一頼りになりますから」
驚くアルトゥルは、上手く言葉が返せない。
そう言って笑うアルフォンスは、年相応で楽しげな顔だったものだから。
そのことに、当の本人だけが気付いていなかった。
※本日の投稿はここまでとなります。
明日以降は、一日に一話投稿のペースで考えております。
もし面白いと思っていただけましたら、下の方からブックマークやいいね、☆のポイントなどいただけると大変ありがたいです。