迎えたその日。
こうして、特訓漬けの日々を二ヶ月あまり続けた俺は、ついにその日を迎えた。
「こうして見ると男前なんだよねぇ」
新郎控え室に顔を出したアルフォンス殿下がいきなりそんなことを言う。
子爵程度の婚姻儀式に王子が顔を出すなんて滅多にあることじゃないが、まあこの場合は仕方ないだろう。
俺のバックには第三王子がいるぞ、ってのを色んな方面に印象づけないといけないし。
「褒められてるはずなのに、言葉の端々から微妙なものを感じるのは気のせいですか?」
「いや別に、普段からそうしてりゃいいのにとか、そんなことは思ってないよ?」
「見た目気にしてる暇が無いくらい働かせてんのはどこの誰ですかねぇ!?」
とまあ、そんな感じでいつもみたいな軽口のたたき合いをしてるわけだが、周囲では司祭様とかがオロオロしていたりするのもまた仕方がない。
俺と殿下の関係なんて彼らは知らないだろうしな。
ちなみに今の俺は、黒を基調としてあちこちに金糸の刺繍を入れた儀式礼装に、ニアの瞳の色である青いタイをつけている。
……男が着るのなら黒の礼服も喪服に見えないよう作れたりするんだなぁ、とか感心したりもしたが。
この辺りは、体格だとか社会的役割のイメージだとかもあるのかね?
ニアに聞いたら色々語ってくれそうだ。
「何急に気持ち悪い顔してんの?」
「新郎に向かって喧嘩売ってんですか殿下?」
思わず言い返してしまったが、いかんいかん、ニアのことを考えてたからか顔が緩んでしまったかも知れん、と表情を作り直す。
顔が緩むだけならいいが、気が緩んだ結果儀式が上手くいかなかった、とかなったら最悪だし。
かといって緊張しすぎてもいかんから、加減が難しいところではある。
「普段お前の方が喧嘩売ってんのかってことばっか言ってるんだから、ちょっとくらいいいじゃないか」
「そんなに言ってますかねぇ? 普通のことしか言ってないと思うんですが」
「自覚がないのが更に質の悪い……。多分他の面々に聞いても同じようなこと言うと思うけどねぇ」
そりゃ上司で第二王子なアルフォンス殿下の言うことなら追従するでしょうよ、とは言わない。決してその通りでもないから。
基本殿下直属の俺達は、直言を許されているし忌憚ない意見を求められている。
というか、それが出来る面々だけが小隊長以上の立場にいる。
アルフォンス殿下の性格を考えればそれも当然と言えば当然か。
当然そんな連中は、子爵になったばっかりの俺に忖度なんてするわけがない。
……惚気てるつもりはないんだが、彼らがそう思っていたら、遠慮容赦なく言われることだろう。
「ま、それだけ緩んだ顔出来るんなら、緊張で変なとちり方したりもないんじゃないかい?」
「それならいいんですけどねぇ。頭の中から飛んだりしないか心配はありますが」
「そんな柔な叩き込み方はしてないから安心しなよ」
「別の意味で安心出来ないんですが、それは」
そう返しながら、今日まで受けたアルフォンス殿下の特訓を思い出す。
儀式の手順を覚えた後は、ひたすら反復練習。考えなくても身体が動くように神経に覚えさせろとか言われたからな……ほとんど武術の修練じゃないか。
まあ確かに、それがどれだけ大事で、かつ忘れないものか身を以て知ってるから、俺も練習に取り組みやすかったけども。
ある意味で戦場並みの必死さでやらんといかん儀式だし。
今日でニアの人生が変わる。決定的に。
もちろんそのこと自体はニア本人が言い出したことだし、彼女自身、しっかり覚悟を決めているのはわかっている。
そして、俺が勝手にプレッシャーを感じているだけってことも。
これがまた、勝手に、つまり自発的に背負ってるもんだから質が悪い。
誰かにどうこうしてもらえるもんでもないってのがなぁ……。
「ふむ。アーク」
「はい? っと?」
アルフォンス殿下にいきなり呼ばれて、俺は振り向き。
予備動作無しに視界の外、斜め下から飛んできた殿下の拳を手で受け止めた。
言うまでもないかも知れないが、大体のことにおいて優秀なアルフォンス殿下は、護身術の類いもかなりのレベルで身に付けている。
今のパンチだって、この不意打ち気味のタイミングだったらゲイルでさえ反応できたかどうかってレベルの鋭さ。
そんなもんをいきなり振るってきた意味がわからず、俺が言葉を失っていると……アルフォンス殿下は、いつもの笑みを浮かべた。
「お前の『身体で覚えた』っていうのは、こういうレベルのものだ。
それが、たかだかちょっと歴史があってちょっと普段感じないような厳かさの中だからって、飛ぶと思うかい?」
「いや、ちょっとってレベルじゃないと思うんですが……でも、まあ……おっしゃりたいことはわかりました」
この国で一番歴史がある神殿で、王族相手にも儀式を行うような司祭が立ち会う儀式、をちょっとの一言で片付けていいとは思わない。
だが、殿下が言わんとしたことがわからないわけでもない。
ここは、一瞬の隙も許されない、血で血を洗うような戦場ではないのだから。
あんな場所でも身体に染みついた動きはしていたのだ、ここで出来ないわけがないと言いたいのだろう。
積み重ねた年月は全然違うが……まあそこは、殿下手ずからのご指導で差し引くことにして。
おかげで、ちょっとは落ち着いたと思う。
「大体ね、お前は背負いこもうとしすぎなんだよ。まだ背負ってもないものに対して」
「背負いすぎ、ですか?」
確かに気負ってる自覚はあったが。
それでも、背負いすぎと言われるほどのつもりもなかった。
だが、アルフォンス殿下は俺に向かって小さく頷いて見せる。
「ああ。そもそも、この儀式で残りの人生全てが決まるわけじゃない。
もしそうなら、お前よりも飲み込みが悪い人間なんて、みんな不幸になってるだろ」
「それは……言われてみれば、そうですね……?」
「こう言っちゃなんだが、お前は騎士連中の中じゃかなり覚えは良い方だよ。
で、お前の先輩に当たる既婚者連中を考えてみろ。……いや、やらかした連中もいるけど、ちゃんとやってる方が多いだろ?」
「ま、まあ……そうでなかったら、今頃えらいことになってますし」
あれこれ夫婦論を語ろうとする先輩達は大体失敗してる人が多かったが、語らない人達は割と上手くやっているようだった。
そして、そういう人が大半である。……そうじゃなかったら、騎士団は機能不全に陥ってるとこだよ、離婚訴訟だなんだで。
そうなってないってことは、大半の人達はちゃんと儀式を行えたってことで。
「でも、先輩達は大体、簡易儀式ばっかりですよね?」
「気にするな、その分お前よりも練習していない」
「そ、そりゃそうですが……」
思えば、結婚式の前日まで警邏の夜勤してた人もいたな。
あれで大丈夫だったんなら、よほどそれまで練習していたか、それともそんなに練習が必要じゃなかったか……。
だけど、あの先輩は割と家庭円満っぽい。
そんな俺の心を見透かしたかのように、殿下は言葉を続ける。
「そもそもだな、神は私達の揚げ足を取ろうなんて考えてないはずだ。
重要なのは、きちんと成し遂げようと思う心。それがあれば、多少はお目こぼししてもらえるはずさ」
「何かいきなりぶっちゃけてますけど、いいんですか、そんなこと言って」
「当たり前だろ、神はお前が思うよりも寛容なものさ。なあ、司祭殿?」
アルフォンス殿下が話を振れば、急だったにも関わらず、司祭は即座に頷いて返した。
迷うことなく。
そのやり取りを見て、俺は腑に落ちた気がした。
「……そう言えば、そもそも神様がどんなお気持ちだとか考えてなかったですね」
「お前らしくもないね。敵を知れば、じゃないけど、どんな相手で、どんなことを考えそうかを捉えないと勝負にならないだろ?」
「そもそも勝負じゃないですが、おっしゃりたいことはわかります。
神様だって、不必要に警戒されたら気を悪くしますよね……いわば俺達の生みの親だってのに」
だからって侮るつもりはもちろんないが。
払うべき敬意は払い、しかし必要以上に恐れない。
それは、人間関係にだって同じことだし、その延長で考えるのもなしではないのだろう。
「お前だって、子供が何かで失敗したからって、ふざけてたならともかく、一生懸命やった結果なら怒らないだろ?
神からしても、そんな感じじゃないかな」
「わかったと言って良いのかわからん例えですが……まあ、怒らないのは確かです」
だったら、変に気負う必要もないのかな。
そう思えてくるから、不思議なもんだ。
「それから、気にすべき相手はもう一人いるだろ?」
「そうですね、ニアが……彼女が、儀式の責任を俺一人に負わせるわけがないですもんね」
アルフォンス殿下の問いに、今度は考えるまでもなく答えることが出来た。
そう、この儀式は俺一人のものじゃない。
俺とニアのものだ。
「そういうことだね。
……彼女の人生は彼女のものだし、彼女が背負うべきものだ。
ただ、その半分を持ってくれって彼女はお前に言ったわけだよ。
それだけと言えばそれだけの話。当然、重い物ではあるけれど。
で、聡明な彼女ならきっとわかってるだろうけど、お前の人生の半分を背負うとも言ったわけだ」
「……そんなこと言われたら、一気に重くなったんですが」
漠然と思っていたことではあったが、改めて言葉にされて突きつけられると、中々にしんどい。
特に、俺の人生の半分を背負うって辺り。
任務ならともかく、人生を誰かに背負ってもらうっていうのは、その重さがわからないからどうにも怖い。
相手が潰れてしまわないか、と。……いや、ニアなら大丈夫だとは思うんだが。
「諦めろ。彼女だってその重さを感じてるはずなんだ、お前に逃げるという選択肢はない」
「もうちょっと優しい言い方してくれませんかねぇ」
そう言い返すけれども、俺の心は完全に固まった。
誰よりもニアに、逃げるという選択肢がない。
彼女は、この国で居場所を掴み取るつもりなのだから。
であれば、俺がびびっててどうするってもんだ。
「ありがとうございます、殿下。おかげで、落ち着きました」
「そう。なら、行ってこい」
「はい!」
殿下の言葉に背中を押され、俺はニアの待つ新婦控え室へと向かったのだった。




